真贋
澄んだ雨がぽつぽつと、白い石造りの壁を濡らしはじめてきた。
「すいませんナウヴェルさん、このような場所しかなかったもので」
「私は別に、雨風に打たれるのは慣れているのだがね」
やや自嘲気味に、けれどその巨体から発せられる圧倒感はあきらかにに強かった。
しかし決してそれは、不満からくるものではない。
「で、このような大層な場所に連れてくるということは、なにか深い事情があるに違いない……かな?」
その言葉に、テーブルの向かいに座っていたエッザールはやはり、と降参したかのように頭を掻いた。
「それはもちろん……エッザール。君だけでないことは確かだ」
「お恥ずかしいことです。あなたが思ったとおり、私だけではどうにも準備が……」
エッザールの言葉を助けるかのように、彼の後ろのドアが静かに開いた。
「ナウヴェル殿、あなたが快適に住まわれる場所ができるまで、しばらくはここで我慢していただけたらと」
白い石の床に、軽く柔らかな爪音が響く。
その後ろからは、体毛はおろか、体格に至るまで全てが真逆の、無数の傷痕を全身に刻んだ巨躯が。
「やはりな、お前さんを初めて見たときから、妙に高貴な香りがすると思っていたが……」
さあっと、庭の若い草花に強く雨粒が降りかかる。
その四人のいる部屋の屋根は途方もなく高く、そして床から壁、テーブルに至るまでそれらは透き通るくらいの白色に統一されていた。
「元は、王や大臣が秘密の会談に使っていた庭付きの小部屋だとは聞いていました、けどここまで広いとは僕も知らなかった。あなたにならちょうどいいかなと思いまして」
「ルース=ブラン……デュノ家の若き当主であったとは驚きじゃ。そして奥方は……そう、その槍はソーンダイク家の」
「お察しの通りです、ナウヴェル……いや、本来の名前はワグネル=ラウリスタ。あなたのような伝説の神鍛冶と出会えて本望です」
黒き毛並みのマティエがそう答えた瞬間、ふとナウヴェルの小さな目が遠くを見つめた。
「そう、思っておられるのかね、御三方」
「人違いでしたら申し訳ない……ただ、独特の発音形態を持つその名前に然り、我々より遥かに長命なことといい、あなた以外には……」
エッザールの言葉を巨大な手で制した。
「人違いだ……と答えたら、どうするかね?」
深緑の鱗の肌が一瞬、ぐっと口ごもる。
「推理か、好奇心ゆえなのか。いずれにせよこの私をあのワグネルと信じたその直感性。なかなか興味深いな。シャウズの若き戦士よ」
エッザールはもはや、ありがとうございますと口にすることしかできなかった。
全て悟られていたのか……といささか悔しい思いを胸に。
そして、ならば私も包み隠さず答えるとするか。とナウヴェルはゆっくりと立ち上がった。
「まず最初に……君たちは勘違いをしている。その名前であるラウリスタとは刀鍛冶の証の名であり、ワグネルのそれは私の名でもない」
マティエは見上げたその巨体に息を飲んだ。おそらくは自分の倍近くであろうその大きさに。
「私は、ラウリスタとしての継承者争いに敗れた存在だ。ゆえに神でも何者でもない……これを機に覚えてくれ」
「つまり、ワグネルという名前は……」エッザールの失意の言葉に、ナウヴェルは一言、そういうことだとつぶやいた。
「取り越し苦労だったな。私は確かに刀工の一族。だが何百年も前、君たちのお爺さんが生まれるより遙か昔にその道を歩んではおらんかったのだ」
そうは言われたものの、内心エッザールは嬉しかった。
これは全然取り越し苦労なんかじゃない。ずっと謎に包まれていたワグネルという存在がついに明らかになったのだから。
この事を早くラッシュにも報告しなければ。
……と、そういえばラッシュが話していたワグネルって。
「でも、ラッシュは確か、ワグネルは人間だって言ってなかったっけ?」
そう、ルースの言うとおりだ。彼はあの大斧を街の人間の鍛冶屋に依頼したって。だとしたらそれはおかしいのではないか?
「ナウヴェルさん、一つ質問が」
それは、まだエッザール自身すら知らなかったこと。
「ワグネル……いや、神刀工が武具を造る際、なにか条件とか信念とかはあるのでしょうか」
恐らく、大金や名声を得るために彼らは仕事をするのではないだろう。
だとしたら、そこには理由があるはず。たとえば一宿一飯の恩義みたいなものでもいい。なにかあるはずだ!
「うむ、また答えてはなかったな……軽い気持ちで造ることはない。もちろんカネを積まれたって気乗りしなければ動かん。我々はそれを我が手にしたいと願う担い手と一対一で対峙し、その者の強い思いを見るのだ。それがシャウズであり、ソーンダイク家の武器を造るきっかけとなったわけだ。一族の誉れとなる聖槍にしかり、旅陣の証となる剣にしかり……な」
「じゃあ、ラッシュさんが会ったその老人というのは……」
エッザールの言葉に、ナウヴェルの小さな目の奥が光ったように見えた。
「確かに、その人間はワグネルといったのか?」
「ええ、実際に彼はそう話してました、それに私の剣に大斧も共鳴しましたし」
ナウヴェルは雨降る庭のはるか上、鉛色の空をじっと見つめていた。
「知る必要があるな……あいつの大斧とやらを」
……………………
………………
…………
……
「ンで、お前ら一体今までどこに雲隠れしてたんだ?」
エッザール達がラッシュのギルドである家に戻った時、陽はすでに沈んでいた。
「あ、いや、ナウヴェルさんが寝泊まりできるサイズの家をずっと探しに……」
「ラッシュ、お前の斧を見せてもらおうか」
エッザールの言葉をさえぎり、ナウヴェルはラッシュの元へと歩み出た。
その顔は、初めて会った時以上に深く険しく。
「別にかまわねーけど、また勝負でもするのか?」
「それなんだけど、ラッシュ」
今度はルースがラッシュの前へと歩み出た……が、やはりそれもナウヴェルが制した。
「真贋を見極めたいのだ」
静かな怒りにも似た空気が、この規格外の巨体の周りを包み込んでいる。
これは口答えしてはダメなタイプだな。と感じたルースがいそいそと引き下がった。
もちろん、以前からそれを感じ取っていたマティエも。