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第7話:絆の力

 夜のカルマシティは、沈黙した船のように息を潜めていた。濃い霧が街路を覆い、路地裏には冷たく錆びた金属の匂いが漂う。風に乗って聞こえるかすかな音は、まるで遠くで誰かが囁くような不気味さを帯びていた。街全体が、奈落の力に触れるたびに軋むように痛んでいるかのようだった。

 霧がかかる街並みは、何かが潜んでいるような不気味な静けさを漂わせている。その闇の中、小さな存在――カゲモンが浮かび、冷たい風に揺れていた。彼の姿は、過去の痛みと未来への不安が混じり合った影そのものだった。

「守るための力は、時に破滅を招く。それが初代の教訓だった」

 カゲモンの囁きが夜風に溶ける。脳裏に浮かぶのは、初代黒羽の夜叉と黒結女の記憶だ。黒結女は「初代様のために」と奈落の力に身を委ね、代償として狂気に飲まれた。そしてその結末は、悲劇として語り継がれるものとなった。

「凛、君には、その連鎖を断ち切る自由がある」
 
 カゲモンの瞳に浮かぶのは、無明の力を抱える凛の姿だった。彼の背中には、初代や黒結女の影が重なって見える。それでも、カゲモンは希望を捨てなかった。

「凛、君が選ぶ道が、この街の未来を変える」
 
 彼の呟きは、遠くに蠢く街の影に吸い込まれていった。それはまるで、黒結女の狂おしい執着が今も街を覆っているかのようだった。

「黒結女……君の愛がこの街を縛り続けるのなら、凛にはその影を断ち切る光になってもらわねばならない」
 
 その言葉には、過去に救えなかった者への静かな決意が込められていた。

 その時、街路の暗闇に低い唸り声が響いた。影獣だ。漆黒の体が月明かりを反射し、鋭い爪が空を切る音を立てる。

「凛、影獣の動きを見ろ。突進の瞬間に隙が生まれる。それを狙え」
 
 カゲモンの声に、凛は意識を集中させた。影獣の後ろ足が沈む動き――その瞬間を見逃さず、一閃の刃を繰り出す。鋭い斬撃が影獣を裂き、その体は黒い霧と化して消えた。

 だが、静寂は束の間だった。次の瞬間、闇の中からさらに多くの影獣が現れた。その数はこれまでの倍以上で、凛を圧倒する威圧感を放っている。

「これでは――」
 
 凛が刀を構え直そうとしたその時、冷ややかな声が闇を切り裂いた。

「ここで倒れるつもりなら、最初から私を呼ぶべきじゃない」

 銀髪の少女――玲音が現れた。月光に照らされた金色の瞳が、影獣たちを冷ややかに射抜く。

 玲音は、銀髪ショートヘアで、髪は首元にかかる程度の長さだ。透き通るような白い肌に、金色の瞳が特徴的で、どこかミステリアスな雰囲気を持つ。小柄な体格ながらも、その引き締まった体は日々の訓練の賜物であり、力強さと柔軟さを感じさせる。彼女の冷静で落ち着いた表情と、時折見せる微笑みは、仲間に安らぎを与えることもある。

 玲音の服装は、戦闘時には黒を基調としたタイトな戦闘服に白いマントを羽織り、機能性を重視している。首には小さなペンダントを身につけており、それが彼女の象徴ともなっている。どこか可憐でありながらも、彼女の存在感は圧倒的だ。

「玲音……!」
 
「状況は把握済み。無駄な言葉はいらない」
 
 玲音は封印札を手に持ち、静かに呪文を唱え始めた。その動きに呼応するように、影獣たちの足が縫い止められる。

「凛、今のうちに仕掛けて」
 
 凛は短い指示に従い、封印術で動きを封じられた影獣たちを次々に斬り倒していく。しかし、一体の影獣が玲音に迫った。

「玲音、後ろだ!」

 凛の叫びより早く、玲音の小太刀が鋭い光を描いた。彼女は冷静に動きを受け流し、的確に反撃を加える。

「動きが鈍い。もっと速く動けるようになるべきね」

 玲音の冷静な声に、凛は苦笑したが、すぐに集中を取り戻し、戦い続けた。やがて影獣たちが全滅した時、玲音は静かに息を整えた。

「少しは頼りになった?」
 
「大いにな」

 凛は息を整え、素直に礼を述べた。そのやり取りをカゲモンが遠くから見つめている。

「凛、仲間と力を合わせることで、君はさらに強くなる。それを忘れないで」

 その言葉に、凛は玲音に向き直った。

「これからも頼っていいか?」

 玲音は小さく頷いたが、その声は冷静だった。

「必要な時だけね。でも、甘えすぎないで。自分でできる範囲は自分でやること。それが条件よ」

 その言葉に、凛は微かに笑い、玲音と再び夜の闇を歩き出した。

 街の静けさの中で、凛と玲音は並んで歩いていた。封印術の余韻が漂う街は一見して平穏を取り戻しているように見えたが、二人とも次なる戦いが遠くないことを理解していた。

「玲音、あの封印術……どれくらい持つんだ?」
 
 凛が問いかけると、玲音は一瞬だけ考え込み、短く答えた。

「一時的なものよ。完全に封印したわけではない。奈落の力が強まれば、いずれ影獣は戻ってくる」

 その冷静な返答に、凛は眉をひそめた。

「つまり、またすぐに戦いが始まるってことか……」

 玲音は視線を凛に向けた。その金色の瞳には、冷静さの中にも確かな決意が宿っている。

「そうよ。でも、私たちがいる限り、この街は簡単には落ちない。……ただし、あなた一人で全てを背負う必要はないわ」

 その言葉に、凛は少し黙り込んだ後、低く呟いた。

「それでも……無明の力が必要になる時が来るかもしれない。その時、俺がその力に飲まれたら……」

 玲音はその言葉にわずかに表情を緩め、静かに語りかけた。

「恐れるのは自然なこと。それを認めるのが第一歩よ。ただし、恐れたまま立ち止まるのはやめることね」

 玲音の冷静な声が、凛の胸に響いた。その言葉に、凛は少しだけ肩の力を抜いた。

「お前って、いつも冷静だよな。そういうとこ、正直羨ましいよ」

 凛が冗談めかして言うと、玲音は一瞬だけ微笑んだ。その柔らかな表情は普段の彼女からは想像できないものだった。

「そう思うなら、私に無駄な心配をさせないことね」

 玲音の軽い皮肉に、凛は苦笑しながら再び夜の街を見渡した。

 夜空には月が昇り、二人の背中を静かに照らしていた。次なる戦いが迫る中、二人はそれぞれの覚悟を胸に秘めて歩みを進めていくのだった。

 翌朝、影の守人たちの拠点に戻った凛と玲音は、巣窟封印の成功を報告した。守人たちはその知らせに安堵を浮かべつつも、緊張感を隠しきれない様子だった。

「巣窟の封印は成功したけれど、奈落の力が完全に消えたわけではないわ。影獣の動きが再び活発化する可能性もある」

 玲音の冷静な説明に、一同は黙って頷いた。その時、焦った様子の若い守人が部屋に駆け込んできた。

「凛さん、玲音さん! 新たな巣窟が発見されました! しかも影獣の数が、これまでとは比較にならないほど多いと――」

 その報告に、凛は拳を握りしめた。

「またか……こっちはまだ疲れが取れてないってのに」

 彼の言葉に、玲音は鋭い目つきで地図を確認した。

「この位置……奈落の力がさらに強まっている可能性が高いわ。早急に対応する必要がある」

 玲音の分析に、他の守人たちも緊張を強める。

「危険すぎます。影獣の数が多すぎますし、封印術だけでは対処しきれないかもしれません」

 指揮官が冷静に状況を説明するが、玲音は静かに頷きながら言葉を続けた。

「確かに危険ね。でも、だからこそ今動くべきよ。放置すれば被害はさらに拡大する。それに、影獣の増加はカルマシティ全体を脅かすわ」

 彼女の冷静かつ断固たる態度に、場の空気が引き締まる。

「俺たちが行くしかないんだろうな」

 凛が地図を睨みながら言うと、玲音は彼に目を向けた。

「ええ。でも、今回はより慎重に動く必要がある。私は封印術を準備するから、その間、影獣を引きつけてちょうだい」

 凛はその言葉に少し考え込んだ後、力強く頷いた。

「分かった。ただし、無理はするなよ。お前が倒れたら、俺たちは終わりだ」

 その言葉に、玲音はわずかに笑みを浮かべ、短く答えた。

「了解した。でも、あなたも無茶はしないこと。それが条件よ」

 夕刻、凛と玲音は新たな巣窟に到着した。そこは荒れ果てた廃墟で、奈落の力が空間全体を覆い、異様な圧迫感を放っていた。

「ここが……巣窟か」

 凛はその異様な光景を見て低く呟いた。玲音は静かに封印札を取り出し、準備を始める。

「時間を稼いで。この規模の封印術は、展開するまでに少し時間がかかるわ」

 凛は短く頷き、影獣たちの群れに向かって駆け出した。彼の剣が黒い体を次々に切り裂いていく。しかし、影獣の数は凛の攻撃を受けてもなお増え続けている。

「玲音、急げ!」

 凛が叫ぶと、玲音は落ち着いたが鋭さを帯びた声で答えた。

「もう少しだけ、耐えて!」

 その瞬間、一体の影獣が玲音に迫る。凛が警告を発するよりも早く、玲音は小太刀を抜き、一閃で影獣を退けた。

「心配しないで。私は無駄な動きはしない」

 その言葉に凛は気を引き締め、再び影獣の群れに挑んだ。そしてついに、玲音の封印術が完成する。

 眩い光が巣窟全体を包み込み、影獣たちは苦しげな咆哮を上げる。そして、凛の猛攻により消え去っていった。

 戦場に静寂が戻る中、凛は疲労困憊の様子で刀を鞘に収めた。一方、玲音は力を使い果たしてその場に膝をついていた。

「玲音、大丈夫か?」

 凛が駆け寄ると、玲音は息を整えながら短く頷いた。

「封印術は成功した。これでしばらくは影獣の出現を抑えられるはずよ」

 その言葉に、凛は安堵の表情を浮かべた。

「お前がいなければ絶対に無理だった。本当にありがとう」

 凛の言葉に、玲音は小さく微笑みながら答えた。

「それはお互い様よ。私たちは仲間だから」

 二人は無言で頷き合い、巣窟を後にした。遠くに見えるカルマシティの街並みが、静かに彼らを見守っているようだった。

 巣窟からの帰路、凛と玲音は夜道を歩いていた。月明かりが二人の影を長く伸ばし、静寂が漂う。

「玲音、無理しすぎていないか?」

 凛が少し心配いげに言うと、玲音は立ち止まり、冷静に答えた。

「無茶をしたつもりはない。ただ、自分の役割を全うしただけよ」

 その冷静な言葉に、凛は少し口ごもり、目を伏せた。

「それでも、俺がもっと強ければ、お前に頼らなくて済むのに……」

 玲音は彼を静かに見つめた後、淡々と告げた。

「それは違うわ。私たちは仲間。あなたが一人で全てを背負う必要はない。だから私がいて、影の守人たちがいるの」

 その言葉に、凛は微かに微笑み、力強く頷いた。

「分かった。なら、これからも頼らせてもらう。でも、お前も俺を頼れよ」

 玲音はその言葉にわずかに笑みを浮かべ、小さく頷いた。

「了解した。あなたを頼る方法も、少し学ばせてもらうわ」

 二人はそのやり取りを終え、再びカルマシティの闇に歩みを進めた。次なる戦いが迫る中、彼らの胸には新たな覚悟が刻まれていた。

 カルマシティの中心部にある影の守人の拠点に戻ると、凛と玲音は仲間たちと共に、新たな情報を基に次の行動計画を練り始めた。地図の中央に記された赤い印――それが次の標的である新たな巣窟の場所を示している。

「報告によれば、ここにはこれまで以上に強力な影獣が潜んでいるとのことだ。数も質もこれまでとは比較にならないと考えられる」

 指揮官が緊張した面持ちで説明する。

 玲音はその言葉に頷きつつ、冷静に質問を投げかけた。
 
「その影獣の種類についての情報は?」

「詳しいことはまだ不明だ。これまでの影獣とは異なり、巣窟そのものが強い奈落の力に覆われていることが確認されている。これが新種の影獣によるものか、奈落の根源に近い何かが関与しているのかは断定できない」

 その説明を聞いた玲音は地図に視線を戻し、しばらくの間、静かに思案していた。
 
「封印術だけでは完全に抑えきれない可能性があるわね。この巣窟を攻略するには、別のアプローチが必要だと思う」

 その言葉に、凛がすぐさま反応する。
 
「別のアプローチって具体的には?」

 玲音は彼を見つめ、冷静に言葉を選びながら答えた。
 
「封印術と剣術の連携だけでは不十分かもしれない。この規模では、無明の力を適切に使いこなす必要がある」

 その言葉に、凛の表情が少し硬くなる。無明の力を使うことのリスクを彼自身が最もよく知っているからだ。
 
「……それって、俺が無明の力を解放するしかないってことか?」

 玲音は一瞬視線を伏せた後、真っ直ぐに彼を見つめ返した。
 
「そうね。ただし、それが最終手段になる。私たちの力でできる限りのことをした上で、それでも封印が成功しない場合に限って、無明の力を使うの。私もあなたも、それを忘れないで」

 凛はその言葉にしばらく黙り込んだが、やがて短く頷いた。
 
「分かった。でも、その時はお前も無理をするなよ」

 玲音は小さく微笑み、冷静な口調で答えた。
 
「無理はしないわ。それが約束よ」

 その夜、影の守人たちは各々の役割を確認しながら、決戦に向けて準備を進めていた。凛は自身の刀を再構築しながら、玲音の姿に目をやった。彼女は静かに封印札を整え、呪文の最終確認を行っている。

「お前、いつも冷静だよな。本当に緊張とかしないのか?」

 凛が軽い調子で尋ねると、玲音は一瞬手を止めて振り返った。

「緊張はしているわ。でも、それを顔に出しても意味がないでしょう? 冷静さを保つことが、私の役割だから」

 その言葉に、凛は小さく笑みを浮かべた。
 
「そうか……お前らしいな。でも、もし無理だって思ったらすぐ言えよ」

 玲音は再び微笑み、淡々と答えた。
 
「ありがとう。でも、無理をしすぎるのはあなただけで十分よ」

 その軽い皮肉に、凛は肩をすくめて笑った。彼女の言葉には厳しさと優しさが入り混じっていることが分かる。二人の間に漂う緊張感は、次第に安堵へと変わっていった。

 翌朝、凛と玲音は仲間たちと共に、新たな巣窟へと足を踏み入れた。その場は、今までにない異様な空気に包まれていた。空間そのものが歪んで見え、影獣の気配が重々しく漂っている。

「ここが……巣窟の中心か」
 
 凛が低く呟く。玲音は封印札を取り出し、すぐに準備を始めた。

「凛、私が術を展開する間、影獣を引きつけて。時間がかかるけれど、完成すれば全てを封じられるはずよ」

 凛は短く返事をし、剣を構えて影獣たちに向かって駆け出した。

 影獣の群れはこれまでのものとは異なり、さらに強力で素早い動きを見せる。凛はその攻撃をかわしながら、的確に反撃を加えていくが、数の多さに次第に押され始める。

「玲音、あとどれくらいだ!?」

 凛が叫ぶと、玲音は集中を切らすことなく答えた。
 
「あと少し……持ちこたえて!」

 その声に応えるように、凛は再び力を振り絞り、影獣の猛攻をかわし続ける。しかし、一体の影獣が玲音に向かって突進してきた。

「玲音、危ない!」

 凛が声を上げると、玲音は冷静に小太刀を抜き、一閃で影獣を退けた。

「心配しないで。私は無駄な動きはしない」

 その言葉に凛は安堵する間もなく、再び影獣の群れに向かって刀を振るう。そして、ついに玲音の封印術が完成する。

 眩い光が巣窟全体を覆い、影獣たちは次々に崩れ落ちていく。奈落からの供給が途絶えることで、どうやら維持ができない様子だ。その光景に、凛は刀を下ろし、肩で息をしながら振り返った。

「やったのか……?」

 凛の言葉に、玲音は地面に膝をつきながら微かに頷いた。

「ええ……これでしばらくは影獣が現れることはないはず。でも、完全に奈落の力を封じ込めたわけじゃない」

 巣窟を封印した二人は、夜の静寂の中で歩きながら、次の戦いを見据えていた。凛は玲音の横顔を見つめながら、静かに口を開いた。

「お前、本当に無茶しすぎだろ。今回も冷静だったけど……あんな数の影獣相手に平気なわけないよな」

 玲音は一瞬だけ凛を見上げ、淡々と答えた。
 
「平気ではないわ。でも、それを表に出す余裕はない。私たちには、やらなければならないことがあるから」

 その言葉に、凛は苦笑しながら肩をすくめた。
 
「やっぱりお前は強いな。でも、無理だけはするなよ。俺たちはお前がいないと成り立たないんだから」

 玲音は微かに笑みを浮かべ、小さく頷いた。
 
「ありがとう。でも、私たちは仲間。それを忘れないで」

 その言葉に、凛は静かに頷き返した。月明かりが二人を優しく照らし、次の試練へ向かう希望を胸に、彼らは歩み続けた。

 影の守人たちの拠点に戻った凛と玲音は、巣窟の封印成功を仲間たちに報告した。守人たちはその知らせに安堵の表情を浮かべたが、その裏には次なる危機への警戒心が見え隠れしていた。

「玲音さん、凛さん、お疲れさまでした! 巣窟の封印が成功したと聞いて、皆本当に安心しています」

 若い守人の一人が嬉しそうに声をかけた。しかし、その表情が明るさを保つのも束の間だった。

「ただ……別の地点で新たな巣窟が発見されたとの報告が入っています」

 その一言に、部屋の空気が一変した。玲音はすぐに地図を広げ、報告された地点を確認する。

「ここね……この位置なら、前回の巣窟よりも奈落の力が広がりやすい環境にある。早急に対策を取る必要があるわ」

 凛はその言葉に眉をひそめながら地図を覗き込む。
 
「また巣窟か……ったく、どれだけ増えてんだよ」

「これが最後とは限らない。でも、私たちにできるのは、一つずつ封じていくことだけ」

 玲音の冷静な言葉に、凛は短く息を吐き、頷いた。

 その夜、影の守人たちは次の巣窟攻略に向けた準備を進めていた。玲音は新たな封印札を用意しながら、呪文の調整を行っていた。一方、凛は刀の状態を確認しながら、彼女の背中をちらりと見た。

「なあ、玲音」
 
「何かしら?」

 玲音は手を止めずに応える。

「お前はいつも冷静だけどさ……本当に怖くないのか?」

 その言葉に、玲音は少しだけ手を止め、凛の方を向いた。
 
「怖いわ。でも、それを顔に出しても何も解決しない。冷静でいなければ、私の役割を果たせないから」

 凛は彼女の言葉に短く頷きながらも、少し寂しそうに笑った。
 
「そうだよな。このやりとり……前にもしたような気がするな。でも、もし本当に無理だと思ったら、ちゃんと頼れよ。お前が倒れたら、俺たちはどうしようもなくなるんだから」

 玲音はその言葉に、ほんの少し微笑みを浮かべた。
 
「ありがとう。そうね、やりとりしたかも? でも、あなたも無理をしないこと。それが私たち全員のためだから」

 その静かなやり取りの中に、二人の間に築かれた信頼が漂っていた。

 翌日、影の守人たちは新たな巣窟へ向けて行動を開始した。道中、凛と玲音は一緒に歩きながら、これからの戦いに備えて気持ちを引き締めていた。

「玲音、今回の巣窟、正直やばいと思ってるだろ?」
 
 凛が率直に尋ねると、玲音は短く頷いた。

「ええ。これまでのどの巣窟よりも奈落の力が強い。封印術だけで完全に抑えられるかどうか、正直なところ自信がないわ」

 その答えに、凛は少し考え込むような表情を浮かべた。
 
「それでも、やるしかないんだよな。無明の力に頼らずに……できるだけのことを」

 玲音は彼の言葉を聞き、静かに答えた。
 
「そうね。私たちにできるのは、全力を尽くしてその力に飲まれないようにすること」

 その決意が込められた言葉に、凛はしっかりと頷いた。

 巣窟に到着すると、空気が一変した。その場に立つだけで体が重く感じられるほどの奈落の力が漂っていた。

 周囲の空気はまるで粘つく液体のように動きが重く、息を吸うたびに錆びた鉄と湿った土の匂いが鼻を突いた。耳を澄ますと、遠くで何かが擦れ合うような不快な音が聞こえ、不規則に響く影獣の低い咆哮が鼓膜を震わせた。

 影獣たちが巣窟を守るようにうごめき、凛と玲音を睨みつけている。

「ここが……巣窟の中心か」

 凛が低く呟くと、玲音はすぐに封印札を取り出し、準備を始めた。

「凛、いつも通り影獣を引きつけて。封印術を完成させるには時間が必要よ」

 凛は短く返事をし、影獣たちに向かって突き進んだ。

 影獣たちはこれまでのものよりもさらに強力で、その動きは素早い。黒い身体から立ち上る蒸気は、毒のような鼻につく匂いを放ちながら、地面にシミを残していた。鋭い爪が風を切る音が耳元を掠めるたび、凛の背中には冷たい汗が滲んだ。その目は、暗闇の中で燃えるような赤い光を放ち、彼を獲物と見定めているかのようだった。

 凛はその攻撃をかわしながら反撃を続けたが、次第に体力が削られていく。

「玲音、まだか!?」

 凛が叫ぶと、玲音は迷いを含まない声で応えた。
 
「あと少し……耐えて!」

 その瞬間、影獣の一体が玲音に向かって突進してきた。凛が警告の声を上げる間もなく、玲音は小太刀を抜き、一閃で影獣を退けた。

「心配しないで。私は大丈夫だから、あなたは自分の役割に集中して」

 玲音の言葉に凛は再び力を振り絞り、影獣たちを押し返し続けた。

 そしてついに、玲音の封印術が完成する。眩い光が巣窟を覆い、影獣たちは次々と消えていった。その光景に、凛は息を切らしながら刀を下ろした。

 戦いが終わり、玲音は疲れ切った様子で地面に座り込んでいた。周囲には影獣の残骸が黒い霧となって漂い、わずかな風がそれを遠くへと運んでいく。耳に響くのは自分たちの荒い呼吸音だけで、それ以外の音は、まるで世界が息を潜めたかのように消えていた。地面には裂けた痕跡が残り、そこから立ち上る微かな硫黄の匂いが、先ほどの激戦を物語っていた。

 凛は彼女に駆け寄り、心配そうに問いかけた。

「玲音、大丈夫か?」
 
 玲音は短く息を整えながら微かに頷いた。
 
「ええ。これでしばらくは影獣が現れることはないはず。でも、これが終わりではないわ」

 凛はその言葉に頷きつつ、静かに言葉を返した。
 
「それでも、少しは前に進めたって思うよ」

 玲音はその言葉に微笑み、立ち上がった。
 
「そうね。次も前に進むために戦い続けましょう。それが、私たちの役目だから」

 その言葉に凛は静かに同意し、彼女の隣に並んで歩き出した。

「次も頼むよ、玲音」

「もちろん。あなたが頼りすぎない限りはね」

 玲音の冷静な言葉に、凛は笑いながら頷いた。

 月明かりの下、二人は次の戦いに向けて歩き出した。背中に秘めた覚悟と希望を胸に、彼らは決して立ち止まることはなかった。

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