10.あなたと私は合わない。
「レナード様、あなたは私の結婚相手として不合格です。私はあなたとの婚約を破棄することにしました」
私は帰りの馬車で意を決してレナード様に伝えた。
昨日も危うく彼に惑わされ、流されるところだった。
しかし、彼の強引すぎるアプローチは私の脳を溶かすのではなく、逆にクリアーにしてくれた。
部屋に忍び込んでいるという高位貴族では許されないような方法で近づいてきた彼に、私は自分が尊重されていないと気が付くことができたのだ。
「私を不合格にしても私とミリアは結婚しますよ。そもそも、ミリアは合格者を出す気はあったのですか?」
彼が言う言葉の意味を理解しかねたが、私はとりあえず反論した。
「自分が不合格になったからって、合格者を出す気がなかったとでも言いたいのですか? 随分な自信家なんですね。この世界に35億もの男性がいるのです。あなたはその中の1人に過ぎないことをお忘れなく」
私は彼に対して非常に腹が立っていた。
確かに彼は魅惑的で女の脳を溶かすような魅力がある。
だからと言ってその魅力を使って、彼が私を誘惑する必要は全くないはずだ。
そもそも貴族間の結婚に感情などいらないのに、なぜ彼は執拗に私に迫っているのかを考えれば答えは簡単だった。
私のことを愛しているかのように振る舞う必要は全くない。
愛し合って結婚するような高位貴族などほとんどいない。
彼の行動の違和感に集中することで、私は彼の与えるときめきの連鎖から脱しはじめていた。
私を自分に惚れさせることで、利用するつもりなのだ。
その結論に達するまで、あまりに惑わされ過ぎて3日も掛かってしまった。
「サイラス・バーグなら合格だったとでも言いたいのですか? 本当にミリアは彼と結ばれるつもりがありましたか? 彼を男として、人としてみていましたか? ミリアは彼を利用し尽くしただけではありませんか?」
レナード様ははいつも私に対して甘い雰囲気を作るようにしていた。
でも、今、一切の甘い雰囲気を消して私を問いただしている。
やっと、まともに私と話す気になってくれたということだろうか。
「失恋して傷心している女性に対して本当に失礼ですね。私と彼の何が分かるというのですか? ご自分は何もかもサイラスに勝っているから、当然、私の心も得られると思いましたか? 優れている遺伝子を求めるのは女の本能らしいですものね」
私は彼に振り回された3日間を思い出しながら自重気味な笑いが漏れそうになった。
「周りの人間はすべて詐欺師」だという父の教えを思い出せば、彼は最高の詐欺師だ。
自分の魅力を熟知していて、まるで何もかも知ったかのような顔をして近づいてくる。
危うく、この私まで引っかかるところだった。
「私は何もかもサイラス・バーグに勝っているなんて思っていませんよ。まず、わかりやすいところでミリアと過ごした時間の長さで負けています。でも、ミリアが彼と結婚するつもりなど本当はなかったことは分かりますよ。ミリアは彼に興味を持って接してましたか?彼の家庭環境、家族構成、どんな趣味を持っているかなどを尋ねたことがありますか?」
レナード様の問いかけの目的がわからないのに、私の心はざわめきはじめていた。
サイラスと私は4年もの間、お付き合いをしていた。
共に学び、高め合い、壁にぶつかった時は慰めあって過ごした。
私と似たような目標を持つ同士だ、私は涙も彼にだけは見せられた。
「家庭環境、家族構成、趣味なんて聞いたことがありません。私は自分が聞かれたくないことは、人には聞きません。そんな質問必要ですか? 私なら聞かれたくありません」
自分の家庭環境を思い出し、心が酷く落ち込んでいく。
「結婚相手に対しては必要な質問ではありませんか? 私の家庭環境や家族構成は婚約者であるミリアには当然お見せしました。私の趣味は音楽鑑賞で、一番好きな演奏家はミリア・カルマンです」
彼は何を言っているのだろうか、私は確かに幼い頃からピアノを必死でやってきた。
それは、父が習い事として私に許してくれたからだ。
習うからには周囲を黙らせるような演奏をし、トップをとるようにと言われた。
不思議なことにピアノを弾いている時はトップを取らなきゃいけないという重責や、日頃差別され悲しい気持ちを忘れられて没頭できた。
しかし、私は演奏家ではない。
貴族たちの前で演奏を披露したことはあるが、記憶を辿っても彼が私の演奏を聴く機会があったようには思えない。
そんなことはどうでも良い。
彼が私の暮らしてきたカルマン公爵家がどんな家なのか理解しておらず、自分の恵まれた家庭環境を見せて満足しているのが許せない。
「私の家庭環境、家族構成を説明します。父には5人の妻がいて、8人の情婦を囲っております。ご存知かもしれませんが、ステラという姉がおります。彼女は紫色の瞳を持って生まれ宝物のように育てられました。一方の私は見ての通り赤い瞳をしております。所作や言動に問題があれば使用人の前でも床に座らせられ説教され、その後は部屋に監禁されて食事もとれません。最長監禁記録は13日間です。私の母は由緒ある伯爵家の出でしたが私が赤い瞳で生まれたことで、心神喪失状態で部屋にもう10年以上も部屋にこもって私への恨み言を朝から晩まで呪文のように唱えています。趣味はありません。趣味など作る時間があれば、後継者になるための勉強をしてきました」
私は家庭の恥部を思いっきりさらけ出した。
彼のような恵まれた家庭で育った人間からは想像もつかない地獄だろう。
「レナード様のお父様は妻を1人しか娶らなかったんですね。もしかして、エミリアーナ様のような才女を妻にして優秀な子を産ませ領主にし経営させていくのが、アーデン侯爵領の発展の秘密だったりします?私はアカデミーでエミリアーナ様以来の才女だと言われてましたが、それは全くの誤認です。私は才女などではありません。ただ、自分の悲惨な状況を公爵になることで変えたくて、血を吐くような努力を重ねた凡人です。だから、私の子はきっと男なら父のように女性関係にだらしなく不誠実で、女なら頭がおかしいと使用人に笑われながら引きこもるような子になります。手をお引きください、レナード・アーデン。私はあなたの手におえるような女ではありません」
私が矢継ぎ早にいう言葉にも、彼は表情を変えない。
彼は苦労知らずのお坊っちゃまだ。
誰より美しく生まれ、才能に恵まれ、それを手放して認めてくれる家族に囲まれて育っている。
早く顔を青くして、そんな女は妻にとは考えられないと私を突き放して欲しい。
「世界に35億の男がいるなかで、2人からしか夫を選べないステラ・カルマン公女は本当に宝物のように育てられたのでしょうか?」
思ってもみない彼の言葉に一瞬時が止まった。
私の脳裏には家で絶対権力を握っていて、決して叱責されることのないワガママな姉の姿が浮かぶ。
私が必死に勉強している間、毎日のように取り巻きとおしゃべりしている姉。
礼法の授業をサボろうと、家庭教師を理不尽にクビにしようと姉が咎められることは1度もなかった。
「紫色の瞳をもって生まれたカルマン公爵家の女です。皇族の紫色の瞳を持った男と結婚すれば、確実に貴重な紫色の瞳の子が生まれます。紫色の瞳の子なら将来皇帝になる確率が高く、公爵家はさらに皇権に影響を持つことができます。お姉様に求められていることは、それだけです⋯⋯」
私はそれ以上の言葉を続けられなかった。
姉を常に羨んできた、なぜ何もかも姉の思い通りになるのかと考えていた。
何をしようと咎められず、姉はとても自由に見えた。
「紫色の瞳を持った第3皇子と第5皇子、ミリアならどちらを選びますか?」
私は突然の彼の質問に2人を思い浮かべた。
銀髪に紫色の瞳をした絶世の美男ラキアス・レオハードを姉は選んだ。
美しいけれど父曰く野心がなく、他の皇子よりも優秀とは言えない。
姉が彼を連れてきた時も、キレ散らかしていて普通なら引くような姿をしている姉を恍惚と見つめていた。
正直、あの様子からでは姉にベタ惚れのドMなのか、自分が姉に選ばれたことで皇太子になれることに酔っているかのどちらかは不明だった。
彼はこないだ姉が選んだことにより、皇太子となった。
父が最近の皇帝に不満があるから、彼が皇帝になるのは時間の問題だ。
第5皇子は問題外だ。
嫌味ばかりいっていて、実力がない。
紫色の瞳に生まれたことを鼻にかけている。
言い換えれば、彼の価値は紫色の瞳にしかない。
彼が次期カルマン公爵になるなんて信じられない。
父も姉の言うことには逆らえないということなのだろうか。
「第4皇子でしょうか。前に一度踊った時にとても優雅で、会話にも彼の聡明さが滲みでていて興味深かったです。彼を失うのは帝国にとって大きな損失だと思います」
紫色の瞳は皇族の血が濃く誰よりも尊いという根拠のない神話の他に、もう1つの狂った帝国のルールがある。
皇太子にならなかった皇子は帝国民にノブレス・オブリゲスを示すために出兵することだ。
普段、帝国に疑問を持つ平民たちも自分の命を自分たちのために命を捧げる皇子たちをみて溜飲を下げる。
周辺国、特にエスパルは常に帝国を侵略することを狙っている。
皇子たちは出兵し、だいたい戦死や行方不明になる。
それにより皇太子の地位は脅かされることなく確固たるものとなっていく。
カルマン公爵家の女に生まれるのと、レオハード帝国の皇子に生まれるのはどちらが悲惨だろうか。
「ミリア、2択の選択肢を勝手に増やさないでください。それにしても、ミリアは第4皇子と踊ったことがあるのですね。私とは一度も踊ったことがないのに、正直嫉妬でおかしくなりそうです」
私は自分でも気づかぬ間に2人の皇子から選ぶ問題を5人の皇子から選ぶ問題にすり替えていた。
そう考えると一方的に羨んでいた姉の境遇を私は本当に理解していたのだろうか。
後継者になりたいとアカデミーに行く、恋人と逃げて自分の力を試したいと家出を試みる、帝国一のモテ男が近づいてくるという経験を姉がすることはない。
まだ私を口説くようなことを言ってくるレナード様は何を考えているのだろう。
自分が一度も私をダンスに誘って来なかったくせに、ふざけた男だ。
こんな男は、やはり私には必要ない。