19話 出発前夜
「いってぇ...」
四つ耳を持つ混血の男が、狐耳の少女アリサに介抱されている。自らの魔法で右腕に負った火傷に水をかけるたび、男は思わず声を漏らした。
「当たり前でしょ。腕に炎なんて纏えば火傷するに決まってるじゃない」
アリサはそう言いつつも、それ以上理由を問うことはしなかった。そのやりとりを横目に見ていた熊人族のグリアナが呟く。
「混血であっても誇りはあるのだな」
「グリアナ様も集めてくださいよお~」
「...分かった。手を貸そう」
箒を手に、瓦礫やホコリを集めていた銀髪の少女シャイラが文句を言いながらグリアナを呼びつける。大人しく従う彼女を見て、シャイラはほくそ笑む。今回は彼女に分があったようだ。夕陽が傾き始める中、ストーンヘイルの街は住民総出で片付けと負傷者の治療に追われていた。
「グリアナ卿、温泉宿の店主と話してきました。」
「ああ、助かる。」
温泉宿は先刻の『暴風』で跡形もなく吹き飛ばされてしまった。そして、その店主がウタ達と一緒に村からきた熊のような狼人族のリオンだったのだ。十数年前からお金を貯めて先代オーナーと交渉し、ようやく手に入れた矢先の出来事だった。運がないという他ないが、グリアナは立て直しの費用を全て私費で払うと約束し、先ほどリオンに伝えてきたところだった。
「陽も落ちた。お前たちはもう休んでくれ」
「グリアナ卿も今日は休んでください!」
「そうです、宿でゆっくりしましょう」
「む...それもそうか...」
街の損壊に責任を感じていたグリアナは雑務に追われていたが、二人に諭されるとどっと疲れが押し寄せてきた。
「ウタ、これからルネと一緒に食べながら話をしよう」
「話?」
「明日から私とシャイラの四人で首都に向かう。ここ300年は魔抜けが起きた事は一度もなかった。それに本の件も議員達に報告しないといけない」
元々、ルネと一緒に首都に向かう予定だった。しかし、現在ウタとルネは帝国のスパイであって一緒に旅をするのは些か危険な気がした。ウタはそう判断し、特に何も言わずにおいた。
「なるほど、場所は?」
「泊まってるのは、石割人の休息所だろう?そこでいい」
「分かりました。じゃあ後で。」
──まさか部屋にまで来ないよね
一瞬不安になるウタだったが、早くルネに話しておく必要があると判断して早々に離れていく。
「みんな!もう日が落ちてきた!今日は全部私が奢るから──」
後ろからそんなグリアナの大声が聞こえ、やがて歓声が聞こえてきた。
ルネと合流する為に宿に向かうウタ、ふと疑問が浮かぶ。
──どうしてグリアナが部屋に来るのを嫌がるのだろう...
◇
宿の部屋では、ブロンドの長い髪を横で束ねた少女ルネがベッドにうつ伏せになり、霊気の本をじっと観察していた。今朝の出来事を経て、表紙や背表紙に金色の模様が浮かび上がったが、中身は真っ白のままだ。
「開いてるよ〜」
ルネが寝そべったまま返事をすると、ウタが静かに入ってくる。
「不用心じゃない?」
「そう?」
「何かあったらどうするの?」
ルネは本から目を離し、ベッドの端に座り直すと両手を広げた。
「ウタが泣いちゃう?」
「...そうかも」
その返答にルネはくすぐったそうに笑い、近づいてきたウタの手を引いて抱きしめる。
「ちょっ...」
「グリアナと対峙したとき、すごく怖かった」
「それはごめん。もうあんな無茶はしないよ。」
「ん、そうして」
抱きしめる力が強くなり、「はぁぁぁ...」と感嘆の声を漏らしているルネ。ウタはその姿が愛しく思えて頭に手が伸びる。が、ルネが鼻を鳴らしウタのお腹を嗅ぎ始める。つい焦ってしまうウタ。
「ご、ごめん。臭う?」
その言葉にルネはウタを見上げる。目が妙にキラキラしており息も荒くなってきてる。様子がおかしい。
「いい匂い 」
「え?」
「ウタ、お願いがあるの...」
上目遣いでお願いごとを始めるルネ、嫌な予感しかしないウタは何も言わない。ルネは目を逸らして恥ずかしそうにお願いする
「お、おしりを嗅がせて...」
「 絶 対 無 理 ! 」
予感は的中し、お尻の匂いを嗅ぎたい願望を開示されてしまう。即答で拒否すると太ももを掴まれる。
「イタッ?! つ、つめ...爪が刺さってるからっ!」
「ご、ごめんね。猫だからつい...少しだけでいいから!」
「ダ、ダメに決まってるでしょ?!」
──それにあなたは人間でしょう?!
既に上気した顔でウタを後ろに向かせようと、力を入れていくルネと必死に抵抗するウタ。だが、ドアの外からそれを見ていた二人に声をかけられる。
「楽しそうにしてる所悪いが、食事にしよう」
「いっくよお」
ウタとルネが同時にそちらを見ると、そこにはグリアナと虎人族のシャイラが立っていた。どうやらドアのカギをかけ忘れ、ノックの音も聴き逃したようだった。
しばし、沈黙が流れた。
◇
「っしょー♪」
軽い掛け声とともに、シャイラが食事をテーブルに並べ、最後にどかっと座り込む。ここは石割人の休息所、一階の食堂スペース。四人がテーブルを囲んでいるものの、どこか気まずい空気が漂っていた。原因に思い当たったシャイラが、唐突に話題を切り出す。
「あたしもお尻嗅ぐの好きだよー」
その言葉に、ルネはみるみる赤くなり、手で顔を隠してしまう。
「シャイラ、追い打ちをかけるな。まずは混血の、男の処遇について話そう」
グリアナが咳払いして場を整える。その声にルネは手を下げ、顔を赤らめたまま視線を向けた。
グリアナは語る。混血の男――まだ名前はないが、彼がアリサを助けるために命を張ったこと。そしてその場面を多くの街の人が目撃しており、彼への比較的印象が良好であることを。腕の怪我が癒え次第、この宿で働かせる予定であることも付け加えた。
その話に、ルネが疑問を口にする。
「待って、どうして混血はすぐ処分されるの?」
「無差別に処分しているわけではない。事実、私はあの男の存在を知っていた」
「それって、見て見ぬふりしてたってこと?」
今度はウタが問いを投げる。
「一応、そういうことになる。混血でも女なら軽犯罪でも保護の対象になるが、男性だと話が変わる」
グリアナは淡々と説明する。過去の悲劇により亜人には女性しかいない。その中に男性が混じると、住民たちは不安を感じる。さらに、混血の男性の犯罪率は高いという事実もあった。ただし、あの男は例外だという。その理由ははっきり語られなかったが、子を成せない体質であるとだけ明かされた。
その後、グリアナは今後の話を切り出す。四人で首都へ向かい、御前や議会で証言する必要があるという。強制ではないが、ストーンヘイルの保証や復興に関わる重要な話であるため、街を思うなら同行してほしいと。
「こんな言い方をして悪いが、これは事実だ。それに、今から首都に向かえば春までこちらには戻れない」
「え、そうなの?」
ウタが思わず声を上げる。彼女のいた世界では、気候による交通麻痺は珍しかったが、この世界では常識だった。
「ノクティリアの冬は厳しいからにゃー」
「雪で道が埋まって進めなくなるのよ。馬車なんてとても無理」
「私の馬なら可能だがな」
シャイラが戯け、ルネが補足し、グリアナが少し誇らしげに答える。そのやり取りに、ウタは小さな疑問にもみんなが答えてくれる心地よさを感じた。
その後、話題はほとんど雑談に移り、明日、日が高くなる前に北門に集まることを確認して四人は解散した。
◇
部屋に戻ると、ルネが窓を開けて三つ子月の輝く夜空を眺めはじめる。その姿にウタは声をかける。
「みんな、いい人だね」
「そうね。でも、人間だとこうはいかないわ」
「そうなの?」
「私が知る限りは、ね」
ルネは窓際に腰掛け、一方の足を窓枠に乗せる。ブロンドの髪が夜空に映え、美しかった。しかしその横顔は少し物悲しそうに見えた。
「それが理由?」
「それもあるわ。その…子供の頃はよくいじめられたの。」
帝国情報部にいる理由を尋ねられると、ルネは少しウタを見つめた後、視線を外して口を開いた。
「わたしは女の子が好きなの。亜人ならそれが普通だけどね。でも、人間だと違う…。たぶん、憧れみたいなものだと思う。」
ルネはぽつりと呟き、再びウタを見た。その瞳はどこか不安げで、ウタは自然と彼女のそばへと歩み寄る。
「ウタは優しいよね。本当に甘えちゃうし、どこまで許してくれるのか、試し...知りたくなるの。」
ルネの言葉に、ウタは少し考えてから静かに答えた。
「ルネのこと、好きだよ。」
その言葉にルネは驚いたように目を見開き、しばし無言のままウタを見つめた。
「でも…経験がないから。恋愛感情って、よく分からない。」
「そうだよね。」
ルネは困ったように笑い、小さく息を吐く。
「ルネは、私のこと好き?」
「好きだよ。」
その答えに、ウタの胸はじんわりと温かくなった。彼女の手をそっと取り、思いを込めるように指を絡める。
「ルネに応えたい。どうすればいい?」
「また、そうやって…。いいようにされちゃうよ?」
ルネはウタの首に両手を回し、彼女を引き寄せた。
「あ、でもお尻を嗅ぐのはダメ。まだ恥ずかしい…」
「ふふ、分かった。準備ができたら教えて」
「うん。」
「本当にしてくれるんだ。」
ルネが思わず吹き出し、楽しそうに笑い始める。その姿を見てウタは少しむくれた表情を浮かべた。
「嗅ぎたいんだよね?」
「は、はい…」
「じゃあ、待ってて。」
「ありがとう。」
言葉が途切れると同時に、ふいに唇が触れ合った。ルネの柔らかな息遣いが耳元に感じられる。
「今日はこれで我慢する。」
「うん。」
ルネが窓を閉めると、二人はベッドへと入った。真っ暗な部屋の中、ルネがそっと両手を広げたのが分かる。その仕草がウタにはとても愛おしく、そして安心できるものに感じられた。
ルネの音がする──