水晶湖の悲劇
俺の名はナイトメア。
日本の犯罪史――いや、世界の歴史にその名を残すであろう、血も涙もない史上最も残忍で冷酷な殺人鬼だ。
今宵はお前たちを、これから俺が繰り広げる殺戮ショーへ招待しよう。
このページを開いたお前たちは、歴史的な惨劇の目撃者になるのだ。
覚悟はいいか?
この後、お前たちは思わず目を覆いたくなる程の、この世のものとは到底思えない、狂気に満ちた無惨な光景を
なに? 構わないから早く始めてくれ?
くっくっくっ……上等だ。いいだろう。
では、最低最悪の悪夢へようこそ。
◆
ここはS県の山奥にある湖、
その湖畔には、キャンプ場跡がある。
数十年前、そのキャンプ場では大量殺人事件があった。
真夏の行楽シーズンのさなか、キャンプ場は連日多くの利用客で賑わっていた。
そんなある晩、突然現れた何者かによって、利用客が次々と殺されたのである。
一夜明けたキャンプ場は一面が血の海、手足の欠損した死体がいくつも転がっていた。中には頭部を切断された者も。
それはまさに地獄絵図、阿鼻叫喚の様相を呈していたという。
そんな事件があったことから、利用客の足はしだいに遠のき、ほどなくキャンプ場は閉鎖となった。
事件発生から数十年が経った。
そんないわく付きの元キャンプ場は、現在も放置されたままとなっている。
全く手入れがされていない場内は草木で覆われ、管理棟や他の施設は廃墟と化していた。
やがて、かつての大量殺人事件は都市伝説と化し、若者の間で広まることになった。
時おり、肝試しと称して訪れる数人のグループ、はたまたビデオカメラを手に、動画撮影を行う者がやって来る。
――そうかそうか、そんなに恐ろしい体験がしたいのか。
それならこの俺が、お望みどおりお前たちを恐怖のどん底に叩き落としてやる。
レザーフェイス、ジェイソン、フレディ、ブギーマン――数多くの先人たちの偉業を、寝食も忘れて長年研究してきたこの俺様ナイトメアの手で、最悪の一夜を味わわせよう。
惨劇を繰り広げるのに、これ以上うってつけの日はないではないか。
◆
その日の夕刻、水晶湖キャンプ場跡を訪れたのは、好奇心と恐いもの見たさに駆られたと思われる、数人の学生グループだ。
殺人鬼ナイトメア最初の獲物となるのは、男が三人、そして女も三人か。まあ上出来だろう。
男のひとりは体格が良く、見るからにスポーツマンといった風貌だ。それにどうやら一番の年長者らしく、グループのリーダー的な存在のようだ。
別の男はいかにも神経質そうな面持ちで、言葉の端々に相手の神経を逆撫でするような、余計なひとことを挟む話し方をする。嫌味な皮肉屋といったところか。だが頭は切れそうだ。
おっと、一組の男女はやたらと身体を密着させているな。おそらく恋人同士なのだろう。
男の方は髪を金色に染めた、いかにもチャラそうな奴だ。ああ、女の方もそんなチャラ男とお似合いの、頭の中身も股間も緩そうなビッチだ。格好の獲物じゃないか。
残る女ふたりは、どうも乗り気ではないらしい。
しきりに「やっぱりやめよう」「帰ろう」と意見している。
どうにもこのグループには不似合いな女どもだ。
ひとりは眼鏡を掛けた真面目タイプ、もう片方は……どうにも捉えどころのない雰囲気。彼らの会話の中では「不思議ちゃん」などと呼ばれているようだ。
こういう女は妙に勘が鋭かったりする。
ん? 言ってるそばから、その女はそわそわと周囲を警戒している。要注意だ。
◆
彼らは車からキャンプ用具の大荷物を下ろすと、管理棟跡までやって来た。
今夜はここで過ごすつもりなのだろう。
恐怖の一夜になるとも知らずに。
連中は手にしたライトで周囲を照らし、各々が探索を始める。
「さすがに大量殺人があったって場所だけあって、雰囲気がハンパないな」
リーダー格の男が言うと、
「今夜は何か
それに続けて、皮肉屋が女たちに向け、わざとらしく震わせた声をかける。
「やめてよ。ホントに現たらどうすんのよ」
ウェーブの掛かった長い茶髪を揺らし、ビッチが不満げに答えると、傍らの金髪チャラ男がすかさず、
「そん時は俺が守ってやるから。安心しろよ」
と言いながら彼女を抱き寄せ、身体中を撫で回す。
「やめてってば、こんな所で……」
そう言いながらも、ビッチは薄笑みを浮かべて応える。
「――とか言いながら、まんざらでもねえ癖に」
人目を気にせずにイチャつく、そんな二人を冷めた目で見ながら、皮肉屋が吐き捨てるように言う。
くっくっくっ、せいぜいじゃれ合うがいいさ。
そうしていられるのも今のうちだ。もうすぐ襲い掛かる恐怖に、お前たちは言葉も出せなくなるのだからな。
「さて、今夜はどうする? この管理棟、いくつかの部屋が今も使えそうだけど――」
リーダーが提案する。
建物の中の探索をひと通り終えた連中は、朝までどう過ごすかの検討をし始めたようだ。
「一応どの部屋も内側からなら鍵が掛けられるみたいだし、男女で別の部屋に別れて寝るか?」
リーダーがそう続けると、真面目女は眼鏡の位置を整えながら、
「同じ部屋で朝までみんな一緒にいない? わたし、怖くて……」
と答える。
「まあ、女性陣が構わないなら、俺は別にいいけど。お前はどう思う?」
リーダーが皮肉屋に意見を求めた。
「――ああ、そうだな。俺も賛成するよ」
皮肉屋は意外な答えを返した。
なに?
違うだろ? お前の役割はグループの輪を乱すことだ。そこは反対する場面だろう。
お前はとにかく他人の意見に反発するキャラだ。そこは『俺は誰の意見にも従わない。俺は俺の好きなように行動させてもらう』とか何とか言って、単独行動する場面だろうが。そしてそのまま行方不明になり、最初の犠牲者として死体が発見される。それが軽口を叩く皮肉屋の役目じゃないのか!
しばしの話し合いの結果、連中は全員が同じ部屋で過ごすことに合意した。
何てことだ――確かに、殺人鬼の俺にとって、この連中を一気に皆殺しにすることなど容易い。
だが、後世にその名を残す悲劇として、それでは駄目なのだ。殺人鬼には殺人鬼の美学と言う物がある。
ひとり、またひとりと姿を消し、連中が逃げ惑っているさなか、突如現れる仲間の死体……そしてそれを目の当たりにして泣き叫ぶ女たち。
俺が今夜行おうとしている連続殺人は、そんな芸術作品でなければならないのだ。
いや、絶望するのは早い。まだ
何しろこのグループには、頭の軽そうなカップルがいる。
俗世間から離れ、自然の中で開放的になった彼らが一晩を共に過ごすのだ。彼らは絶対に『二人きり』になろうと、何らかの口実を作って別室――それも仲間から少し離れた――へ移動するはずだ。お約束の展開じゃないか。
だが、連中を観察していても、チャラ男とビッチは一向に部屋を出る素振りを見せない。口裏を合わせるような様子もない。
「お前たち――」
皮肉屋が、ランタンの灯りのもとで語り合うカップルに声を掛ける。
「お前たち別の部屋で二人きりにならなくていいのか? ヤることあるんじゃねーの?」
ニヤニヤと口許を歪めながら訊く。
「うっせー。こいつが怖がって、それどころじゃねーっつーの」
チャラ男が答える。
違うだろ? そこは『こんな状況だとかえって興奮する~』とか言って、他の部屋でセッ◯スする場面だろうが!
そこへ音もなく忍び寄る俺が、まずは女に覆い被さる男の首をへし折り、恐怖に怯える女が声を上げる間もなく、続け様にその首を締め上げる……これまで幾度となくイメージトレーニングしてきた展開だ。それなのに……こいつらは何も分かっていない!
俺はその後も機会を伺うため、連中の観察を続けた。すると不思議女が、もじもじと身をよじる。そして「――トイレ、行きたいんだけど」と、隣の真面目女に耳打ちする。
チャンス到来。この女はひとりになる。
俺は体が踊るほどの喜びが湧き上がるのを覚えた。
だがそれも束の間――
「じゃあわたしも」
真面目女が言うと、
「何? どうした?」
リーダー格が訊く。
「わたし達、ちょっとトイレ行って来るわ」
「あ、じゃあ俺も」
「わたしも」
と、次々と同行の意を唱える。
結局、別棟のトイレには全員で向かうことになった。
俺が落胆したのは、言うまでもない。
おかしい。
ホラー映画では、登場人物が一人きりになる状況が必ずある。観客がハラハラドキドキする場面だ。
だが、こいつらは一向に単独行動をしないし、何の疑問も持たず互いに協力し合う。
――あり得ない。連中には
このままでは、俺が長い時間を掛けて練り上げた計画が破綻する。
まずい、まずいぞ。何か手はないのか?
はっ!?
ふと気付くと、不思議女が管理棟の窓越しに、ある一点に鋭い視線を注いでいる。俺のいる、この場所に向けて。
この女、俺の存在に気付いている? まさか……。
「どうしたの? 何かいるの?」
真面目女が不思議女に訊く。すると、
「――誰か、来る」
不思議女は変わらず一点を凝視しながら答える。
何だと? 俺はまだ行動を起こしていないぞ。この女、いったい何を言っているのだ?
焦り始めた俺が連中の監視を続けていると、管理棟の建物へ向けて
屋内で連中が息を呑む。
「――またか」
明かりを向けた者が呟く。制服警官だ。
――警察はもう勘付いたのか? この俺の計画に?
「君たち、今すぐに出てきなさい!」
警官は手にした懐中電灯の明かりを向け、管理棟の窓へ向けて強い口調で声をかける。
すると屋内の連中は、覚悟を決めたようにぞろぞろと建物から出て来た。
「君たちね、ここ、私有地なの分かってる?」
横一列に並び、項垂れて警官の言葉に耳を傾ける学生たち。
「不法侵入で訴えられても文句言えないんだからね? 今日のところは大目に見るから、早く帰りなさい」
警官がまるで自分の子供に説教をするかのような口調で諭す。連中は警官に頭を下げながら、各々荷物を手に自分たちの車へ向かい、エンジンをかけると逃げるように走り去って行った。
待て待て待て。
相手が警官だからと言って、何を素直に従っているんだ。
せっかく話題のスポットに来たんだぞ?
適当に理由を付けて居座ろうとは思わないのか。
ふざけやがって。なんて
「――はい、怖いもの見たさでやって来た若者数人がいましたが、注意したら素直に帰りました」
警官はパトカーの無線機で警察署に報告する。
「……全く、次から次へと後を絶たないな」
報告を終えた警官が、ひと言不満を口にしてからその場を去ると、キャンプ場とその周囲は完全な闇と静寂に包まれた。
……。
……。
おい、冗談じゃないぞ。これでは計画が台無しではないか! 俺は誰ひとり殺せていないんだぞ?
いや待て、冷静になれ。よく考えるのだ。
――このキャンプ場跡は都市伝説で話題になっていた。
そして、肝試しや動画撮影を目的に、連日大勢の若者が訪れていた。
そこで地元警察も、迷惑行為が行われていないか、夜のパトロールを強化していたという訳か……完全に盲点だった。
まあいいさ。失敗は失敗だ。素直に認めよう。
その失敗を教訓として、次に活かせば良いだけのこと。
この俺、殺人鬼ナイトメアは、転んでもただでは起き上がらないのさ。
ともあれ、今夜の出来事は事細かにしっかりと記録に残し、同じ
『水晶湖の悲劇』として――。
〈了〉