神の巻
翌朝、
傷口はすっかり
柚羽とは、学校での再会を約束し別れた。
家族には、暴漢に襲われ手当てを受けていたと連絡を入れてある。
父親は「未熟者」と時空を一喝し、その後電話を代わった柚羽に何度も礼を言っていたようだ。
勿論、襲った相手が異形である事や、神器の事については触れていない。
家族にまで危害が及ばないとも限らないので、
勿論、
時空の話に驚くと同時に、無事を知って安心したようだ。
そして、すぐに話したい事があると言ってきた。
微かに震える声でだ。
その様子に胸騒ぎを覚えた時空は、尊の元へと急いだ。
*********
とんでもない大豪邸が、眼前にそびえ立つ。
尊の家に来るのは初めてでは無いが、何度見ても驚いてしまう。
さすが、父親がIT企業の重役をしているだけの事はある。
時空の家も決して小さくは無いが、道場が大半を占めているため住居部分は僅かだ。
一方の推古邸は三階建てで、敷地の半分は日本庭園のような庭が広がっている。
錦鯉のいる池とシェパードが二匹。
名前はロバートとジェイク。
ちなみに、時空の飼い猫は『トキの助』だ。
いや、今はペットの名前で赤くなっている場合ではない。
時空は気を取り直して、呼び鈴を鳴らした。
「はい」
インターホンから、聞き慣れた声が流れた。
尊だ。
「俺だ。神武時空」
名乗り終わると、すぐに外門が開く。
時空は、まっすぐ玄関へと向かった。
「良かった。無事で……」
出会って開口一番の尊の台詞だ。
「ちっとも連絡がつかないので、心配したわよ」
「すまない。心配かけて」
時空の袖口を掴む手が震えている。
これほど動揺した姿を見るのは初めてだった。
「何か、あったのか?」
優しく声をかける時空の顔を、尊はじっと見つめた。
「私……神器を見つけたの……」
「なんだって!?」
驚く時空の前で、尊はポケットから何かを取り出した。
「これは?」
「USBよ」
時空が、不思議そうに首を傾げる。
「それって……神器の暗号か何かか?」
「違うわよ。普通にUSBよ……データ保存に使うやつ」
なおも首を傾げる時空に、尊は肩をすくめた。
「言い方が悪かったわ。つまりこれは、USBの形をした神器なの」
その言葉に、時空の目が丸くなる。
「そりゃ……えらく
「私だって驚いたわよ。神宝図に同じ図柄を見つけた時は、心臓が止まりそうになったわ」
そう言って、尊は携帯画面に神宝図を映し出した。
写真をデータ保存しておいたのだ。
【
「なるほど……そっくりだ」
「それに何より確かな証拠は、私自身が身をもって体験したということ」
尊は、神社で襲われた一件を話して聞かせた。
USBがローブに変容し、異形を撃退したいきさつも説明する。
一瞬、時空の顔がこわばる。
「それで、怪我は無かったのか」
「大丈夫よ。これが守ってくれたから」
心配顔の時空の鼻先に、尊はUSBを近付けた。
「こいつが……」
「その話は後回しよ。それより、あなたに話しておく事があるの」
部屋に入ると、尊は机上のパソコンを起動した。
先ほどのUSBを差し込み、キーボードを操作する。
ほどなく、古文書のような紙面が映し出された。
「これ、
そう言って、尊は画面を拡大した。
かすれてはいるが、確かに【八刀神】らしき文字が見て取れる。
「コピーって……いいのか?そんな勝手な事して」
「いいわけないじゃない。でも、あまりお父さんに頼ってばかりだと、その内気付かれてしまう。今はまだ、話を公にする段階じゃないと思うし……まわりの人たちが、危険に
どうやら彼女も、自分と同じ危惧を抱いているようだ。
時空は何も言わず、大きく頷いた。
「それで、一体何を調べてたんだ?」
時空は、モニターから尊の方に目をやった。
「始めは、私たちを襲ったあの黒装束の事を調べるつもりだったの。
「何か分かったのか?」
興味深げな表情で尋ねる時空に、尊は肩をすくめてみせる。
「黒装束に関しては、何も……その代わり、気になる記述を見つけたわ」
尊は一呼吸置くと、古文書の画面に目を向けた。
眉間によせた皺が、その内容の重要性を物語っている。
「……この日誌には、神社に関する【ある秘密】が記されている事が分かった。翻訳された文献が無かったから、読み解くのにかなり苦労したけど……実質、廃棄されたような神社だし、歴史的価値は薄いと見なされたのかもね。仕方ないので、古文辞書と睨めっこしながら、自分なりに翻訳してみた。断片的だけど、何とか内容は把握出来たわ。今から、ポイントだけ説明するわね……」
時空も穴が空くほど画面を睨んだが、
こんなものを自力で解読するとは、まさに天才だな……
時空は、尊敬の眼差しで尊を見つめた。
「神社の創建時期については、前にも言ったようにはっきりしない。仮名文字の普及が平安時代だから、それ以降であるのは間違いないけど……とりあえず分かったのは、例の神鏡が八握剣である事は周知の事実だったらしいということ。祭神の呼び名も、『
時空の顔を正面から見据え、尊は話し始めた。
「一般的な神社と違って、祈祷や祭司に関わる行事は一切行っていなかったみたい。神事や参拝に関する記録が全く無いから……外部との交流を絶った、一種の隠れ里と言えるわね」
まるで、朗読するかのような声が室内に響く。
時空は、ただ黙って聞いていた。
「でも、神主はいたみたい。文中に系譜があって歴代の神主の名前が記されていたから」
尊が画面を切り替えると、細かく傍線の引かれた系譜らしき図柄が現れた。
「そして、次が驚きなんだけど……この神社の神主は世襲では無く、村人の中から選ばれていたようなの。選任方法までは分からないけど、系譜の名前の横に『〇〇村〇〇』と
時空が目を凝らすと、確かに名前の横に小さな但し書きが確認出来る。
当時、最低の身分であった農民が神官を務める……
歴史に
単に特異な風習だったのか、それとも他に何か理由があったのか……
当然ながら、何の答えも思いつかない。
「文中には、当時の村人の人数は三十人だったとある。そして神主の系譜を数えてみると……」
尊の言葉を待たず、時空は系譜の名を数えた。
「……さんじゅう!」
大きく目を見開く時空。
何だ、これは!?
これでは、村人全員が神主だった事になる……
そんな、バカな事があるのか?
時空は、思わず尊を
「そう……前任者が神職を果たせなくなると、すぐに次の農民がその任につく。そうやって、入れ替わり立ち替わり神主を務めた。最後の一人に至るまで……」
「一体、何故そんな事をしたんだ?」
声を上げる時空を見て、尊は肩をすくめた。
そして、系譜の最上段を大きく画面拡大した。
「一つだけ……その答えらしきものを見つけたわ」
そこには、二つの仮名文字が記されていた。
【供儀】
「これ、『
時空は耳を疑った。
「いけ……にえ!?」
信じられないといった顔で、尊を凝視する。
「そう……あなたの言いたい事は分かる。私も同じ反応だったから……」
尊は大きく深呼吸すると、意を決したように説明を続けた。
「この社務日誌から導き出した、私の結論は次の通りよ……」
そう言って、尊は改めて真剣な眼差しを時空に向けた。
「神主に任命された者の役目は、神事を行う事じゃない。彼らは【何か】に対し、その身を捧げるために選ばれたの。表向きは神主という名目でね……そしてそのために、村人全員が犠牲となった。系譜に記された人数が、それを物語っている」
「そんな……」
思わず言葉を詰まらす時空。
「一体……何の犠牲になったって言うんだ!?」
思わず声を荒げる時空。
尊の推測は、恐らく正解なのだろう。
村人全員を神主に
そして、自分が今放った問いの答えも、あらかた察しはついていた。
分かっていても、聞かずにはいられなかったのだ。
時空は、心奥にどす黒い恐怖心が渦巻くのを感じた。
「……それは恐らく、この神社の祭神……
予想通りの返答が返ってくる。
驚きよりも、耐えがたい嫌悪感が心中を満たした。
はるか昔──
三十人もの命を喰らった神器──
自分は、その継承者だと言われている。
何故だ?
何故そんな悪魔みたいなものを、自分が引き継がねばならないのだ?
八握剣と自分には、どんな
「……ここに書かれている事は、本当なのか?」
時空は、質問とも独り言ともつかない口調で呟いた。
この日誌そのものが、ただの作りものなんじゃないか……
「……分からない」
抑えた声色で、尊が答える。
「実際、この日誌を誰が書いたのかも分からない。最後に残った農民かもしれないし、それ以外の第三者かもしれない。ただ……」
一瞬言葉が途切れ、尊の表情がこわばる。
「ただ、もし……もしこれが事実だとしたら、あなたにも同じ事が起こるかも……」
それ以上は言葉が続かなかった。
尊の端正な顔が苦悶に歪む。
大切な者を失う事への恐怖心が、彼女に耐えがたい苦痛を与えているようだ。
それが痛いほど分かる時空も、返す言葉を思いつかなかった。
しばし、沈黙の時が流れる。
突然、静寂を破るように尊の携帯が鳴り響く。
二人はハッとして、顔を見合わせた。
尊が、ポケットから携帯を取り出す。
「もしもし……」
「……せ、先輩を……時空先輩を……」
「だれ?……いおり!?」
「時空……せんぱ……」
「どうしたの、伊織?……伊織っ!?」
「なんだ……伊織からか?」
困惑する尊を見て、時空が声をかける。
そのまま携帯を受け取り、耳にあてた。
「どうした伊織。何があった?」
「……たす……けて……」
「しっかりしろ!今どこだ」
「…………」
「おいっ、どうした!?」
「…………」
「何があ……」
「クックックッ……」
会話の途絶えた伊織に代わり、気味の悪い声が流れてきた。
「クックックッ……」
鳥の鳴き声にも似たそれは、笑っているようだった。
「誰だ、お前は!?」
時空が叫ぶ。
「クックッ……女は預かっている。助けたくば、廃工場跡まで来い」
神経を逆撫でするような、不気味な声だった。
「なんだとっ!貴様、伊織に何をした!?」
声を震わせ、問いただす時空。
しかし、相手の音声はすでに途切れていた。
「どうしたの?」
「分からない……伊織の身に何かあったようだ。変な奴が、廃工場跡に来いと言ってきた」
「廃工場跡って、学校の裏山の……?」
そう言って、尊は戻された携帯を操作した。
発信音が鳴り続ける。
「……駄目だわ。伊織が出ない」
尊が青ざめた表情で、時空の顔を見た。
その表情は、怒りと後悔で
心中で、自らを激しく叱咤する時空。
身辺に危険が及ばぬよう、今回の件は公にしていない。
だが、長須根伊織は別だ。
剣道場では、彼女も黒装束に襲われたのだ。
口止めしたとは言え、彼女が標的にされる可能性はあった。
何やってんだ、俺は!
伊織を守れなかった悔しさが、時空の胸を締め付ける。
「あなたのせいじゃないわ」
それを見透かしたように、尊が囁く。
「それでも……俺の責任だ」
そう言い放つと、時空は立ち上がった。
助けに行かねば……
時空の全身に、燃えるような闘気がみなぎった。