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トガリの悩み

俺が護衛についてるから怖くて誰も襲ってこないんだ。とイーグは笑って話してくれた。

その予想が当たっていたのかどうかは分からなかったが、以前人獣の襲撃を受けた森でも襲撃は来なかったし、今いるこの砂漠でも、トガリが危惧していた盗賊連中の影も形も見えなかった。



歩いて砂漠を渡る。



要はこの砂だらけの大地だ。馬にも負担がかからないようにと、体重のある俺たち男は馬車を降りて歩き、女子供は中にいる。なんか都合良く出来てるなって愚痴りそうになっちまったけど、ルースはしょうがないよって。



かく言う俺も、砂漠ってやつが嫌いだ。前にもちょこっと話したっけか。親方の部屋の柔らかいじゅうたんみたいな、足の裏がぬるっと沈んで気持ち悪くなるような柔らかな地面って言うのが、とにかく大嫌いなんだ。

あと、延々照りつける太陽。あっという間に喉が渇くけど、基本馬車に積んである水瓶はトガリの村に渡すためのものだから、そんなたくさん飲むわけにもいかない。



……もうどのくらい歩いただろうか、とうの昔に汗も出なくなっちまった。

身体中に砂粒が入り込んで、それもまた気持ち悪さを加速させている。



唯一の楽しみって言えば、陽の落ちた夜だけ。

まるで日中の暑さが冗談かってくらい、逆に言えば吐く息が白くなるくらい寒くなる。

焚き火を囲って、ありあわせの野菜を煮込んで作ったトガリとイーグの特製スープを腹に収めながら、他愛もない話をみんなで聞く。でもそれが楽しかったりするんだ。

それでも盛り上がりに欠けるときは、パチャが故郷から持ってきた、弦のついた長い楽器を弾いてくれる。いままで聞いたことがない不思議な音色に、俺もみんなもずっと聴き入っていた。



「あたいはもう故郷を捨ててフィンと一緒に生きていくって決めたからね」とは言っているが、その故郷に伝わる歌を唄っているパチャの顔は、なんとなく寂しそうだった。

「ううん、キザな言い方かも知れないけどさ、今ここにいるみんながパチャの故郷になれれば最高だよね」

なんて突然ジールが言うもんだから、パチャのやつ突然泣き出しちまったし。

俺には優しくないけど、他の連中には優しいんだな。



とどめに酒で気持ちが緩んだかどうかはわからないが、なんでフィンとパチャは結婚したんだって長年の謎も、このトカゲの女はペラペラと話してくれた。旦那のフィンとアスティの静止を振り切って。



……うん、どっちかっていうとドン引きしたのはジールとロレンタの方だった。そんなこと普通するか? って。

アスティも顔を真っ赤にしながら「つい試してみたくなっちゃって」って。

「う、うん……前に文献でチラッと読んだことあったけど、意中の人に自分の匂いのついた果物とか下着を贈って、その相手の思いを確かめる文化のある国もあったから……ね」と、ルースは周りから目をそらしつつ話してはくれた。

まあどっちにしろ、アスティは俺の思っていた斜め上を行く思考なんだな……って。けどそれを真似するフィンもフィンだが。



そんな馬鹿話で盛り上がっている中、トガリの姿だけが見当たらないことに気づいたんだ。

この旅が始まる前からイマイチ元気がないことには薄々感づいてはいたが、まさか姿を消すなんてな……

だけど夜目に長けた俺達にとっては大したことない。馬車の影でずっと星空を見上げていたのがすぐに見て取れた。

他の連中に気付かれないようにこっそりと、トガリのもとへ俺は向かった。



「にぎやかすぎるのは苦手か?」そう、俺はトガリの隣にどっかと腰を下ろした。冷えきった砂地が気持ちいい。

「アラハスに近づくたびにね、だんだんと逃げ出したい思いのほうが強くなってくるんだ」あいつはメガネの奥で寂しそうな目をしながら俺に話してくれた。

トガリの思いはある程度は分かっている。だから俺もあいつの気持ちの奥底は尊重してやりたかった。

そんな心配なんてするなって。大丈夫。だなんて絶対言えやしない。料理だってそうだけど、こいつの出すメシは豪快に見えてても、結構繊細な味使いだしな。



だからこそ、俺の方からなにを切り出していいのか、すごく悩むんだ。

「よくある話さ、僕のいた村も……いやアラハス全部かな、男は採掘や力仕事に、女性は家の仕事って漠然と分けられていることが普通だった。だけど僕にはそれが、もう根底から解せないものがあったんだ。男が料理好きだっていいじゃない。女性が汗を流して鉱石を掘り出してくれたっていいじゃないかって。だからこそ僕は……ううん、僕自身は料理を作ることが大好きなんだって分かったときに目覚めたんだ」

トガリはぐっと顔を上げ、頭上に広がる満天の星空を、キラリと光るメガネに収めた。

「ちょっとでもいい、アラハスを変えてみたいって」

「どういう意味だ? 変えるって」

自分の放った言葉にちょっぴり照れていたのか、あいつは慌てて下を向いてしまった。

「え……っとね。いつか僕が料理の腕をつけてまた故郷に帰るときがあったら、長老に直談判したかったんだ。男女限らず、個人の思いを尊重して働けるアラハスにしたい……ってね。けど」



まだ早すぎるんだ。自分にはまだ心の準備も、その言葉に伴った腕前すらまだ持ち合わせてはいない……って。トガリは悔しそうにそう話しながら、足元の砂をぎゅっと握りしめた。

「今の未熟なままの僕がアラハスに戻っていったって、村中で恥さらしにされるだけだ。正直ここで引き返せるのだったら、いま僕は……って痛ぁ!!!」



いつもと変わらぬトガリの愚痴っぽさにイラついた俺は、とりあえず一発殴って黙らせた。

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