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9話 旅立ち3




「巡礼、頑張ってください!」
「毎日お祈りします!」
「人間との調和を期待しています!」

アイドルの握手会よろしく、私の前にできた長い行列。村人たち一人ひとりが期待や応援の言葉をかけてくれる。握手する手がすっかり熱を帯びる頃、ようやく行列が途切れた。

再び私は鶏肉の丸焼きにありつき、腹を満たした後は、ルネと一緒に村長の家にお邪魔している。そこにはルネの師匠、リオンも同席していた。これから旅のお守りをいただけるらしい。


「ウタさま、本日からテオさまにお会いするため、首都アルデンフォードへ向かわれると伺いました。」
「はい、えっと...。」

村長の様子が先ほどまでとは打って変わり、厳かな雰囲気に。加えて初耳の「首都」という言葉に戸惑い、つい後ろに控えていたルネに視線を送る。しかし彼女は目を閉じて小さく頷くだけだった。

──少し眠そうだね...。

「そこで!」

村長の大きな声に、思わず背筋を伸ばす。


「私から旅の安全を祈り、贈り物を授けましょう。」
「ありがとうございます。」


「ルネ、お前の分もある。こっちに来い。」
「え? は、はいっ!」

ルネが私の隣に駆け寄ると、村長は木箱を開け、中から石のついたネックレスを取り出した。黒曜石のように艶やかで、涙の形に整えられた黒い石が、銀のフチで囲われている。


「この石は魔力を放ち、人間であることを隠す事ができます。首都には目ざとい連中もいます。必ずや助けになる事でしょう。」


村長はそう説明すると、丁寧に私の首にかけてくれた。リオンもルネの分を取り出して渡すが、ルネはネックレスを手にしたまま動かなくなった。


「……いつから、私が人間だと?」
「最初からだ。お前を拾ったあの日からな。」


ルネの問いに、リオンは静かに答える。だが、ルネは顔を伏せて黙り込んでしまう。


「村のみんなも知っていた。今まで黙ってて悪かったな。」
「……バレてたのかぁ。」


「儀式は終わりじゃ」と村長に促され、ふたりから離れ窓際にいく。
リオンがそっとルネの肩に手を置き、彼女を抱きしめる。その姿は、いつもの元気なルネとは別人のようで、私にはとても現実の光景とは思えなかった。
私はどうしても気になって村長に聞くことにした。


「どうして村はルネを受け入れていたんですか?」


私は窓際に立つ村長に問いかけた。


「悪意のある人間も確かにいる。だが、ルネはそうじゃない。それだけの話だ。」





村長の言葉を噛み締めながら、ふとした疑問が口をついて出た。窓の外を眺めながら、ぽつりと村長に問いかける。


「人はなぜ泣くんでしょう?」

「ふむ...悲しい時、嬉しい時、感極まった時。誰でも泣くものじゃよ。」


村長の言葉は穏やかだった。けれど、どこか悟ったような響きがある。


「...私でも泣けますかね?」


自分で言ったその言葉に、少し胸がざわついた気がする。


「テオさまが泣いたという話は聞いたことがないのう。」


村長はしばし考え込み、目を細めて微笑む。


「けど、あの子...ルネは小さい頃からよく泣いた。傍におれば泣き虫が伝染るかもしれんのぅ。」


私のことをからかうような村長の笑顔に、思わず肩の力が抜けた。軽く背中を叩かれ、気づけば私も小さく笑っている。


「随分とルネを気にかけますなぁ、ウタさま。」
「これから一緒に旅をする仲間ですから。当たり前です。」


そう答えながら、村長の目がどこか含みのある光を湛えていることに気づく。

──何を言いたいんだろう。

村長の楽しげな様子が少し気に食わなくて、私は話題を変えた。


「あ、あの鶏肉の丸焼きってまだあります?」
「お前さん、まだ食べる気か?」


村長があきれたような目を向けてくる。


「いえ、旅の途中で食べようかと...。」
「...旅の準備は済んでおるのか?」

「...あ。」

──何もしてない!

村長の鋭い指摘に、思わず固まる私。その様子を見て、村長がやれやれと肩をすくめた。


「不肖の身なれど、ウタさまのお役に立てるなら...」
「お願いします!」


どこか長くなりそうな村長の前置きを遮って頭を下げると、彼女は「世話が焼けるのう」と笑いながら手を差し伸べてくれた。







村長の手助けもあり、無事に旅装を整えた。寒さをしのぐマント以外の荷物はほとんどが食べ物関係になってしまう。自分の食いしん坊ぶりに呆れながら、村の入口へと向かうと、すでに馬車が二台待機していた。


「うたー!」


ラムエナに抱かれていたメルフィが私を見つけ、大きく手を振っている。駆け寄るとラムエナが困った顔をして声をかけてきた。


「ウタちゃん、なんとか言ってくれ。メルフィがどうしても一緒に行くって聞かないんだ。」
「歯を磨かないパパなんて知らない!」
「それを言うな...。」

「パパがまた磨いてなかったらお口にお塩入れちゃえ」
「おいおい...そりゃキツイぜ...。」

ニッコニコで「そうするー」と言い出すメルフィ、ラムエナの顔色が悪くなっていく。

──歯を磨こうねパパ

「ウタ、もう行くよ。こっちに乗って。」
「あ、うん。」


後ろの馬車から顔を出したルネに促され、荷物を積み込み御者台へ座る。


「みんなには『また春に来ます』って言えばいいから。」
「は、はい」

「なんで畏まってんの?」


隣に座っていたルネの顔が急に近付いてきて、耳元で囁くものだから動揺してしまった。


「おーい、もう行くぞー!」

リオンの声が前から響いてくる。


「いつでもいいよー。」


隣で軽く返すルネ。その何気ないやり取りに、なぜか体温が上がってきた気がする


「ウタちゃん、気を付けてね。」


自分の身体の変化に不思議がっていると、突然声をかけられ、振り返るとメリセアさんが微笑んでいた。


「あ...メリセアさん、いろいろありがとうございました!」


慌てて返事をするが、自分でも雑になった気がして少し反省する。そんな間にも馬車が動き始め、前の馬車についてゆっくりと進む。


「うた、バイバイ!」


メリセアさんに抱かれたフロエラが小さな手を振っている。馬車が方向を変えた拍子に、私は思わず身を乗り出して声を張り上げた。


「バイバイ! また春に来ます!」


思いのほか大きな声が出て、自分でも驚く。見送りに来ていた村人たちが皆こちらを見て、目が合う。遠くにいる村長までもが、穏やかにこちらを見守っている。


「今生の別れじゃないんだから。」


隣でルネが苦笑する。その言葉に、少し肩の力を抜こうとしたその時、ルネが不意に眉を寄せた。


「あれ、ウタ、泣いてる?」

「え?」


指先で頬に触れてみると、そこはしっとり濡れていた。それに気づくと、次々に涙があふれ出す。


「あれ...」
──私、こんな機能あったんだ。


視界が揺れる中で、村の人たちの優しい笑顔が浮かぶ。


「みんな、優しいよね。」


ルネが私の涙を袖でそっと拭ってくれる。その仕草が少しくすぐったくて、思わず笑みがこぼれる。


その時――高く澄んだ音が響いた。一本の矢が空を切り裂き、馬車の上を通過していく。


「え、なに? 鳥?」
「違う。あれは...鏑矢だね。」


ルネの言葉に、私はすぐに矢を放った人物に心当たりをつける。急いで矢筒を探ると、一本だけ入っていた鏑矢を取り出した。


「え? なんなの?」
「カイラからのメッセージだよ。」


矢を弓に番え、私は空に向けて放った。


「伝わったかな?」
「うん」


一本の矢が高い音を響かせながら、空を進んでいく。見送る村人たちが小さくなる中、爽やかな風が頬を撫でていった──




──空は高く、風が心地いい季節の出来事でした。




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