淫魔将軍サラティーア
淫魔は、男の生気を吸い取って生きるため、男を簡単に篭絡できるように妖艶な容姿をしている。彼女も当然ながら色気を具現化したようなスタイルをしていたが、その身には武骨なごつい黒い甲冑を身に付けていた。それでも兜を脱いで赤毛を揺らし素顔をさらして颯爽と歩く姿は妖しいほど美しかった。
「魔王様、魔王様。我が軍の大勝利です」
ツカツカと興奮するように彼女は俺に近づいてきた。彼女の種族は淫魔だが、魔界の娼婦になることを望まず剣の腕を磨き、我が魔王軍を束ねる将軍になった武人である。
「そうか、我らの勝ちか。良かった、良かった」
「良かったですと?」
ふと急に彼女の表情がこわばり、俺に近づくなり、いきなり俺の股間に手を伸ばした。俺は魔王ではあるが、股間は急所であった。
美しい淫魔将軍は、その白い手で、ぐいと俺のそれを握った。
「お、おい、何をするんだ・・・」
「何をするかは、こっちの台詞ですよ、陛下」
「お、怒ってるのか?」
「ええ、当り前です。あんなもの間近に落とされたら、我が軍にも被害が出ます。それぐらいわかりませんか。いま、必死に衝撃で生き埋めになった味方の救出をさせています」
「そ、そうか、だが、元々、あれは敵が落としてきた奴で、俺は、味方に直撃しないように進路をちょいと変えただけだ」
「ちょいと変えた? なぜ、あれが地上に落ちて来ないように消してしまわなかったんです。陛下ならできたはずでは?」
「いや、あいつらにぶつけてやったら、早く戦が終わるかなって。ほら、実際、我が軍は、大勝利なんだろ」
「無駄な犠牲が出ましたけどね。だから、陛下には、おとなしくしていてくださいと」
彼女はちらりとねこみみメイドを見た。どうやら、淫魔将軍はねこみみメイドに俺が下手なことしないように見張っておくように頼んでいたようだが、ねこみみメイドは将軍の怒りの視線を苦笑でそらした。
「たく、陛下は、敵味方ともに皆殺しにしたいのですか?」
「いや、いや、そんなつもりは」
「改めて言います、陛下は余計なことしないでください、ねっ!」
念を押すように俺の股間をギュッと握る。
「は、はい・・・」
俺は部下である将軍に情けなくうなずくと、ようやく彼女は俺の股間から手を離した。
「分かっていただけたようで、なにより」
淫魔将軍が優しく、にっこり微笑む。
「とりあえず、敵は完全に沈黙したんだな」
「はい、見事に全滅したかと」
「自業自得というやつだ、下手をしたら、我らが全滅させられていたかもしれないからな」
「陛下でしたら、あれの直撃を食らっても平気だったのではありませんか」
「さて、どうかな。とりあえず、引き続き、生き埋めになった味方の捜索と撤収の準備を。俺は、もう少しここにいて、様子を見る。何かあったら連絡してくれ。俺が余計なことしないように」
「はい、陛下は、ここで、おとなしくお待ちを。人狼たちに臭いを嗅がせておりますので、生存者の救出は日暮れ前に済むかと。では、失礼」
淫魔将軍は必要な報告を済ませると、すぐに戻って行った。
「ほら、怒られた」
ねこみみメイドが俺をからかうように見る。
「だって、しょうがないだろ、あんなものが味方に直撃したら大変なことぐらい分かるだろ」
味方に犠牲が出たかもしれないが、戦を早期に終わらせたことで犠牲も減らせたはずである。魔王としては、そう悪くない判断をしたと思う。だが、淫魔将軍の怒りも分かる。将の役目は単純に戦に勝つことだけではない。いかに味方の犠牲を少なく勝つかが名将の基準であり、戦に勝っても味方の犠牲が大きければ無能の烙印を押されるのが将というものである。だが、俺のおかげで戦が早期に終わったことも考慮して欲しいなとは思う。
地形の変わった戦場を眺めながら、そんなことを考えているとねこみみメイドが叫んだ。
「魔王様! 危ない!」
それは隕石の衝撃波みたいに猛スピードで俺に迫ってきた。気づいてはいた。だが、言われたとおり、俺はその場で一歩も動かずおとなしく棒立ちでいた。
「死ね!」
それは黒い蝙蝠の翼を背負った金髪少女だった。
ものすごい勢いで飛行し、血走った目で俺に襲い掛かってきたが、俺は人差し指と中指で箸のように少女の突き出すナイフの刃を掴んでいた。指二本で挟んでいるだけだったが、ナイフはびくりとも動かなくなり、少女は押しても引いても動かないナイフをあきらめて離し、バッと地面に下り、俺を睨んだ。
「くそ、父の仇!」
彼女はがばっと吸血鬼特有の牙を見せつけるように俺に噛みつこうとした。
俺は、指で挟んでいたナイフを噛みつこうとしてきた少女に投げ返し、それを躱しながら俺に噛みつこうとした少女にカウンター気味にその大きく開けた口に拳を突っ込む様にパンチを放った。吸血鬼自慢の牙が奇麗に折れ、あごの骨が砕けたのか、吸血鬼少女はあんぐりと口を開けて跪いた。
「うん、動いてない。おとなしく動いてないよな」
俺はねこみみメイドに同意を求めた。一歩も足を動かしていなかった。
「な、おとなしく、この場にいただろ」
「はい、魔王様」
ガーレッドは、その場を一歩も動かずに襲撃者を撃退した俺を、呆れるように見ていた。吸血鬼という種が、どれほど強いかは魔界で知らぬ者はいない。いくら少女とはいえ、それをその場から一歩も動かず撃退した光景を見せられて唖然としない方がおかしい。
「お前、不死の王の娘だな」
俺の問いに牙を砕かれた吸血鬼少女がうなずく。顎が砕かれたせいでしゃべれなくなったようだ。牙を折る程度に加減したつもりだったが、あごを粉砕してしまったようだ。口をあんぐりとあけたまま唇の端からよだれと血を垂らしていた。
「父親の敵討ちのようだが、となると不死王はあの隕石で吹っ飛ばされたか。それとも、お前を庇って、あれに虫のように押しつぶされたのか」
少女の目が少し泳いだ。あまりにもいきなりだったので、きちんと父親の死に際を目撃してないようだ。が、俺だとて、見てなくても、あれで生きているとは思えない。そして、隕石の軌道を変えられるのは俺しかいないと思い立ち親の敵討ちに来たというところだろう。顎を砕かれながらもその目には復讐心が燃えていた。やれやれ、しょうがない。俺はねこみみメイドを見た。
「おい、手当てしてやれ」
「よろしいのですか。魔王様の御命を狙ったのですよ?」
「構わんさ、親子そろって同じ日に死ぬことはない。不死の軍をぶっ潰しただけで、今日は、もう十分魔王の名に箔はついている」
「はい、分かりました」
ねこみみメイドは言われたとおり、吸血鬼の少女の治療をしようと近づいたが、手負いの獣のようにキッと警戒した。するとメイドは少女の耳元で囁いた。
「魔王様に復讐したいのなら、万全の状態に戻すべきかと。違いますか?」
「・・・」
吸血鬼少女はわずかに迷ったが、確かにここは引いて後日機会をうかがう方が得策と判断して、俺のそばをメイドとともに離れた。