小さな村の大きな戦い 前編
トガリと見分けのつかないモグラ族の一人が、時間だ。とわざわざやってきてくれた。
大丈夫……と言いたいところだが、恐らくアラハス側は俺ですら倒れるくらい美味い料理を用意して待ち構えているに違いないと思う。
対するトガリは……一品。そう、前菜とかデザートとか一切存在しない。一つの料理だけで戦いに挑むときやがった。
ワケわからねえ。つまりはそれだけ絶品のメシなのかってあいつに聞いたら、「全然」って一言だけあっさりと返してきた。それは自身の無さなのか、まさかそれしか思いつかなかったのか……俺には全然見当がつかなかった。
………………
…………
……
俺たち挑戦者が通された場所は、トガリいわく集会所って場所。その名の通りモグラ族が話し合いとかをするときに集まる場所なんだそうだ。
以前俺とナウヴェルが戦ったときみたいな、ひときわ広い岩造りの大広間って感じだろうか。
先に待ち構えていた一族から割れんばかりの大歓声。反響すっから耳が痛くなりそうだ。
「ルース、どう?」
「ああ……わずかに匂う。やっぱり思っていたとおりだ」集会場の広間には、俺たち一行が飯を食う大きな石造りの丸テーブルがドン! と中央に置かれていた。マジで大きい。家の食堂の床よりもだ。
席についたときに何やらジールとルースが会話していたんだけど……俺には一体なんのことやら。
ただ一つわかることは、ここに来るまでの間、ルースはずーっと流れてくる風の匂いを嗅いでいたってことくらいか。小さな黒い鼻を絶えずひくひくと動かして、真剣な面持ちで。
まあ、嗅覚の鈍い俺には何をしてるんだかさっぱりだけどな。
「アラハスの子どもたちよ!」突然、奥にあるひときわ大きな高台から老人の声が響いてきた。
一気にシンと静まり返る……そうだ、長老だ。イマイチ何を言ってるんだか分からねーが、司会も兼業してるってことだろうか。
「今宵、数十年ぶりの帰者の儀が開かれることとなった。皆には改めて礼を……」
はいジジイの講釈は長すぎるから聞き流しな。
つまりは村からこっそり出ていったトガリをまたアラハスに迎え入れるかどうかを、この料理対決で見極めたいっていうことだとさ。トガリは訛りのひどい長老の言葉をそう訳してくれた。
「僕がラッシュだったら、すぐにでもあそこにいって長老を蹴落としていたかも……」苦い草でも噛んだかのような顔で、トガリは壇上にいる長老を見つめていた。
つまりは、このトガリのことを村を捨てた裏切り者のような表現で話してたみたいだ。それも汚い言葉で、罵るかのように。
「サパルジェはそんな言葉を一つも使ったことなんてなかった……だからこそ僕はこの作戦で一矢報いたいんだ」
つまりは、何者かに操られているってことか……って、作戦!?
振り返るとルースの姿がいなくなっていた。トイレか? ンなバカな。
そしてトガリでさえ耳をそむけたくなるようなクソ長老の演説が終わり、モグラだかりの中心が割れ、その奥から現れてきたものは……
大皿にこれでもかとばかり盛られた料理だ。しかも漂ってくる匂いを嗅いだ瞬間、俺とフィン、それにイーグとアスティの腹の虫が、まるで巨大な井戸の底から轟音を響かせて現れてくる怪物の咆哮みたいに大きな深い音を響かせてきた。やばい、これ嗅いだことのない美味しい香りだ。
「砂エビとバンルゥ鳥のスパイス揚げだ。いきなりこんな凄い料理を……」
「トガリ、美味いのかあれ?」
「結婚式でも出さないほどの極上料理だよ、それにカザンのスパイスまで使ってる。本気だ……母さんは」
数分後……
皿の上には、エビの殻すらも残っていなかった。
俺たちが狂気に取り込まれた……まさにそんな感じだった。
一応毒味としてトガリが最初に手をつける間もなく、漂ってくる香りで俺は……いや、嗅覚とかそういう問題じゃない。アスティもフィンも、そしてロレンタまでもが手をソースで真っ赤にしながら最初のエビ料理にむさぼりついてきたんだ。もちろんチビも。
あまりにも一瞬のこと、いや……食っていたこと自体が記憶から抜け落ちていたほどの、それほどまでに強烈な印象しか残さない料理。
「わかった? これがアラハスのスパイス料理だよ」
ひとり冷静な顔のトガリが、そう言った。
「まさに、食べる人の精神を高揚させるクスリなんだ。とはいえそれは食べている間だけ。次から次へと出される魅惑の盛り付けに、みんな我を忘れてしまう。これほどの料理はアラハスの結婚式でだって出せないさ、長老クラスの式典……って痛っ!」
グダグダ講釈が長かったから一発殴って黙らせた。
しかし、これが前菜だっていうんだから、これから俺たち一体どうなってしまうんだか……
「初めて味わいました……すごく辛いのに不思議と汗は出ない。しかもこの刺激をもっと求める気持ちが止められなくって」
「僕もです……これがトガリさんのご両親のなす技なんですね」
あまりの美味さに腰を抜かしたロレンタ、それを介抱するアスティまでもが顔を紅潮させながら満足げに話していた。わかる、これは最強の……いや世界一だってことに。
続いて出されたのは無色透明なお湯……? いや、スープだ!
「ナランゲの苔を煮出したスープだよ。これも……」
よく知らんけどやっぱり一瞬のうちに飲み干していた。テーブルマナー? んなモン知るか。
隣じゃチビが皿までぺろぺろなめているしな。
「すげえ……最初口に入れるまでは全然香りすらしなかったのに、喉ごしが、まるで海のようで」
フィンの言葉に、俺とチビをのぞく全員が一斉にうなづいた。わからん。海水ってゲロ吐くくらい塩辛いだろーが。
そしてメインが運ばれてきた。
あれだけ前菜を食っちまったというのに、皿に盛られたその姿を見ただけでまた腹の虫が鳴る始末。
意識まで取り込んでしまうのか、この料理たちは!?
「地下水路でしか獲れないアラハスで最も希少にして貴重な「財魚」……それを三年近く砂漠の太陽で干した後、さっきみんなが口にした大海のスープで三日三晩戻すんだ。それをガダーノの最上級であるエル・ガダーノと一緒に炒めて、最後に香草に油通しした香り高い餡をかける……贅に贅を尽くした料理たちさ。一生に一度お目にかかるかかからないか……」
と言ってる間にもうパチャは料理にかぶりついていた。
「んぁ……つまり総力をかけてトガリを叩く気よね」
「遅れてすまん、俺のぶん……ってうわぁぁぁあ!」
最後の仕込みに時間を取られ、大急ぎでイーグが来たはいいが……そこに料理は残されていなかった。当たり前か。
「ふざけンじゃねーよチクショーバカやろー俺っちだけ無視かよ! てめーら全員砂漠で焼肉になっちまえ!」
甘く煮込まれた山クラゲのデザートにホッとひと息。もはや全員イーグの泣き言すら耳に入らなかった。
さて、お次はトガリのターンだ。
「勝算……あるのか?」
「はっきり言って、ゼロだよ」あっけらかんとトガリは返した。
だけど……と、デザートをつるんと飲み干したあいつの顔は、なぜか自信に満ちていた。
「母さんの料理が力一辺倒なら、僕たちの料理はテクニック……かもね」
なるほど、よくわからん。