捨てられ令息
「大変なことになった!」
父から勘当を言い渡されたエミールは、大慌てでイングリッド・ウェントワース男爵令嬢のもとへと向かった。
住む家としては、ペントハウスを与えられたものの、エミールは不満だ。
「家なんて沢山持っているのに、その中で一番小さい家……いや、家とも呼べない物件しか寄こさないなんてっ。アレは部屋だぞ? 確かに1人で暮らすには充分だけど……この私が住むのが家ですらないなんてっ」
財産は譲られてはいたものの、エミールはイングリッドのために大半を使い果たしていた。
手持ちの金は少ない。
「亡き母上の財産を相続できるが、そちらはすぐというわけにはいかない。でも、ものは考えようだ。 これでアデルとの婚約はなくなった。晴れてイングリッドと結婚することができるぞっ」
だから、エミールはイングリッドのもとに向かっているのだ。
それに、ウェントワース男爵家は金持ちではないが、小さいが屋敷を持っている。
小さいが領地も持っていのだ。
そこにエミールが入れば、商会を運営するための才覚を活かして儲けを出していけることだろう。
「そこへ母上の遺産が入ってくれば、もっと大胆な商売の展開もできるようになる。ウェントワース男爵家にとっても悪い話じゃない。なに、私に爵位がなくたって、イングリッドの家は男爵だ。彼女は一人娘だし、私が婿養子に入るのは損なことにはならない。メリットの大きな結婚だ」
エミールの未来は、明るかった。
ウェントワース男爵家に辿り着くまでは。
「アデル嬢との婚約はなくなった。イングリッド、私と結婚してくれ!」
宝石も、ドレスも、花すら持っていなかったが、エミールはイングリッドが受け入れてくれることしか頭になかった。
だから屋敷の玄関にイングリッドの姿が現れたとき、迷いなく彼女の前にひざまずき彼女へ求婚したのだ。
「エミールさまぁ~、それは出来ませんわ~」
だが返ってきたのはエミールの予想に反した答えだった。
「えっ? だって……」
財産も、地位も、何もないが私はここに居る。
エミールは男爵令嬢が喜んで自分を受け入れてくれるものと信じて疑わなかった。
なのに――――
「どうしたイングリッド? 何かトラブルかい?」
「アダムさまぁ~」
屋敷の奥から出てきた男性に、イングリッドは嬉しそうな笑顔を向けた。
「貴方は……カルローニ伯爵の息子さんですね? 私の婚約者に何の御用でしょうか?」
「……は?」
エミールは意味が分からなかった。
イングリッドの婚約者?
茶色の髪と瞳のいたって平凡で地味な男が、イングリッドの婚約者だって?
いや、そもそも婚約ってなんだよ⁉
「こっ……婚約者って……」
「うふ、エミールさま。私はこのアダムさまと婚約したのですわぁ~」
イングリッドは婚約者の腕に手を絡め、嬉しそうに笑みを浮かべている。
「えっ⁉ だってイングリッドは……」
イングリッドは私の恋人で、私のものなのでは?
混乱するエミールの前で、アダムは嬉しそうに話す。
「貴方とイングリッドの間にあったことは知っています。それを承知で彼女に婚約を申し込み、受け入れてもらいました。ウェントワース男爵にも快く承諾していただき、私は晴れてイングリッドの婚約者になれました」
「うふふ。エミールさま。アダムさまは秋に外国へ商談にいくご予定があるの。で、それにあわせて私たち、秋に結婚することが決まりました」
イングリッドもハートを飛ばす勢いで幸せそうにしている。
「ああ、新婚旅行が仕事絡みというのは可哀そうなのだが……イングリッドは快く受け入れてくれて。素晴らしい女性だ」
「まぁ、嬉しいですわ。アダムさまぁ~」
目の前でいちゃつくカップルを、エミールは唖然として眺めていた。
「ということで。これから式やらなんやらの結婚に関する打ち合わせがありますので、この辺で失礼させていただきます」
「そういうことなの、エミールさま。エミールさまも、お幸せにね」
仲良く二人してエミールに手を振ると、アダムは近くにいた使用人へ目配せをした。
使用人が礼儀正しく進み出て、扉は静かに閉められた。
大変なことになった。
エミールは閉められたドアの前で、しばし茫然とたたずんでいた。