第九話 陰気な部屋
部屋でのんびりと朝の支度を整える。下地にファンデにハイライト。アイラインを引いてアイシャドウにマスカラ、チーク、仕上げにリップ。涙袋は今回は作らない。別にいつもなくても良いが、気分を上げたい時だけ涙袋を作っている。完成したな、とドレッサーにリップを置く。
今日は心理潜航捜査班に出向く予定だ。ミスティに班の雰囲気聞いたが、真偽はどうであれどんな雰囲気でも馴染めるように頑張るしかない。……獣人ばかりだろうから浮くのは確実だろうが。いや多分人間も居ると信じたい。
眼鏡型デバイスと言語補助デバイスを左耳に入れ込み、最後に指輪を嵌めた。あとはヒューノバーが来るのを待つばかりだった。部屋に備え付けのテレビでニュース番組を観ていると来客を告げる音。
ヒューノバーだろうと入り口に向かって扉を開ければ、虎の顔の穏やかな笑顔が出迎えた。目を細めて笑っているのが可愛らしい。と感じるようになってきた。
「ミツミさん、おはようございます」
「おはようございます、ヒューノバーさん。今日は心理潜航捜査班に連れて行ってくださるんですよね」
「ええ、緊張していらっしゃいますか?」
「ちょっと」
部屋を出てヒューノバーと共に歩き始める。どのブロックにあるのか。と聞くとSブロックの警務局内に存在するそうだ。
「皆さん良い方ですから、心配要りませんよ」
「だと良いんですが」
「この惑星に来てから大体二週間ですし、まあ自分以外の獣人の方と接するのは良い経験になると思います。今後も考え」
食堂で食事を摂ってはいたが、がっつり絡まれたのは昨日が初めてだった。獣人相手なんてほぼ無かったこともあり萎縮してしまっていたし、今回はそうならずに済めばいいが。
しばらく総督府内を歩き、途中移動補助のエスカレーターのようなものを使ったりして辿り着いた警務局。そうして一室の前にヒューノバーは足を止めた。
「こちらになります。入りましょう」
「うう……ちょっと心の準備を……」
「うちの班総人数二十名なので他よりも人は居ませんよ。出払って外に行っている人も多いですから。そう気構えず」
ね? とほんわかした笑顔で告げられ、まあこいつが居りゃあなんとかなるか……と心を落ち着ける。いざとなったらデコイ作戦だ。
顔を上げると、大丈夫そうですね。とヒューノバーが柔らかく告げる。なんだかんだ安心する声で緊張が解れてきた。
扉に近づくとしゅ、と自動で開く。中は……薄暗い。電子機器のちかちかとした明かりが多く壁側から発せられている。端末が置かれたデスクの前に座って作業中の獣人だったり、話し合い中らしい獣人の姿が確認出来た。
「ヒューノバーです。お久しぶりです皆さん」
「おー、ヒューノか。つうと、後ろのヒト喚びビトか?」
「うえっ」
いつの間にか現れたのか、横からコーヒーらしきカップを持った獣人が現れた。声からして男性だとは、思う。多分。
ヒューノバーの声に部屋中から声が上がったが、ひとりの女性らしき獣人が向かってきた。
「ヒューノ、喚びビトの方、確かミツミだったかしら。歓迎するわ」
「班長、お久しぶりです」
「こちらに、ミツミ」
「し、失礼します……」
まず現れた二人に習って端の方にある会議用スペースへと移動する。仕切りがあるので外は見えない。ここは明るいんだな。とぼんやり思いつつ話を聞く。
「私、班長のリディアです。こちらはバディのシグルド」
「どうも〜。俺らは二人ともハイエナの獣人だよ」
「あ、細越沢みつみです。よろしくお願いします。その、人間ですね」
「アースからの喚び出し、応えていただき感謝します。あなたからすれば突然の出来事だったでしょうけれど、こちらも首都の全ての電力を使って喚び出すので、その分働いていただけると有難いわ」
「しゅ、首都全ての電力、ですか」
やはり喚ぶのはかなりエネルギーを必要とするらしい。首都の規模は分からないが、それでも全て。私ひとり喚ぶのにそれほどとは……。
「何年もかけて計画的に進めてきたプロジェクトだからねえ〜。毎度思うけど仰々しくもあるケド」
シグルドは砕けた座り方でコーヒーを飲んでいる。リディアは班長らしくきっちりとした雰囲気だが、シグルドは緩そうだ。制服も着崩して居るし、バディとして二人は対照的だ。
「この心理潜航捜査班は、本来人間により立ち上げられたものですが、今は私が班長を務めています。あなた以外にも人間はいますから安心なさってね。多くは今は出払っていますが、追々紹介します」
「はい」
「まあ、ここの成り立ちはある程度ヒューノから聞いているでしょう。正式な配属は来週辺りと考えています。ヒューノの内に潜ったことがあるのならば、ヒューノのサポートの元、実地での捜査に移ってもらいます」
「だ、大丈夫なんですか? 私素人ですし、早くはないでしょうか。その、心理世界だと暴れたりする方も居ると聞き及んでいますが」
「ミツミ、あなたが初めて潜るヒトはこちらではもう決めてあるの。事前の調査での心理潜航でも抵抗は無かったから、より深くに潜れるあなたに頼みたいのです。危険はヒューノが居れば対処は可能だとこちらは判断しています」
来週にはもう心理潜航をしなければならない。ヒューノバー以外の心に潜るのは未経験だが、リディアやシグルドの方がヒューノバーの実力は理解しているのだろう。彼女たちが危険は無いのだと判断したのならば、それに従う他ない。
私には拒否権なんて存在しないにも等しいのだから。
「大丈夫、私たちも外からフォローは出来るから。どうか安心なさって」
「はい……」
俯いて不安になっていると、ヒューノバーが私の手に手を重ねてぎゅっと掴んだ。思わず顔を見ると、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「ミツミさん、自分が居ますから」
「……うん。ありがとう、ヒューノバーさん」
なんだかんだで今までこの抜けているとも取れる穏やかな笑顔に救われてきた。不安もあったが、支えようとしてくれているのは理解できていた。
「来週から、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね。ミツミ」
「よろしくなあ〜。んじゃあま、一応この書類にサインして頂戴よ」
シグルドからデバイスとペンを渡される。軽い説明の後電子書類を読み、自分の名前を書き綴る。この世界の文字形態は殆ど英字だ。英字で名前を書いて渡せばシグルドはそれを確認し、はい、認証〜。とデバイスをタップしていた。
「今居る職員の紹介でもしましょうか。と言っても今は殆ど出払っているから三組程しか居ませんが」
会議用のスペースを出るように言われついてゆく。リディアが名前を呼ぶと各々席から立ち上がった。
「彼らがうちの職員です。各々簡潔に名を」
「シャルルです」
「バディのエミリー」
シャルルは恐らくハスキー系の獣人。エミリーはプードルを思わせる獣人だ。揃って犬獣人らしい。
「僕はシルバー、こっちはバディのシルビア」
「よろしくー、喚びビトちゃん」
シルバーは白い毛並みの猫獣人。シルビアは狼を思わせる獣人だ。
「あたしヨーク。狐の獣人だよ」
「私はサダオミ、と」
ヨークは狐の女性獣人だ。そして、サダオミは壮年の人間の男性だ。名前からして日系だろうか。
「あ、人間の方、いらっしゃったんですね」
「あなたと同じ喚びビトよ。彼は」
「え!?」
「悩みがあれば、お聞きいたします。どうかよろしく。同胞の方」
「よ、よろしくお願いします。皆さんも」
よろしく〜とゆるい返事が返ってきたのもあり、そこまでがちがちに硬い職場ではないらしい。
「まあ、最初はこんなもんでいいでしょ。ここ割りかし緩いから気負わずにね〜」
「は、はい。ありがとうございます。シグルドさん。リディアさんも」
「後で制服を送っておきます。ところで、ミツミは心に誰か入れたことはある?」
「あ、いえ、まだです」
「一度体験しておいた方がいいわ。潜航対象者になる感覚も分かっておいた方がいいでしょうから」
「そうですね……ヒューノバーさん、いいですか?」
「ええ、今日は顔出しだけでしたし、これからしてみましょうか。班長、部屋空いてますか? お借りしても?」
「構いません。あまり怖がらせるような真似はしないように」
「はい」
……なんか今の会話不穏だな。と思いつつヒューノバーに急かされて部屋を後にするのだった。