雨上がりの殺人【事件編】
1
ある雨上がりの朝だった。
名家、
事件現場の離れの周囲は前日からの雨で地面はかなりぬかるんでおり、離れの玄関の前には三組の足跡が確認できた。
関係者の靴と照合した結果、ひとつは被害者の靴と合致し、屋敷の門から続いていた。離れの土間には被害者の泥塗れの靴だけがあった。
残りの二つは第一発見者である被害者の実弟、
離れには玄関以外の出入口はなく、窓は全て閉まっていて、いずれも内側から施錠されていた。
玄関の扉も施錠されていたと見られ、唯一の鍵は室内から発見されたため、完全な密室状態だったと思われる。
なお、雨は前日未明より強く降り続き、昨晩の午後十時ごろにやんだことが確認できた。
検死の結果、隆造の死亡推定時刻は昨晩の午後十一時から翌日の午前一時の間と判断された。
警察は早速、関係者に事情聴取を行った。
各人の被害者との関係と、事件前後についての供述は以下のとおりである。
【大豪寺
年齢三十四歳。良家のお嬢様らしく品の良い婦人だ。
夫の隆造は愛人を離れに連れ込むなど女癖が悪く、そのため夫婦仲は冷え切っていた。だが人前で言い争うようなことは、一切なかったらしい。
「昨夜ですか? 主人から『今夜は遅くなるから先に休め』と連絡があったので、十時半ごろには床に着きました。家政婦は午後八時には帰しましたので、証明する者はいません。午前零時ごろでしょうか、一度目が覚めたので、雨の様子を見ようと窓を開けて外を見たら、離れの窓から明かりが見えました。また主人が女を連れ込んでいるのだろうと思いました。逢引きをする時は離れの扉には鍵をかけず、女がこっそり出入りできるようにしてたようですし……。何とも思わないのかって? もうとっくに諦めていますから。今さらどうこうしようなんて思っていません。今朝は隆道さんに起こされるまで寝ていました」
【大豪寺隆道・被害者の弟】
年齢三十八歳。兄の隆造とは歳がひと回り離れている。兄弟共に体格が良く、どちらも身長は百八十センチ以上ある。
定職に就かず屋敷に同居していることから、兄の隆造からは『うだつの上がらない居候』と常日頃から嫌味を言われていた。
「昨夜はずっと母屋の自室にいたよ。残念ながらそれを証明するヤツはいないけどね。寝たのは午前一時ごろだったな。今朝? ああ、兄貴に相談ごとがあったから――お察しのとおり金の話だけどね――、母屋の部屋が留守だったので、また悪い癖で愛人と離れに泊まってるんだろうと様子を見に行ったんだ。何て言い出そうか考えをまとめるため、近所をしばらく散歩してから離れに向かったよ。案の定、離れの玄関前に兄貴の靴跡があったから、扉を叩いて呼んだんだけど一向に出てこない。不審に思った俺は扉に体当たりして、鍵を壊して無理矢理室内に入ったんだ。そしたら兄貴はあの有り様で……。大慌てで|義姉《あね》を呼びに行ったよ」
【
年齢四十五歳。勤務態度が真面目で、幸恵からは頼りにされていたが、隆造とは給料のことで揉めていたらしい。
「昨晩は大雨でしたため、奥様よりもう帰って良いと言われましたので、八時にお
【
年齢二十九歳の小柄な女性。隆造が通い詰める高級クラブのホステスで、三年ほど前から隆造と愛人関係にある。
最近新しい恋人が出来たことから、隆造との関係を終わらせたいと思っており、そのことで隆造と口論しているところを度々目撃されている。
「昨晩? お店は休みだったので、隆造さんに呼ばれてお屋敷の離れに行ったわよ。九時だったわ。でも、呼び鈴を鳴らしても扉を叩いても誰も出てこないし、雨も強かったからすぐ帰ったわ。十時には家に着いたかしら。その後はずっと自宅にいて、大豪寺の家には行ってないわよ」
2
「凶器の果物ナイフから指紋は採取出来なかった。そして全員、アリバイは無しか」
所轄署内に設置された捜査本部で、ひと通り調書に目を通した
「はい。動機も全員にありますね。ただ――」
部下の
「ただ、なんだ?」
「大豪寺隆造には多額の生命保険が掛けられていました。受取人の名義は幸恵夫人ではなく愛人の古川真由美だそうで、契約したのはごく最近のことです。弟の隆道がいろいろと手引きしたようです」
「なるほど。保険金目当ての犯行の可能性が高いということか」
「ですが、密室の謎があります。これを解かないことには、古川真由美の犯行を立証することも出来ません」
そう、古川真由美が犯人だとしたら、扉の鍵以上に腑に落ちない点がある。被害者の死亡推定時刻から、犯行は雨がやんだあと、午後十一時以降になるはずで、離れの玄関と屋敷の門の間に彼女の足跡が残るはずである。
足跡がないと言うことは、真由美は供述どおり雨が降っているさなかに行き来し、足跡は強く降る雨で消えてしまったことになる。つまり彼女には犯行は不可能だ。
水田は文字通り頭を抱えた。
「ああそれから、足跡の調査を担当した鑑識課員の報告によると、遺体の第一発見者の隆道の足跡ですが、往路と復路で歩幅が極端に違うということでした。まあ大した問題ではないかも知れませんが」
「ふむ……」
西村は調書と現場周辺の見取り図を眺めながら、しばらく考え込んだ。
「水田君」
「はい」
「古川真由美と隆道の関係を洗ってみてくれ」
「隆道? 弟の方ですか?」
「そうだ。それからもう一つ、隆道の足跡の件だが、往復の歩幅の違いについて、もっと詳しく調べて貰ってくれ。特に隆道の背格好と照らし合わせてだ」
その後の調べで、古川真由美の新たな交際相手が隆造の実弟の隆道であることが判明した。
また、事件当夜、真由美が自宅マンションに帰ったのが深夜零時過ぎであることが、同マンションの住人の証言から判明し、供述に虚偽があったことが分かった。
そして鑑識から隆道の足跡に関する調査も報告があった。西村の推理を裏付ける結果だったようだ。
「やはりそうか。二人が共謀して隆造を殺害したのであれば――」
「警部、密室の謎が解けたんですか?」
「ああ。水田君、これから大豪寺家に向かうぞ。関係者を集めておいてくれ」
〈つづく〉