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明の巻

廃工場は静かだった。

あちこちに機材類の残骸が散らばっている。
校舎の屋上から望めるこの建物は、地元でも有名な心霊スポットだ。
物好きな廃墟マニア以外、誰も近付くものはいない。
時空(とき)も、実際に訪れるのは初めてだった。

「薄気味悪いところね」

時空の肩越しに(たける)が呟く。
残るように言ったが、頑として聞かずついてきたのだ。
時空は黙って頷きながらも、全神経を周囲に集中した。
いつ、どこから襲ってくるか分からないからだ。
もし闘うとなれば、八握剣(やつかのつるぎ)を使うしかない。
時空は神鏡の入った御守袋を握りしめながら、歩を進めた。

何かおかしい……

先ほどから時空の中を、ある疑念が渦巻いていた。
それは突拍子もない思いつきだが、どうしても頭から離れない。

もし自分の推測通りなら……

時空は険しい表情で、己の考えと葛藤した。

「きゃあぁぁぁ!」

フロアの中ほどまで進んだ時、突然悲鳴が轟いた。

時空と尊が、同時に後ろを振り向く。

影が二つ、入口を塞ぐように立っていた。

忍者のような黒装束に赤い眼光──

間違いない!

例の異形である。

そしてその足元には、誰かが(うずくま)っていた。
(おび)えた顔の長須根(ながすね)伊織(いおり)である。

「……先輩っ!」

時空を見て伊織が叫ぶ。
目が真っ赤に腫れていた。 

「伊織!」

「キキィ、動くな!」

伊織の首元に短剣をあてがい、黒装束が叫ぶ。
どうやら、こいつは人語が喋れるらしい。

「動けばコイツ 命 無い」

人質を取った者の常套句(じょうとうく)が飛び出す。
時空は身じろぎ一つせず、睨み返した。

「助けたかったら 渡せ 八握剣」

ガラガラしたダミ声で、異形が要求を口にする。

やはり、狙いは八握剣か……

「……断る」

暫しの沈黙の後、時空が言葉を返す。

「キキっ、なんだと!?」

「断ると言ったんだ」

その躊躇(ちゅうちょ)の無い口調に、異形が戸惑いの色を浮かべる。

「お前 コイツ どうなってもいいのか!」

そう言って、黒装束は短剣を伊織に押し付けた。

「た……たすけて……」

懇願する伊織の首筋に血が滲む。

「たすけて……先輩……」

「時空っ!?」

尊も背後から声を上げる。

一体、どうしたというのだ?

時空は、人質を見捨てるような人間ではない。

何故、こんな事を言うのか?

「こんなものが、そんなに欲しいのか」

時空は、神鏡の入った御守袋をかざして言った。
目を閉じ意識を集中する。

我は()を待ち、()は我を待つ──

今再び一つにならん──

神鏡から薄青い光が(ほとばし)る。
真横に伸びた光の帯は、瞬く間に何かの形を取り始めた。

鋭利な刀身に、青藍(せいらん)の輝き──

八握剣がその姿を現す。

時空の眼に闘気が宿った。

「いい加減、下手な芝居はやめたらどうだ」

時空が、吐き捨てるように言った。
まるで人が変わったように、冷めた声色だ。

「キキッ!何の事だ!?」

黒装束が震える声で叫んだ。

「お前に言ってるんだ……伊織!」

怯えた顔の伊織が、大きく目を見開く。

「先輩……一体、何を……!?」

「お前が仕組んだんだろ。捕まった振りをして、俺を此処に誘い込むために」

苦しげな伊織の表情を無視して、時空が言い放つ。

「まさか……!?」

今度は尊の驚く声が、背後から響いた。

「まさか、伊織が……そんなこと……」

「最初におかしいと思ったのは、お前からの電話だ」

それに構わず、時空は続けた。

「お前は俺ではなく、尊の携帯にかけてきた。俺が携帯を持っていないと知っていたからだ……俺が携帯を落としたのは、黒装束との闘いの最中(さなか)だ。だから、それをお前が知っている筈はない。さらに……」

語りながら、ゆっくりと身を沈める時空。

「伊織は、俺の事を『先輩』とは呼ばない……『主将』だ!」

その言葉が終わると同時に、時空は一気に間合いを詰め黒装束に切りかかった。
古武道の体技、縮地法(しゅくちほう)である。
数メートルの間隔を、瞬時に移動する。

「ギャァァァっ!」

獣じみた悲鳴と共に、伊織を押さえていた黒装束の身体が二つに裂ける。
時空は、返す刀を伊織の頭上に走らせた。
たちまち着衣が分断され、肩口が露出する。
透き通った肌の上には、大きな裂傷痕があった。

「きゃあ!」

悲鳴をあげ、肩を押さえる伊織。

「その肩の傷……お前が俺と闘った時に受けた八咫烏(やたがらす)の痕だ。形状を見れば分かる」

その台詞に、今まで震えていた伊織の動きが止まる。

「フン……抜かったか」

(うつむ)いた背中越しに、不気味な声が漏れ出る。
それは、もはや伊織の声では無かった。

「その声……電話の奴か!?」

静かに言い放つ時空。

「クックックッ……」

鳥類の鳴き声に似た嘲笑が、空気を震わせる。
次の瞬間、伊織の身体から黒い靄が立ち上り始めた。
すかさず飛び退いた時空は、間合いを取り身構えた。

「クックックッ……」

靄の中から、かん高い笑い声が響く。
ざわざわと蠢動していた靄は、何かに吸い込まれるように一気に消失した。
そこに伊織の姿は無く、代わりに【巨大な何者か】が立っていた。

黒装束の様相に、額に生えた赤い角──

それは土手で時空と死闘を演じた、あの異形だった。

「やはりお前だったか」

特に驚いた様子もなく、時空が呟く。

「クックッ……見破られたなら仕方ない」

肩を震わせながら、その赤角(あかつの)が言った。
辺りに、死臭を伴った殺気が漂い出す。

「姿形を変えられるとは……やはり化け物だな」

時空は、剣を正眼に構え直した。

「クックッ……もう一度言う。命が惜しければ、八握剣を渡せ」

「お前こそ何度も言わせるな……断る!」

有無を言わせぬ口調で、時空が言い放つ。

「ならば、力づくで奪うまで……キキィィィっ!」

赤角は両手を差し上げると、雄叫びをあげた。
それを合図に、次々と黒い靄が出現し始める。

「キキキっ!」

「ヒャヒャ!」

様々な奇声と共に、何体もの黒装束がその中から飛び出してきた。
全部で、ざっと二十体はいる。

「尊、俺が注意を引き付けるから、その隙に逃げろ!」

立ち並ぶ黒装束を見回しながら、時空が指示する。
さすがに、この数を一度に倒すのは不可能だ。
まずは、尊の身の安全を計らねばならない。

「私なら心配しないで」

意に反して、落ち着いた声が返ってくる。
尊はポケットに手を入れると、物之比礼(もののひれ)USBを取り出した。

お願い……私に力を貸して!

一心に念じる尊の体から、黄金の光が迸った。
何事かと振り返る時空の眼前で、尊の体が変貌する。

(すそ)まで届く襞状(ひだしょう)布地(ぬのじ)──

胸元にクロスの文様──

尊の体を、黄金に輝くローブが覆った。

「それは……!?」

「言ったでしょ。二つ目の神器を見つけたって」

唖然とする時空に、尊は片目をつぶって微笑んだ。

「さあ、やるわよ!」

尊の力強い号令に、時空も大きく頷く。

突然の状況変化に動きの止まっていた赤角が、ニヤリと笑みを浮かべた。

「これはこれは……」

赤く燃えるその眼光に、妖しい光が宿る。

「八握剣だけでなく、品々物之比礼(くさぐさのもののひれ)のオマケまで付いてきたとは……【あの方】も、さぞや喜ばれるに違いない。皆の者かかれぇ!」

赤角の命令を受け、黒装束たちが一斉に襲い掛かってきた。

あのかた……?

一体、誰の事だ。

赤角の言葉に、時空の体に緊張が走った。
一瞬、伊邪那美(いざなみ)(ほのか)の顔が脳裏に浮かぶ。
だが、今はそれを確かめている余裕は無かった。
異形の短剣が、目前に迫っていたからだ。
時空は身を沈め、迎撃の体勢をとった。

「俺は右をやる。左をいけるか」

「まかせて」

時空の問いかけに、前を向いたまま答える尊。

それを合図に、時空は異形の中に身を躍らせた。
縮地法で攻撃をかわしながら、剣を振るっていく。
八握剣の凄まじい破砕力は、一太刀で確実に相手を分断していった。
異形たちの悲鳴が、断続的に巻き起こる。

一方の尊はその場に立ち尽くしたまま、四方から迫り来る敵に両手をかざした。

波動光(ライトニングウェーブ)!」

手先から凄まじい光の波が噴出する。
波の衝撃により、黒装束の体が宙に舞った。

「ふん、さすがに下っ端では無理か……ならば、これならどうだ!」

赤角はそう叫ぶと、両腕を胸の前で交差させた。
体に異様な殺気が(みなぎ)ったかと思うと、黒い影が左右に並び始めた。
やがて影の形は明瞭となり、見覚えのあるものとなった。

それは八体にも及ぶ、赤角の分身だった。

「キキキィ、いくらお前たちでも、これだけの数を相手には出来まい」

勝ち誇ったような赤角の嘲笑が響き渡る。

「くっ、自分の分身を作るとは……なんてヤツだ!」

時空は唇を噛み締めた。

コイツの強さは、身をもって体験している。
パワー、スピード共に、他の黒装束の比では無い。
八握剣を持った時空でさえ、苦戦したのだ。

そんな相手が、八体も……

たとえ尊と二人掛かりでも、太刀打ちできるか分からない。

さて、どうする……

時空の中を、強い不安と焦りが交錯した。


「そうは行きませんよ」

突如、どこからか女性の声がした。

「な、なんだ!?誰だ?」

不意をつかれた赤角が、慌てて周囲を見渡す。
時空と尊の二人も、声のした方向に目を向けた。

「あなたの思い通りにはならない、と言ったのです」

いつの間にか、戸口に人が立っていた。

学生服に身を包んだ少女だ。

見覚えのある三つ編みに、優しい微笑み……

「ユズハっ!」

時空は思わず叫んだ。

そこにいたのは、今朝別れたばかりの嵯峨(さが)柚羽(ゆずは)だった。

「遅くなりました、時空さん。あの後嫌な胸騒ぎがしたので、後を追って来たのですが……なんとか間に合ったようですね。やはり私たちの神器は、強く結ばれているようです」

そう言って、柚羽は微かに頬を赤らめた。

「だれ?」

ムッとした表情で尊が呟く。

「今朝、話していたユズハだ。俺を助けてくれた……って、何怒ってんだ?」

「べつに……強く結ばれてるんでしょ。良かったわね」

「良かったって、どういう……」

そっぽを向く尊に、時空は言葉を詰まらせた。

「キィィ!何なんだ、お前らは」

二人のやり取りを聞いていた赤角が、腹立たし気に叫ぶ。

「何だか知らんが、そこの女!お前も神器を持っていると言ったな。ついでにそれも頂くとしようか。命が惜しけりゃ素直によこせ!」

「あらま怖いこと。取れるものならどうぞ」

赤角の威嚇に動じる様子もなく、柚羽が言ってのける。

「キィィっ!馬鹿にしやがって……思い知れっ!」

一体の赤角が短剣を手に、柚羽に襲い掛かる。
少女は床を滑るように移動し、それをかわした。
そして腰に吊り下がる細い筒から、一本の筆を取り出した。

朱塗りの筆管(ひっかん)涙形(るいけい)のストラップ──

嵯峨家に伝わる神器……生玉(いくたま)である。

嵯峨家筆法一之書(さがけひっぽういちのしょ)……御霊写(みたまうつ)し!」

柚羽はそう叫ぶと、文字を書くように宙に筆を走らせた。
その動きと連動するように、空中に赤い閃光が(またた)く。
すると突然、空間に裂け目が出現した。
そして凄まじい唸り声と共に、何かが飛び出してきた。

巨大な日熊だ!

ウォォォォォーン!!

日熊は赤角を睨みつけると、威嚇の遠吠えをあげた。

「これは……!?」

時空が驚きの声を上げる。

「これが、私の神器の力です」

柚羽が、涼しげな眼差しを時空に向けた。

「御霊写しは、文字に命を吹き込むことが出来るのです」

その言葉で、時空の脳裏に自分を救った虎の姿が蘇る。

「じゃあ、あの時もお前が……」

目を丸くする時空に、柚羽はにっこりと微笑んでみせた。

「さあ皆さん、いきますよ!」

柚羽は一声叫ぶと、次々と宙に筆を走らせた。

豹、鷹、狼……

命を与えられた動物が、次々と裂け目から飛び出してくる。
そして柚羽の意思に従うかのように、まっすぐ赤角を攻撃した。
人間を遥かに凌ぐその俊敏さに、さしもの異形も手をこまねいた。
動物たちは短刀を突き立てられても、なお刃向かい続ける。
タフな生命力と執拗さは、野生動物特有の強みだ。

相手が怯んだのを見定め、時空も剣を構え身を沈める。

神武至天流八咫烏(じんむしてんりゅうやたがらす)!」

得意の居合術で一体、二体と敵を分断していく。

波動光(ライトニングウェーブ)!」

尊も、襲い掛かる敵を弾き飛ばし続けた。

三人のコンビネーションは、見事だった。

声をかけずとも、的確に自らの敵を見定め倒していく。
気付けば、残ったのは本体の赤角のみとなっていた。

「キィィっ!く、くそっ……」

さすがに形勢不利と判断したのか、赤角は攻めるのを止め後退した。

「キィっ……このままで済むと思うな!」

捨て台詞を吐いたかと思うと、たちまち赤角の身体から黒い靄が立ち上った。
その中に、ゆっくりと後退していく異形。

「待てっ、伊織はどこだ!?」

慌てて時空が叫ぶが、すでに赤角の姿は見えない。
ほどなく黒い靄も立ち消え、廃工場に元の静寂が戻った。

苦悶の表情を浮かべる時空を、尊と柚羽が不安そうに見つめた。

しおり