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二日目⑥ 茜色の接近戦

 もしかしたらタロと樹が校門で待ち構えているのではないかと、半分ビクビクしていたのだが、幸運にもそれは杞憂で終わったらしい。
 いや、逆に待ち構えてくれていた方が、妃奈子と二人で帰ると言うイベントを回避出来、緊張しないで済むので逆に良かったのかも……い、いや、これは折角のチャンスだぞ!? そんな弱気な事でどうするんだ、太郎ッ!

「ふふっ、それにしても久しぶりだね。こうして二人で一緒に帰るのって」
「あ、えと……うん、そうだね」

 兎にも角にも、校門で逃げずに妃奈子を待っていた太郎は、何の障害もなく妃奈子と合流し、そのまま帰路へと着いていた。

「一緒に帰るのって、何年ぶりかなあ? えっと、小学校以来、だっけ?」
「うん、中学になったら部活動とか忙しくなっちゃったしね」

 茜色の光の中、長い影を引き連れて二人は歩く。

 それにしても本当に久しぶりだ。
 小さい頃は、毎日一緒に登校して、一緒に下校していたのに。
 まあ、あの時はもっと明るい時間だったり、真ん中には喧しいお姉さんがいたりと、今日とは違う事が多々あったのだが。

「あ、でもよく考えたら、二人っきりって言うのはあんまりないかな? だいたい樹お姉ちゃんも一緒だったし」
「そう言えばそうだったね。じゃあ、二人で登下校したのって……あれ、いつが最後だろう?」
「四年生かな? 樹お姉ちゃん、五年生になったら、朝は委員会があるからって先に行くようになっちゃったし、夕方も遅くまで残るようになっちゃったから。ああ、でもその頃には同性の友達と帰る事が多くなっていたから……四年生の最初の方で最後になるのかなあ?」
「そっか。その頃から友達関係の問題で、あんまり一緒に登下校する事はなくなって行ったんだっけ?」
「うん。ああ、でも、お姉ちゃんが早く帰れる日は、無理矢理三人で帰らされたりしていたね」
「あはは、そうだったね……」

 うん、そうだ。よくよく思い出してみれば、二人で一緒にいたと言うよりかは、三人で一緒にいたと言う記憶の方が多い。

 だから妃奈子と二人で一緒にいたと言うよりは、妃奈子と樹の三人で一緒だったと言った方が適切なようだ。

「三人でいる時って、いっつも樹姉ちゃんばっかりが喋っていたよね。遊ぶ時も仕切っていたし」
「ふふっ、太郎君、いっつもお姉ちゃんに振り回されていたよね?」
「それを見て妃奈子ちゃんは、いっつも笑っていたよね」
「あはは、そうだったね」

 二人で昔話に花を咲かせながら歩くのは、毎日歩いているハズの通学路。
 それが隣で彼女が笑っているだけで特別な道に思えて来るのは、彼女が笑顔を向けているのが、他の誰でもない自分だからなのだろう。
 それが心躍る程に嬉しくて。

 茜色の夕焼けの中、太郎はほっこりと幸せな気分になれていた。

「あれ? そう言えば妃奈子ちゃんって自転車通学じゃないの?」
「え?」

 ふと、太郎が思い付いたようにして、唐突に妃奈子に疑問を抱く。

 当然妃奈子は、その唐突すぎる疑問に、不思議そうに首を傾げた。

「うん、自転車通学じゃないけど……。だって、太郎君だって、自転車通学の許可下りなかったでしょ? 私の家、太郎君の家の近所だよ? 太郎君に許可が下りなかったら、私にだって下りないよ」
「あ、うん、それはそうなんだけど……」

 朝、友人A、改め、土田と話していた太郎との会話からも分かるように、太郎の家は比較的学校の近くにあるため、自転車通学の許可が下りなかった。
 だから太郎の近所に住んでいる妃奈子にだって、自転車通学の許可が下りるわけがない。
 そんな事、太郎だって当然知っているハズなのに。

 それなのに突然、何を言い出すのだろうか。

 しかし不思議そうに首を傾げ続ける妃奈子に対して、太郎もまた不思議そうに眉根を寄せた。

「でも、樹姉ちゃんって、自転車通学でしょ? 朝登校する時、僕、何度か凄い勢いで追い抜かれた事あるし。妃奈子ちゃんの家って、樹姉ちゃんの隣だよね? だから姉ちゃんに許可が下りているんなら、妃奈子ちゃんもギリギリで自転車通学出来る距離なんだと思ったんだけど……」

 確かに太郎の住んでいる地区は、自転車通学の範囲外だ。
 しかし、近所に住んでいるハズの樹は、何故か自転車で登校している。
 だから太郎は思っていたのだ。
 同じ地区に住んでいたとしても、樹と、彼女の隣の家に住む妃奈子は、ギリギリで自転車通学の許可が下りがのではないか、と。

「あ、そう言う事ね」
「え?」

 太郎の持つ疑問の意味を、ようやく理解したのだろう。
 ポンと手を打つと、妃奈子はクスクスと仕方がなさそうに苦笑を浮かべた。

「お姉ちゃんにも私にも、自転車通学の許可なんて下りていないよ」
「え?」
「お姉ちゃんはね、途中で自転車を乗り捨てているんだよ」
「は……?」

 妃奈子に許可が下りず、樹に下りているのであれば、また樹が『生徒会長の権限』なるモノを使用しているのかと思ったが、どうやらそう言う事ではないらしい。
 しかしサラリと述べられたその理由もまた、生徒会長にあるまじき行為である事に代わりはなくて。

 思わずキョトンと目を丸くする太郎に、妃奈子は更に説明を続けた。

「学校の近くにコンビニがあるでしょ? そこに預けて、そこからは徒歩で来ているんだって」
「え? でもあそこって、生活指導の清野が目を光らせているって噂の場所だよね? 自転車通学の許可が下りていない人達が、乗り捨てて行くのに丁度良い場所だから」
「うん。でもあのコンビニの店長さんとお姉ちゃんはお友達なんだって。だから清野先生が見ていない裏側から入って、そのまま裏口に置かせてもらっているらしいよ」
「ええ? でも、毎朝姉ちゃんがコンビニにいたら、さすがに怪しまれるんじゃないの?」
「ね、だからお姉ちゃん、清野先生に何度も問い質されているんだって。でもほら、証拠がないわけじゃない? 仮に清野先生がコンビニの店長さんに話を聞きに行ったとしても、店長さんが「毎朝来るお客さんです」とか、「その自転車は私のです」とでも言えば、先生はそれ以上何も言えないわけだし。まあ、あの店長さんって、先生の苦手なガタイの良い強面の年上男性だから、先生も聞きに行ったりはしないと思うけどね」
「な、なるほど……さすが姉ちゃん、悪知恵においては天才的だね」

 生徒会室を私物化し、生活指導担当教諭の苦手人物を味方に付けた上で、許可されていない自転車で通学。その上タロを掌で躍らせ、現在進行形で二次元の恋人との夢の逢瀬を楽しんでいる。

 こんな人が生徒会長で、あの学校は大丈夫なんだろうか。
 自分が心配する事ではないが、それでも我が校の行く末が心配になって来た。

「何で樹姉ちゃんが生徒会長なんだろう……?」

 誰だ、彼女を生徒会長に推薦したのは。
 そして誰だ、彼女に投票なんかしたのは。
 とにかく副会長は苦労しているんだろうな。可哀想に。

 そう同情しながら、太郎はついポロリと、本音を零してしまった。

「あっ、で、でもね、樹お姉ちゃんって、凄く思いやりがあるでしょ? それにとっても頼りになるし! みんな、そこを評価してくれたんじゃないかなっ?」
「……」

 突然、夜通し神経衰弱をやろうと人の家に上がり込み、そこでタロを見付けて騒ぎ立て、タロに会いたいがために生徒会室を貸し切りにし、面白半分で人の恋愛を引っ掻き回す。

 これらのどこに思いやりがあると言うのだろうか。
 しかし、頼りになると言うのであれば、それはまあ分からなくもない。味方に付けたら頼もしそうだしな。

「それにほら、あんまり頭が固い人とか、意欲的に行動する人が生徒会長でも大変でしょ? 地域の人と活発に交流するべく、毎朝通勤時間に駅に並んで、通る人達に挨拶をしよう、なんて挨拶運動みたいな行事作られても面倒だし。だからお姉ちゃんみたいに、若干緩い人の方が良いんだよ!」
「そうかなあ……」

 それにしては緩すぎる気もするが……。

 しかし大した長所もなさそうな樹から、瞬時に良いところを探し出し、彼女を庇う事の出来る妃奈子は凄いと思う。
 人の悪いところは嫌な程目に付くが、人の良いところと言うのは中々見付ける事が出来ない。

 だからそれを簡単にやってのける妃奈子は凄いのだろう。
 それに、とても優しいし……。

(きっと僕は、姫奈子ちゃんのそんなところに惚れちゃったんだろうなあ……)

 樹の長所を見つけ出し、それを一生懸命説明している妃奈子を見つめながら、太郎は優しく目を細めた。

 ああ、やっぱり変わっていないなあ、と。

「……って、それよりも太郎君!」
「えっ!? あ、な、何っ!?」

 不意に大きく名前を呼ばれ、太郎はハッとして我に返る。

 突然どうしたんだろうと思いながら見れば、さっきまで懸命に樹の長所を語っていた妃奈子が、怒ったような心配しているような微妙な表情で太郎を見つめていた。

「話は聞いているよ。太郎君、東高の人達によく絡まれているんだって?」
「えっ!?」
「今年に入ってから、結構絡まれているんでしょ? 昨日だって、東高の人達にカツアゲされたらしいじゃない」
「えっ、あ、それは、その……っ」

 何で、太郎が柄の悪い人達によく絡まれている事を知っているんだろう。
 しかも昨日の事まで何故……?

(確かに樹姉ちゃんには、よく絡まれている事を話したかもしれないけど……)

 いやしかし、昨日の事はまだ樹には話してないぞ?
 それなのに何で昨日の事まで知っているのだろうか。

「土田君から聞いたの」
「はあああっ? 土田ぁ!?」

 そう言えば、今日の何時間目かの休み時間に、昨日の事を隣の土田には話したような気がする。

「えっ、妃奈子ちゃんと土田って仲良いの!?」

 友人Aと幼馴染の初出し情報に、太郎は思わず妃奈子に詰め寄ってそう問い掛ける。

 すると妃奈子は、ほんのりと頬を赤く染めながら、気まずそうに太郎から視線を逸らした。

「う、うんと、そこまで仲が良いわけじゃないけど……ちょっと一緒にお昼ご飯食べたりするくらいかな?」
「お昼ご飯んっ!?」

 お昼ご飯って、お昼ご飯って、お昼ご飯って……ッ!?
 嘘だろ? まさか、あの土田と妃奈子が、そんな深い仲になっていただなんて……!

「え、え、ま、まさか毎日一緒に食べている……なんて事は……」
「うん、まあ……だいたいは二人で食べているかな?」
「二人でぇッ!?」

 しかも二人っきりだなんて!
 ふざけるな、土田!
 僕だって、妃奈子ちゃんと一緒にお昼なんて食べた事ないのにっっ!

「け、結構仲が良いんだね……」
「え、あ、違う、違う! そういうんじゃなくって!」

 顔面蒼白でフラリと眩暈を起こす。

 すると妃奈子は、顔を赤くしながらも、慌てたようにブンブンと首を左右に振って否定した。

「土田君とは、一緒にお弁当食べているだけなんだよ! 本当だよ! 太郎君だって、お友達と一緒にお弁当食べるでしょ? それと一緒だよ!」
「僕の場合、一緒に食べているのは男友達です……」
「わ、私だって男友達だよ!」
「それは、そうだろう、けど……」

 まさか妃奈子は土田が好きなんじゃ……いや、むしろもう二人は付き合っているのではないだろうか。
 いや、でも土田って樹が好きって言っていたよね? え、でもあれって、恋愛的な好きではなくて、憧れ的な好きってヤツ?
 うん、そうだよね、だって二人は一緒にお弁当を食べている仲なんだし、いや、でも土田は巨乳派だって言って……。

え、どうなっているんだ!?

 頭がグワングワンと揺れている気がするが、その真実とやらは怖くて聞けない。
 だって妃奈子がはにかみながら、「うん、実は土田君と付き合っているの」なんて言われた日には、ショックで立ち直れない。三日は寝込む。そして土田を呪う。

「と、とにかく! 東高の人達には気を付けてね! 太郎君が怪我でもしたらって考えたら、私すごく心配だよ!」
「あ、うん、気を付けるよ……」

 心配してくれるのは嬉しいが……しかし既にもうブレイクンハート、傷心の身である。

「それじゃあ太郎君、また後でね」
「え……? あ」

 話をしていたり、ショックを受けたりしていたせいで気が付かなかったが。

 どうやらもう家の近くまで来ていたらしい。
 近所の小さな十字路で妃奈子が「また後で」と声を掛ければ、太郎はようやく我に返ったようにハッとした。

「後でまた太郎君の家にお裾分けに行くね。今日はビーフカレーだって言っていたから。お肉、いっぱい入れて行くね!」
「え!? あ、ありがとう!」
「うん!」

 別れ際に申し出てくれた、彼女のその好意。
 いつものように遠慮するのではなく、それを素直に受け取れば、妃奈子はとびっきりの笑顔を他でもない自分に向けてくれる。

「じゃあ、バイバイ、太郎君! また後で!」
「あ、うん、また後でね、妃奈子ちゃん!」

 その笑顔を自分だけのモノにしたいとか、あの頃のようにこれからもずっと一緒にいたいとか、今日のように明日もまた彼女と沢山話したいとか……それは当然思うし、本当に土田と妃奈子が付き合っているのではと考えれば苦しくなる。

 だけど……。

(でも、うん、このままで良いんだ。姉ちゃんにも、タロにもそう言ったじゃないか)

 たまに妃奈子が向けてくれる、自分だけへの笑顔に、自分は満足しているのだ。
 それに何より、自分が前に進もうとする事で、彼女との『友達』関係が崩れてしまうのが、何よりも怖い。
 前に進むのが良い事ばかりとは限らないのだ。
 前に進んだら、もう後ろには下がれない。
 一度友達関係が崩れてしまったら、それはきっともう元には戻らないのだろうから。
 たまに向けてくれる自分だけへの笑顔ですら、向けられなくなってしまうのだから。

(だからずっと、このままでいたいんだ……)

 妃奈子の隣に立つのが、見知らぬ誰かではなくて、よく知る友人になってしまっただけの事。
 何も問題はない。

 大きく手を振りながら去って行く妃奈子を見送りながら、ズキリと痛む胸の奥の何か。

 太郎はそれに、気付かないふりをした。

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