第5話:迷いの先にある選択
カルマシティの夜は重く、深く沈んでいた。影の守り人として凛が街を巡回する中、冷たい夜風が彼の肌を刺すように吹きつける。凛は影獣の脅威にさらされる街を守るため、自分の任務に専念してきたが、今夜は妙な不安が胸の奥に宿っていた。ふと、遠くから仲間たちの声が聞こえ、緊張が彼の体を突き動かした。
凛は急いで声のする方向へ向かい、視界に飛び込んできたのは影獣に囲まれ、次々と倒れていく仲間たちの姿だった。影獣の唸り声が闇を切り裂き、過去の記憶が蘇る。妹が影獣に襲われたあの日、自分は何もできず生き残った。そして今、仲間が倒れる中、自分はまたしても無力だという思いが胸に重くのしかかる。
「また……俺だけが無力に生き残るのか……」
その思いに抗うように、凛は刀を構え直し、影獣に向かって突き進んだ。しかし、影獣の力は異様に強く、いくら切りつけても動じない。
無明の力を解放し、音を置き去りにした速度で接近。そして一刀両断し、次々と影獣を切り捨てていった。すべての影獣が地に伏せた頃、無力感が心を蝕む。その時、ふと背後に静かな足音が近づいてきた。
「凛……」
振り返ると、そこには結女が立っていた。彼女の瞳には悲しみと決意が込められ、どこか覚悟を秘めているように見える。
「結女……」
結女は静かに息を整え、凛に告げた。
「無明の力の源が……動き始めているの」
その言葉に、凛は戸惑いと恐怖に襲われた。無明の力――それは彼の中に宿る謎の力であり、影獣と戦うための力だと思っていたもの。しかし、それが仲間や周りの人々を危険に晒しているのではないかという疑念が凛の胸を締めつけた。
「無明の力の源……それが、俺の中にあるせいなのか?」
もしそうなら、自分が妹や仲間たちの命を危険に晒しているのではないか――その考えが凛をさらに追い詰める。結女は凛の苦しみを察したように、そっと彼の頬に手を当て、静かに首を横に振った。
「あなたのせいじゃないわ」
結女のその言葉は、どこか自分に言い聞かせるようでもあったが、その瞳は優しく凛を包み込んでいる。その温もりが冷えた凛の心に静かに染み入っていく。
「私の使命は無明の力を制御すること。でも、そのたびに私の存在が少しずつ削られていくの。それでもいい……ただ、凛、あなたがその力に呑まれて自分を見失うことだけは許せない」
結女の声は静かだったが、その瞳に宿る悲しみと覚悟は強く凛の胸に響いた。彼女が抱える苦悩と、自分への信頼――その重さを思うと、凛は思わず唇を噛みしめた。
「……俺が、その力を制御してみせる。だから、無理はするな」
凛の言葉に、結女はほのかに微笑みを浮かべた。しかし、その微笑みはどこか儚く、凛の心にまた新たな痛みを刻みつけた。
「俺は……」
凛が何かを言いかけると、結女は彼の手を握り、母が子を見守るような微笑みを浮かべた。
「あなたはあなたのままでいて。私は信じているから」
その言葉が、凛の心の奥底に深く響いた。彼のために自分を危険に晒すかもしれない彼女の覚悟が痛ましく、凛の中には彼女を引き止めたいという強い思いが芽生え始める。
「……わかった。俺は、絶対に自分を見失わないと誓う」
凛のその言葉に、結女は微笑みながら小さく頷き、凛の手をそっと離した。その背中が去っていくのを見送るうちに、凛の胸には冷たい痛みが広がっていく。思わず引き止めたい衝動に駆られるが、声が喉で詰まって出ない。ただ彼女の背中が闇に溶け込むのを見つめることしかできなかった。
結女が去り、凛は再び巡回を終えて拠点の診療所へ戻っていた。彼女に託された言葉が頭の中で渦巻き、無明の力と自分の役割について自問するばかりで答えは見つからない。
(無明の力が、俺に宿っていることで……俺は誰かを守れるのか……)
思い悩みながら診療所に近づいたとき、そこで彼を待っていたのは光里だった。彼女が夜更けに診療所で待っている姿に、凛は驚きを隠せない。
「光里……何をしているんだ、こんな夜中に」
「凛さんが戻ってくるのを待っていました」
光里は少しはにかみながら答えたが、その顔には彼への信頼と強い思いが込められている。そんな彼女の真剣な姿に、凛は思わず顔を逸らし、心に小さな波が立った。
「……こんな危険な場所で一人で待っているなんて、恐ろしくはないのか」
凛の問いかけに、光里は一瞬驚いたように目を見開き、しかし次第に微笑みを浮かべた。
「ええ、もちろん怖いです。でも……守りたいと思える人がいるから、大丈夫なんです」
光里のその言葉が、凛の胸に静かに響いた。「守りたい」という言葉は、復讐に囚われてきた彼にとってどこか遠いものだったが、彼女の純粋な気持ちに触れ、心の奥が静かに揺さぶられるのを感じた。
「……ずっと無力だった俺が、誰かを守れるようになるなんて……」
自分でも気づかぬまま凛が口にした言葉に、光里の瞳が優しく揺れる。そして彼女は凛の包帯を見つめ、手際よく巻きなおし始めた。
「凛さん、その力がどんなものであっても、私はあなたを信じています。その力があなたを傷つけないよう、私も一緒に戦います」
彼女の言葉が、凛の心の奥底まで静かに浸透していく。ずっと恐怖と孤独に支配されていた自分の心が、彼女の言葉によって少しずつ解放されるような感覚を覚え、凛は驚いたように光里の顔を見つめた。
「光里……ありがとう」
感謝の気持ちが彼の声ににじむと、光里は微笑んで、包帯を巻き終えた彼の肩に手をそっと置いた。
「これからも、困難があると思います。でも、私は信じてます。凛さんなら、乗り越えられるって」
彼女の穏やかな声に、凛の心は徐々に落ち着きを取り戻し、自分は一人ではないと感じることができた。光里がそばにいてくれるという思いが、彼の支えになっていたのだ。
「……ありがとう、光里」
凛も微笑みを返し、強く拳を握りしめた。どんな困難が待っていようと、一人で抱え込まず仲間と共に戦うと心に誓いを立てた。
その朝、診療所で自分の役割を胸に刻んだ凛は、無明の力と向き合う決意を固め、静かにカルマシティの闇へと歩み出した。
翌日、カルマシティの重い雲が空を覆い、街は冷たい霧に包まれていた。凛は自らの決意を新たにし、日課の巡回を続けていた。無明の力を抱えながらも、光里や結女に励まされたことで、彼は自分の存在がただの復讐者ではないことに少しずつ気づき始めていた。
そんな時、影の守り人の仲間から緊急の呼び出しが入った。
「凛、南区で影獣の大規模な襲撃が発生した。すぐに来てくれ!」
無線越しに響く仲間の声に凛はすぐ反応し、刀を握りしめながら南区へと駆け出した。影獣の脅威が迫っている現場へと向かう中、頭には光里や結女の言葉が浮かんでいた。
(俺は、ただ復讐のためにいるのではない。皆を守るために戦う……)
南区の広場に到着すると、すでに影の守り人たちが影獣に包囲され、苦戦している光景が広がっていた。影獣たちの姿はいつも以上に巨大で異様に不気味な雰囲気を放っており、その中にひときわ異質な存在が見えた。まるで街全体の闇を凝縮したかのような、巨大な影獣が仲間たちの前に立ちはだかっていたのだ。
「ここで食い止めるしかない……!」
凛は強く決意を固め、仲間たちのもとに駆け寄ると、一歩も引かずに刀を構え突き進む。影獣の巨大な爪が彼に向かって振り下ろされるが、凛はそれをかわし、冷静に刀で一撃を入れた。しかし、その刃が届いた瞬間、影獣の体に黒い煙が渦巻くように現れ、無明の力に反応するかのように凛の体へ冷たい波動が伝わった。
「……くっ!」
冷たい闇の力が彼を襲い、無明の力が自分の中で暴れ出しそうになる感覚を覚え、凛は必死にそれを押さえ込む。しかし、影獣の強力な力に対抗するには、自分も無明の力を使わざるを得ないという思いが彼の中で渦巻いていた。
その時、黒華が後方から凛に向かって鋭い声を投げかけた。
「凛、無明の力に飲まれるな。私たちが支えるから、一人で背負うな!」
彼女の言葉に凛ははっとし、冷静さを取り戻した。自分だけが力を解放する必要はない、仲間と共に戦っているのだという思いが胸に広がり、無明の力が静かに鎮まっていくのを感じた。
「分かった……皆で!」
凛は自分を取り戻し、黒華や他の仲間たちと息を合わせ、影獣に立ち向かう。無明の力を暴走させることなく、彼は冷静に敵の隙を見極め、攻撃を繰り出していった。仲間たちの連携が戦況を一気に有利にし、凛の中に復讐以外の感情が少しずつ芽生え始めていた。それは、仲間たちと共にこの街を守りたいという思いだった。
やがて激しい戦闘の末、影獣がついに倒れると、凛は深く息をつき、刀を下ろした。
戦いが終わり、仲間たちは互いに声をかけ合いながら無事を確認していた。凛も冷たい汗を拭いながら、今回の戦いで感じた新たな思いを胸に刻んでいた。その時、ふと背後から光里の姿が現れた。彼女もまた凛の無事を確認するため、衛生兵として参加し野営を飛び出してきたようだった。
「凛さん……無事でよかった」
光里の顔に安堵の表情が浮かび、凛は少し気まずそうに目を逸らした。
「……俺はただ、戦っていただけだ」
「それでも、あなたが無事でいてくれることが、私たちにとってどれだけ大事なことか……」
光里の穏やかな声が、戦いの余韻に浸る凛の心に静かに染み渡った。彼女が自分を心から心配し、支えたいと思ってくれていることを改めて感じ、凛は彼女に向かって小さく頷いた。
「ありがとう、光里」
彼女に感謝の意を伝え、凛は少しずつ自分が一人ではないという思いを実感していた。無明の力に飲まれることなく、彼女の期待に応えるためにも、彼はこれからも影獣と向き合っていく決意を強く固めた。
その夜、凛は再び影の守り人としての役割に自らの心を捧げ、影獣と立ち向かう日々を続けていく。仲間たちとの絆を感じながら、彼は少しずつ無明の力を制御し、カルマシティの平和を守るために邁進していくのだった。