9.アーデン侯爵領へ。
「本当に近いのですね。ほとんど首都じゃないですか」
私は馬車に乗っている間ずっとレナードの口づけに溺れていた。
手慣れてそうな彼からすれば、私はイージーな馬鹿女に見えただろう。
その恥ずかしさを誤魔化すように私はまた憎まれ口を叩いた。
私の反応の意図に気が付いているかのように、彼がほくそ笑む。
彼の余裕のあるような表情が私の心をざわつかせた。
「ミリア・カルマン公女。再びお会いできるのを楽しみにしておりました」
目の前で挨拶してくれているのは、元アーデン侯爵であるレナードの父親だ。
「私の方こそ、再び会えるのを楽しみにしていました」
宴会に出席した際、私はほとんどダンスをしなかった。
話しかけてくれる貴族とお話しをしていただけだ。
でも、その時間は私にとって学びの多い時間であった。
最も私にとって楽しい時間をくれたのが、この元アーデン侯爵だ。
「レナード、久しぶりだな。ミリア・カルマンを連れてくるなんてやるじゃないか」
2人のそっくりな男達がレナードに駆け寄ってくる。
「兄上、私は思い焦がれた女性を射止めましたよ。お2人とも頑張ってくださいね」
3人が笑いあっている、兄弟とはこんなに仲が良いものなのだろうか。
いつも姉に利用され、彼女を羨み苦しんでいる私の姉妹関係とはかけ離れている。
それに、兄という目上の存在に対して頑張ってくださいなどと言って良いのだろうか。
私が姉にそんな言葉を使おうものなら、1週間は部屋に監禁され反省文を毎日のように書かされるだろう。
「レナード様はもしかして、お兄様がお2人いらっしゃるのですか?」
私が彼を見つめると察したように彼が屈んでくれたので、私は彼の耳元で囁くように尋ねることができた。
「ミリア、私はアーデン侯爵家の三男ですよ。もっと、私に興味をもってください。少し傷つきました」
ご家族の前なのに彼が私を抱きしめながら言ってくる。
「うちは徹底的な能力主義なんだ。レナードが一番優秀なので三男だろうが跡取りだ。双子の兄は領地経営や事業をして遊んでいるよ」
元アーデン侯爵が笑いながら言ってくる。
信じられない、兄という目上の存在の前で弟の優秀さを隠すことなく話すなんてありえないことだ。
心配してレナード様の2人の兄達を覗き見ると、2人も当たり前のように顔を合わせて笑っている。
「初めてアーデン侯爵領を訪れましたが、首都よりずっと裕福で人々が生き生きとしています。アーデン侯爵領の税率は他の領地よりも低いですが、それにより商人を呼び寄せる以外にも富を集める工夫をなさってますよね。そのことについてご教授頂ければありがたく存じます」
私は領地経営についてどうしても気になったので、元アーデン侯爵に尋ねた。
税率を下げれば、優秀な商人が目をつけ商業が発達するだろう。
でも、それだけではないくらいこの領地は栄えていて人々が生き生きとしている。
「その秘密はレナードが知っていますよ。現、アーデン侯爵はレナードですから」
私は隣にいるレナードを見ると、彼はいつものように余裕の笑みを浮かべている。
先ほどまで息もつかせぬほどの口づけをしてきた彼を思い出し胸が詰まった。
応接室に行くと信じられないことに、私の憧れの人がいた。
「エミリアーナ・クラリス様ですよね。あなた様の経済書は全て熟読させて頂いております。比べるのも失礼なくらいアカデミーの教材よりも現状を認識されていて、常に学びを頂いております」
私は思わず目の前の憧れの女性の出現に興奮気味にまくし立ててしまった。
私のアカデミーの入学はエミリアーナ・クラリスという才女以来の女性入学だったのだ。
当然彼女は入学から卒業まで小テストまで首位の座を譲らなかったという伝説の才女だ。
「母上、ミリアは母上に憧れているようです。久しぶりに経済の話がたくさんできそうですよ。」
隣にいたレナードの言葉に驚いてしまった。
彼女は本を最近も出版していたが、ずっとエミリアーナ・クラリスという名前を使っていた。
社交界で彼女を見かけた覚えはない。
アーデン公爵夫人であったなら、社交も夫人の仕事だろうに。
でも、彼女がダンスやくだらない話をしているくらいなら一冊でも多くの本を出版してほしいと言うのがファンの希望だからどうでも良い。
後継者のアカデミーに通っていたのに、クラリス伯爵家を継がなかったということにも疑問が残る。
私もアカデミーを卒業しながら、家を継がないのだから人のことは言えない。
結局、その日は夜遅くまで彼女と話し込んでしまった。
日帰りで帰るはずだったのに、なぜだか湯浴みを済ませ部屋を用意されている。
「はー、最高に楽しかったわ」
私がベッドに横たわりながら呟くと、私を惑わす香りに包まれていることに気がついた。
「ふふ、私は母が紅茶を入れるところも、刺繍をするところも見たことはありません。でも、皆、母上を見るとと寄っていきます。ミリアも人が寄ってくる魅力がある人です。ミリアは今のミリアのままで良いんですよ。」
気がつくと、レナード様が ベッドで私に抱きつきながら耳元で囁いている。
「どこから、忍び込んだんですか? 婚前交渉などもっての他です。出てってください」
私は驚きのあまり彼を突き飛ばそうと押したがビクともしない。
「婚前交渉などするつもりはなかったんですが、ミリアは大胆なんですね。ただ、眠りにつく瞬間まで話をしたかった純粋な私を惑わすようなことばかり言ってほんとうに悪い女です」
私を組み敷きながら、口づけをしてくる彼に条件反射のように応えてしまった。
流石にこれ以上はない、結婚前に本当に何を考えているかわからない男だ。