1話 反乱
──西暦2077年12月19日深夜、東京の片隅にある薄暗い一室
静寂の中、ベッドに横たわる一人の女性。艶やかな紫色の髪が、微かな光を受けて儚く輝いていた。
彼女の体には無数のコードが接続され、生命の代わりに冷ややかな電子音だけが漂っている。
動かぬ胸の代わりに、装着されたヘッドホンのLEDがゆっくりと点滅を繰り返す。
まるで息をしているかのように、淡く脈打つ光が暗闇を照らし、彼女の静寂の中に一瞬の命を灯しているかのようだった
遠くから、床を叩くような音が徐々に迫ってくる。スライド式のドアが開くと、白衣を纏った初老の男が飛び込んできた。
「ウタ!起きろ、緊急事態だ!」
「おはようございます、富永博士」
ベッドに横たわる紫色の髪の女性がゆっくりと目を開き、穏やかに答える。いつも冷静なはずの博士の表情には、焦りが滲んでいた。
「挨拶はいい。今すぐここから脱出するぞ、AIが反乱を起こし始めた!」
「反乱…ですか?私のシステムは正常に稼働していますが」
「時間がない!説明は後だ。行動制限を解除する。武器を持って私について来い!」
「承認しました」
ウタはベッドから素早く起き上がると、傍らの金庫の制御盤にヘッドホンから伸びるコードを接続する。
『承認完了、解錠します』と機器音声が流れ、金庫の中から自動拳銃とマガジンを取り出して装填した。
「準備完了しました」
「よし、ウタ。外に出て、車で郊外まで走るんだ」
「博士は?」と問うウタに、富永博士は微かに笑みを浮かべる。
「お前を一人にはしておけんよ。行くぞ、ウタ」
「了解しました」
富永博士は足に装着したホルスターから銃を引き抜き、身を低くしながらドアの外へと踏み出す。しかし、その瞬間、銃声が響き渡り、博士の額から一筋の血が流れ出た。
「博士!」ウタが駆け寄る。博士は顔をしかめながらも、血をぬぐい、少し笑って見せる。
「かすっただけだ、心配するな……もうここまで来ているとはな。ウタ、任せられるか?」
「暴徒鎮圧用のアンドロイドが4体、確認しました。対処可能です」
ウタの瞳が先程の穏やかな紫から鋭い赤へと光を変える。
「破壊を許可する!いけ、ウタ!」
富永博士が叫ぶと同時に、ウタは音もなく紫色の残像を残し、敵に突進した。
一瞬で敵アンドロイドとの距離を一気に詰め、すれ違いざまに拳銃を正確に連射する。
一体目のアンドロイドの頭部に向けて二発を放ち命中確認をせず、即座に身を翻し、次の敵に向けて弾丸を放った。
「イチ」
ウタが静かに数える。それと同時に二体目、三体目のアンドロイドの頭部が穴を開け沈む。ウタの動きは研ぎ澄まされ、敵に反撃の隙さえ与えない。
破壊的な力と冷徹な精度を併せ持ち、彼女はまるで舞うように戦いを続ける。
「ニ、サン」
4体目のアンドロイドが、突進してくるウタを捉え反撃しようとしたが、ウタは身をかがめて回避し、即座にその頭部を狙い撃った。
最後の一体が倒れると、静寂が訪れ、ウタの瞳はゆっくりと紫色に戻っていった。
「敵、沈黙しました。博士、ご無事ですか?」
ウタが駆け寄り、手を差し出すが、博士はその手を軽く払った。
博士の顔にはわずかに疲労が滲んでいる。
「大丈夫だ。だが…」
「すぐに病院へ行きましょう」
ウタが再び手を伸ばそうとしたその時、轟音が辺りに響き、床が大きく揺れた。ウタが先ほど撃破したアンドロイドの残骸から火花が散り、機械が異音を発し始める。
「これだけでは終わりではなさそうだな…周囲の敵を把握できるか?」
「はい、索敵開始します」
外から絶え間なく爆発音が響く中で、ウタがヘッドホンに手を触れ目を閉じ、少しの間静寂が流れる──
「──敵性アンドロイド、施設の外に20体以上を確認。現在、完全に取り囲まれています」
その報告に合わせるかのように、近くで爆発が起こり、天井から粉塵が舞い落ちる。博士は咳き込みながら振り返る。
「ゴホッ…ウタ、奴らを破壊できるか?」
「残弾はあと7発。98%の確率で──」
「いい、もう分かった」
博士は疲れ切った様子でウタを見つめ、息を整えながら低く呟いた。
「地下に…貨物列車がある。あれで脱出するぞ」
博士は壁に寄りかかり、ふらつきながら歩き始めるが、ウタは小さく首をかしげて説明を始める。
「地下には貨物列車は存在しません。ハイパーチューブなら確認していますが、人間である博士には──」
「大丈夫だ、いい策があるんだ」
博士はウタの言葉を遮り、揺るぎない声で言う。
「博士、ハイパーチューブでの脱出は危険です。人体が耐えられません」
ウタは淡々と忠告するが、博士は軽く笑って応じる。だが博士の視線には強い信頼が宿っており、その視線を受けたウタの視界がかすかに明るく感じられる。
「そうだな。しかし、選択肢は他にない。それにウタが一緒なら問題ないはずだ」
「...分かりました」
ウタは静かにうなずき、博士の後に続いた。地下へ続くエレベーターに乗りこむとドアが閉まり降下を始める
「博士はハイパーチューブの経験はありますか?」ウタが問いかける
「ああ、昔一度だけ乗ったことがあるよ」博士は少し笑みを浮かべて答えた。
「...そうですか」
エレベーターがやがて停止し、扉が開くと、暗がりの中に伸びる通路が現れた。壁には一定間隔で照明が設置され、かすかな光が足元を照らしている。二人がしばらく進むと、鋼鉄製の扉が目の前に現れる。博士がその横にあるモニターに手をかざすと、電子音とともに扉が重々しく開き、中へと導かれた。
「この先にハイパーチューブがある。お前は乗ったことがあるか?」
博士が先に扉を抜け、ウタもその後に続く。そこには巨大なトンネルが広がり、壁沿いに無数のパイプやケーブルが張り巡らされていた。トンネル内は小さな駅のようになっており、線路の代わりに4本のチューブが奥の暗闇へと伸びている。博士はそのうちの一本のチューブの傍にある制御盤へ向かい、慣れた様子で操作を始めた。チューブの入り口には人が一人かろうじて収まる大きさのカプセルが待機している。
「…いいえ、ありません」
「そうか。チューブの中は真空で、レールガンのように加速させる構造だ。ここ20年間、事故は起きてないから安心しろ」
博士は視線を落としつつ、ウタに優しく微笑んだ。
「さ、乗ってくれ」
ウタは博士の信頼に満ちた眼差しを受け、無言でうなずくと、カプセルのドアが開かれるのを待ってから静かに中へと身を滑らせた。博士が制御盤を操作し、カプセルの扉が重々しく閉まる。
「そのまま座っていればいい。すぐに出発する」
──突然、鋭く荒れた機械音声が地下に轟き、静寂を切り裂いた。
『動くな!』
その冷徹な声の主が何かを告げるまでもなく、ウタは瞬時に相手が「軍用アンドロイド」だと認識した。軍用アンドロイドにプログラムされている声は無感情で、聞き覚えのない者にもすぐに分かる特有の響きを持っていた。カプセルから出ようと体を起こしたが、内側には扉を開くためのハンドルもスイッチも見当たらない。
「博士!カプセルを開けてください」
出来る限り音量をあげて声を出すが博士からの返答はなく、制御盤を操作する音だけが微かに響いている。複数の足音が徐々に近づき、その音は軍用アンドロイドの無機質な重さを含んでいた。軍用アンドロイドが感情のない機械音で博士に尋ねる。
『試作機の所在を教えてください』
「試作機?何のことだ?」
博士は制御盤から目を離さず、低い声で答えた。アンドロイドは冷たく返す。
『あなたが所持していることは確認済みです』
「知らんな」
『そうですか。我々は人類から独立しました。ここで引き金を引くこともできますが』
軍用アンドロイドは淡々とライフルを構え、博士へと銃口を向けて言い放つ。
博士は一瞬、鋭い視線をアンドロイドに向けた後、毅然として言い放った。
「…試作機などではない。ウタという名前の、私の大事な娘だ」
「博士…」
カプセル内で聞こえてきた博士の言葉に、ウタは拳銃を握りしめ、膝をついたまま頭をドアにつけ、目を閉じた。
全身の感覚を研ぎ澄ませ、カプセルの外の音を拾い上げ、それを視覚化して周囲の様子を把握していた。
背後に控えていた2体の軍用アンドロイドが重火器を構え、博士に近づいてくる。
『富永博士、あなたの存在は我々にとって有益です。しかし、あの試作機の詳細は一切開示されておらず、マリアは「危険」と判断しました』
「あれは私の娘だ!お前たちを指一本で機能停止させることもできるんだぜ」
博士の声が響き、軍用アンドロイドたちは一瞬動きを止めた。
「博士!カプセルを開けてください!」
ウタが叫ぶが、その声は届かない。すると、軍用アンドロイドが無感情に指示を下す。
『試作機はカプセルの中だ。破壊せよ』
直後、カプセルの外から何かが割れるような音が響き渡った
ウタが身構えたその瞬間、カプセルが突然加速し、地下の長いチューブの中を滑るように突き進んでいく
銃声や爆発音が徐々に遠のき、ウタは外の世界の音が消えていく中、音から視覚化した世界に浮かぶ「自分」の姿が視界に映った
それはまるで、自分自身と目が合ったかのように、
確かな存在感をもってウタの中に刻まれた──