夜明け前
「
ハンドルを握りながら、俺は悪態を付いた。
誰に、何に向けてなのかは、俺自身にも分からない。とにかく胸にモヤモヤしているそのわだかまりを、吐き出さずにはいられなかった。
「いったい何が起こってるって言うんだ!」
ペンシルバニア州ピッツバーグ。
その日の明け方近く、俺はモノンガヒラ川沿いのハイウェイ376号線を、東に向けて車を走らせていた。
路上には乗り捨てられた何台もの車が列をなし、所々でガードレールに突っ込んでいる。どの車も窓ガラスはひび割れ、中には赤黒い飛沫で染まっているものまである。
それら障害物を避けるように、慎重に車を進めた。
俺の乗るこの濃紺色の車には『SWAT』の文字が入っている。
『Special Weapons And Tactics(特殊武装及び戦術)』の略だ。
言うまでもなく、俺はピッツバーグ市警察の特殊部隊SWATの隊員である。いや、「だった」と言うべきか。
出動命令があったわけではない。それでも俺は今、ありったけの武器を積んだ装甲車を走らせている。目的地などない。とにかく都市部から、人の大勢いる場所から離れなければならなかった。俺自身が生き延びるために。
俺はハンドル操作の傍ら、無線機やラジオで情報を得ようと試みた。だが警察無線の呼びかけに応える者は誰もいない。すでに警察組織は機能していなかった。
「F*ck!」
無線のマイクを助手席に叩きつけると、次にラジオのスイッチを入れた。チューニングのツマミを回すが、どの周波数も耳障りなノイズを吐き出すだけだった。
『ザッ……現在……です』
チューニング操作を繰り返しているうちに、かすかな音声が聞こえた。まだ放送を諦めていないラジオ局があるらしい。
『緊急放送を行なっています。政府は午前零時に戒厳令を布告、不要な外出は控えるよう呼びかけています』
『人の大勢集まる場所には不用意に近づかないでください』
『学校、州軍基地などの避難所は現在どこもパニックとなっており――』
様々な声が入り乱れている。だが、どうやら安全な逃げ場はどこにも無さそうだ。
落胆する俺に構うことなくラジオは続ける。
『――昨日未明より多数発生している、集団が人を襲う事件ですが、彼らは狂人なんですか? それとも何らかの薬物使用によるものでしょうか?』
『いえ、彼らは死人です。死んだ人間が蘇り、生きた人間を襲っているのです』
そんなことは分かってる。これまでの数時間の間に、俺は嫌というほど目の当たりにしてきた。
ヤツらに噛まれた者も、じき死に至る。やがて蘇生し、何かが伝染したかのようにヤツらの仲間へと変貌するのだ。
しかもヤツらはいくら銃をぶっ放しても全く効かない。怯むことなく生きた人間を襲ってきやがる。
これまで俺が学んだのは、ヤツらの活動を止めるには頭を破壊するしかない、それだけだ。
もう何人も仲間がやられた。これが悪夢なら早く覚めてくれ。
車がピッツバーグを出ると、やがて郊外の街モンロービルだ。疲労と焦燥は極限に達していた。この辺りでひと眠り出来る場所を探そう――俺はインターステート・ハイウェイの376号線からUSハイウェイの22号線にハンドルを切った。
住宅街のウィルキンズ・タウンシップに差し掛かると、路上にヤツらが目に付くようになる。だが、大都市の比ではない。この数なら十分やり過ごせる。
俺は車の速度を落とした。連中の合間を掻い潜るように、慎重に進む。
問題ない――と思った直後だ。ヤツらのひとり、太った中年男が運転席側の窓に手を掛けた。虚ろな目は白く濁っている。当然だが、その顔からは生気を全く感じない。
俺はショルダーホルスターから私物のデザートイーグルを抜き、そいつの額に向けて至近距離から一発お見舞いした。
.50アクション・エクスプレス弾が男の頭を貫通、後頭部の骨と肉片を周囲に撒き散らしながら、そいつは仰け反って地面に崩れた。まるでストロベリージャムとピーナッツバターをぶちまけたように、アスファルトが血と
完全に油断していた。やれやれ、いい加減どこかで休まねば。
車が小さな住宅街を抜けると、すぐ目の前に巨大なショッピングモールが現れる。
確かここは……頭の中に、昔見たある映画のシーンが次々とフラッシュバックしていた。
モンロービル・ショッピングモール。その映画のファンの間では有名な場所であり、いわゆる聖地だった。
おいおい、これはいったい何の冗談だ?
こんな状況の中で、よりにもよってこんな場所に来てしまうなんて。
まあいいさ、これも何かの縁かも知れない――俺は苦笑混じりにハイウェイを降りた。
モールを囲む広大な駐車場には、無数のヤツらが徘徊している。ある者は片腕を無くし、またある者は裂けた腹から臓物をはみ出させながら。
この世の地獄とはまさにこのことだ――いや、目の前の光景は恐らく地獄ではない。
「When there’s no more room in hell, the dead will walk the earth.(地獄が満員になったとき、死者は地上を歩くだろう)」
俺は例の映画の有名なセリフを口ずさんだ。
そう、ここは地獄よりもよほどタチが悪い。
モールを見下ろす高台に車を停めた俺はシートにもたれかかり、窓から外の景色を一瞥する。あまりの疲労で感覚が麻痺してきたのか、ここにきて俺は不思議と冷静さを取り戻していた。
東の空が次第に朱色へと染まっていく。『Dawn of the Dead(死者の夜明け)』はもうすぐだ。
〈了〉