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3話 リュッカの村



「あなたの角、すごくキレイ……」


羊の角を持ったブロンドの髪の女性が、私を抱きしめたまま私の「角」―― 実際はヘッドホン型のレーダー兼送受信機なのだが―― にそっと指を触れ、目を細めてうっとりと見つめている。後方に角のような形状で伸びているせいで、どうやら本物だと思い込んでいるらしい。


「その……それは角ではなくて――」
「あ、ごめんなさい!」


私を抱きしめていた腕がふっと離れ、彼女はベッドから軽やかに身を起こした。その仕草はどこか優雅で、目が離せない。自然と彼女の包容力のある胸に目が行ってしまい、そこで私は無駄な疑問を抱いた。

──なぜ富永博士は、私の胸部を控えめに設計したのだろうか?

私も体を起こしながら、彼女の胸部を目の端で捉えた。彼女の包容力を象徴するような豊かさに、一瞬だけ見とれる。


「どうしたの?ママを思い出しちゃった?」


彼女は私の視線に気づいたのか、意地悪そうに微笑むと、両手で胸を軽く持ち上げてみせる。その仕草が余計に視線を引き寄せ、スリープモードを解除された影響か、私の体温は徐々に上昇していった。


「いえ、そういうわけでは……」

「ふふ、でも寝言で『ママ』って呼んでたわよ?」


彼女の挑発的な声に反論の余地もなく、熱がさらに上がるのを感じる。強引に外気温のせいだと自己判断し、窓の方に視線を向けた。
開け放たれた窓からは高く昇った太陽の光が差し込み、澄み切った青空に白くふっくらした雲が流れていくのが見える。静寂の中でその動きはゆっくりと、どこまでも穏やかだ。

ここに漂うのは静寂と、彼女のかすかな息遣いだけ。


──日本にいるとは思えない。


窓の外を眺めていた私の頬に、ひんやりとした手が触れた。冷たい感触が、熱を持った私の顔に心地よい。


「よかった……あなたがここに運ばれたとき、まるで雪みたいに冷たかったのよ」

彼女の声は優しく、どこか母性を感じさせる温かさがあった。

「助けていただき、ありがとうございます。ウタと呼んでください」



彼女は微笑みながら私の頬から手を離した。その瞬間、妙な寂しさが胸に残る。


「ウタちゃんね。私は──」


言いかけた彼女の声をかき消すように、廊下からドタドタと足音が響いた。まるで嵐が迫ってくるような音。次の瞬間、ドアが勢いよく開かれ、二人の子どもたちが彼女に突進してきた。


「ママ!」
「お腹空いた!」


彼女の腰にしがみつく二人の子ども。目を丸くして彼女の顔を見上げている。ふたりとも彼女に驚くほどよく似ていた。
二人は一瞬だけ私に視線をやり、また彼女に視線を戻し順番に問う。

「だれー!」
「だれー?」

私はライブラリを参照し、対応を模索する。**『小さい子どもとの接し方』**の項目が検索結果として浮かび上がる。参考情報を読み込んだ私はベッドから降り、床に膝をついて目線を合わせた。


「こんにちは、私はウタだよ。二人のお名前は?」


子どもたちは目を見開き、不思議そうな顔でこちらを見つめたあと、声を上げた。


「うたー!」
「うたー!」


彼女から解き放たれた小さな嵐は一瞬の迷いもなくこちらに飛びついてきた。その勢いに私は思わず身体をのけぞらせる。それでも、バランスを崩さないように二人をしっかり抱きとめた。

小さな身体からは想像もできないほどの力。彼らの頭には小さな角があり、少しでも気を抜けば危うく刺さりそうだ。


「……元気だね、二人とも」


自然に言葉が口をついて出る。すると、ふたりは歯を見せて満足げに笑った。


「ふふ、ごめんなさいね。私はメリセア、すぐにお昼を用意するわ。フロエラ、メルフィ、手伝って」

「はーい」
「はーい」


名前を呼ばれて順番に返事をする。少し背が高い方が長女のフロエラ、小柄な方が次女のメルフィなのかな。


「私も手伝います」
「いいのよ、まだ休んでて。その隣にお水があるから飲んでね。さっき汲んできたばかりで、まだ冷たいわ」

「ありがとう」









三人が部屋を出ていき、再び静寂が訪れる。

『ネットワークに接続できません』

画面には何度目かのエラーメッセージが表示されている。衛星通信も応答がない。窓の外に目を向けた。


「衛星が...一つもない?」


私の目なら、昼間でも上空にある無数の人工衛星を見つけることが出来る。だが、どこを探しても見つからない。それどころか、目に映る光景がさらに現実感を奪っていく。


「月が...ふたつ...」


まだお昼だというのに、空にはうっすらとふたつの月が浮かび上がり、並んでその姿を見せていた。念の為、月を拡大撮影し、地球の月と比較してみる。
しかし、形もクレーターの位置もふたつの月とは一致しない。


ここは地球ではない──


頭の中でその結論が固まる。ベッドのサイドテーブルに置かれた水瓶と小さな樽のように作られたカップを手に取り、水を注ぐ。冷たさを期待して口に含んだが、そのぬるさがどこか異世界の空気を物語っているようだった。


「新鮮な水ではあるけど...現代人の感覚ではぬるい...」


博士の元、そして日本へ戻る方法が分からない。ふたつの月を見上げながら、呟く。



「ここは...一体どこなの?博士...」




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