バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

12話 開け放たれた密室





石で組まれた頑丈な階段をのぼり、「石割人の休息所」の二階に上がる──

廊下には窓が一切なく、昼間にも関わらず薄暗かった。一番奥の部屋の鍵を開けて中に入ると、四畳半よりも狭い。両開きの木製の窓がひとつ、石造りのベッドがひとつ、石のサイドテーブルがひとつあるだけの簡素な部屋だった。


「何もないね。」


ルネはそれには答えず、大きな麻袋を床に下ろし、窓を開ける。外の風が入ってきて部屋が明るくなり、彼女は深呼吸をしているようだった。


「石造りだから声が響きやすいのかな?」


そう言いながら壁を軽く叩いてみるが、石壁は頑丈でびくともしない。ルネは肩をすくめながら笑う。


「ん〜...隣の部屋から何か聞こえた試しはないよ。」
「なんでアリサは『声を出すなよ』なんて言ったんだろう?」

「...わたしが誰かを連れてくるのが珍しいから、からかってただけだよ。」


ルネは窓際の少し出っ張った部分に腰を下ろし、こちらを振り返った。彼女の顔はまだ少し赤い。


「ルネは人気者に見えるから、なんか意外だなぁ。」
「ふふ、こっちの人は人懐っこいからね。」


──「こっちの人」って、たぶん亜人のことだよね。

そう思いながら、彼女が笑う姿を見る。最近わかってきたけど、ルネは亜人たちに対してかなり好意的な感情を抱いている。


「ほんとにね。」
「ウタがいた世界はどんな感じだったの?」


石造りのベッドが気になり、座ってみる。藁を詰めた布が張られていて、柔らかい。


「私がいた世界には、人間しかいないんだ。亜人や魔族はいない。」
「えぇ...そうなんだ?」


彼女は驚いたような声を出す。その反応を見て、私は少し間をおいてから続けた。


「あ、でも『私』がいるかな。」


ルネは不思議そうに首をかしげる。


「どういうこと?」


私は小さく息をつき、目を伏せながら言葉を選んだ。


「私は人間じゃない。」


その言葉に、ルネの目がわずかに見開かれる。


「私はアンドロイドだよ。人間に作られた...その、作り物なんだ。」


彼女の表情が一瞬固まる。その後、質問が途切れることなく飛び出してきた。私は少しずつ自分のことを語る。人間の感情を持たせるためのプロジェクトの一環で作り出されたこと、最終モデルであること、軍事訓練プログラムを受けていたこと、そして富永博士やキャンディ博士のこと──。







「信じられない...まるでファンタジーみたいだね。」


話を聞き終えたルネが呟く。だが、こちらの世界こそファンタジーに思えるウタにとっては、妙に不思議な感覚だった。

その時、不意にドアがノックされる。


「ルネ〜、お湯持ってきたよ。」


声の主は宿屋の受付をしていたアリサだった。私はルネの代わりに鍵を開ける。すると、彼女は両手に小ぶりな樽を抱えていた。ひとつは温かく、もうひとつの上には大きめの布が二枚のせられている。


「これ、ここに置いとくよ。」
「ありがとう。じゃあこれ──」


私は前もって銀貨を出しておいたが、アリサは手を振って断る。


「お湯代はタダにする約束でしょ?」

「でも...ここまで運んでくれたし、重かったでしょ?」
「へーきだよ。あんた、ほんと優しいな。」


アリサはそう言うと部屋の奥をちらりと見た。窓際で外を眺めているルネを確認すると、悪戯っぽい笑みを浮かべながら囁いてきた。


「これ、サービスしてやるよ。樽の水に入れてルネに飲ませれば、きっと悦ぶぜ。」

「え、いいの?」


彼女はポケットから小さな包みを出し、私に握らせる。中身は白い粉末状のものだ。それから続けて、前掛けのポケットから黒く光る棒状の物を見せてきた。


「こういうのもあるぜ。サービスしとく。気に入ったら買ってくれよな。」
「なにこれ?」

「使い方はルネに聞いてみな」

棒は黒くツヤツヤしており、左右対称に反り返っていた。両端が少し大きくなっていて、長さは腕くらい、太さは指二本分ほど。用途不明のそれを渡され、彼女は笑みを残して去っていった。

用途不明の黒い棒が妙に手に馴染む。

──実にちょうどいい太さだ、マッサージ用かな?

キャンディ博士がよくこういった物で肩の凝りを解していたのを思い出す。


「ルネ、これどうやって使うの?」
「んー?」


まだ外を眺めていた彼女に私は黒い棒を持ちながら尋ねる。ルネはこちらを見て一瞬固まった後、頬を赤らめた。


「してあげようか?」
──もしかして疲れてる?

ウタは、いつもとどこか違うルネの様子に気づき、少しでも役に立てればと考えて言葉を口にした。しかし、その発言にルネは驚いたように慌てて両手を広げ、手のひらをこちらに向けながら首を勢いよく横に振った。


「いやいやいや!待って、物事には順序ってあるでしょ?」
「あ、そっか。先にこのお薬を飲むのかな?」

ウタがアリサから渡された「喜ぶ薬」を手に取り、ルネに見せる。その瞬間、ルネの瞳が驚きに見開かれた──

「待って!それ、飲んだらあかんヤツ、感度上がっちゃうからっ」
「え、じゃあお湯で体拭いてから?」

「それはそうだけど、そうじゃない!」


全てを否定されてしまうウタは少ししょげてしまう


「どうすればいいの?教えて」


用途不明の黒い棒と媚薬を持ったまま発言するウタ。それを見て感極まってしまったのか、とうとうルネは両手で顔を隠してその場に座りこんでしまった。









窓の外から、部屋の中にスズメのような小鳥の声が聞こえてくる──

その柔らかな音に耳を傾けながら、ルネがゆっくりと口を開いた。


「まず、最初から確認していきましょうか」
「うん」


二人の間に置かれたサイドテーブルには、黒い棒と謎めいた薬の包みが並んでいる。その存在感がどこか場違いに思えたが、ルネは黒い棒を指さし、説明を始めた。


「こ、これ…恋人同士で使うものなの」
「どうやって使うの?」


ウタの無邪気な問いかけに、ルネは一瞬言葉を詰まらせ、顔を赤らめながら目を閉じたまま小声で続ける。


「お、お互いの下半身に…いr...とにかく、そういうものなの」

「ああ、ごめん。わかった。私たちには『まだ』早いね。」


ウタが納得した様子で答えると、ルネは真っ赤な顔でベッドに倒れ込み、悶々としたまま横になってしまう。そしてしばらくして、枕に顔を埋めたままぽつりと呟いた。


「それと、その薬も…媚薬なのよ。恋人同士で使うもの…なのッ!」

「えっ?は、早いってこと?」
「当たり前でしょ!?『まだ』恋人でもないのに!」


ルネは跳ねるように上体を起こし、勢いよくウタを見つめた。その様子に、疲れているのではと心配していたウタは少しほっと胸を撫でおろす。しかし、ルネは自分の言動に気づいたのか、また顔を両手で覆ってしまった。もう耳まで赤い。


「このふたつの樽は?」

「...これは水樽とお湯樽よ。お湯に水を混ぜて温度を調整して、布を浸して体や顔を拭くの」


ルネは立ち上がり、樽の蓋を取って中を見せながら説明を始める。お湯樽の中には熱した石が沈められており、温度が保たれるよう工夫されているらしい。


「今日はこれでいいけど、近くに温泉があるの。明日行く?」

「温泉か、いいね。入りたい」


まだ頬の赤みが残るルネが微笑む。その表情にウタは一瞬見惚れてしまう。先程から表情が感情が忙しいせいかルネの瞳は涙で潤み、窓から差し込む光を受けてキラキラと輝いていた。

──なんて綺麗な目だろう。

「…なに?」


不意に見つめられたことに気づいたルネが問いかける。ウタは少しだけ恥ずかしそうに答えた。

「あ、ただ綺麗だなって思っただけ」

「…ありがとう」

ルネは目を閉じ、深く息を吸い込む。そして静かに息を吐きながら微笑んだ。


「さ、早く体を拭いてお昼を食べちゃおう。お腹空いちゃった」

「そうだね」


そう言いながら、ルネは服を脱ごうとするが、ふと手を止め、ウタの様子を伺う。ウタは気にする様子もなく、服を脱ぎ始めたが──。


「待って。お互いに背中合わせでやろう」
「わかった」


ルネの提案に従い、背中合わせになって脱衣を再開する。しかし──

──すごく視線を感じる...

全て脱いでもまだ視線を感じるので振り返ると、ルネが自分の服を口元に押し当て、潤んだ目でこちらを見ていた。目が合うと、ルネは慌てて視線を逸らし、背中を向ける。

その後ろ姿は、いつも見ている姿よりも儚く、繊細で、美しかった。


──触れたい。でも、まだ早いのかもしれない。


先ほどのやり取りでウタはそう学習した。




しおり