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はあどぼいるど

 ブラインドの隙間から陽の光が差し込む。

 その眩しさに、俺はようやく惰眠から抜け出した。

 昨晩の深酒が祟ったのか、どうにも頭がスッキリしない。今も耳の奥では糞忌々(くそいまいま)しいマーチングバンドが、リバティーベル・マーチをかき鳴らしていやがる。

 俺は傍らのテーブルからキャメルを取り、一本咥えると、年季の入った愛用のジッポで火を点けた。

「ふー」

 深く吸い込んだ紫煙を天井に向かって吐き出しながら、左手首のクロノグラフに目をやる。

「――もうこんな時間か」

 自営業の俺にとって、出勤時間など無いに等しいが、いつまでもオフィスを留守にする訳にもいかないだろう。俺はアスピリン一錠をエビアンで胃に流し込み、身支度を済ませると早々に寝ぐらを後にした。


 よこすか海岸通りを、5リッターV型8気筒エンジンの奏でる、地響きのようなエキゾーストサウンドで北上する。1962年型シボレー・コルべット。親父の代から乗り継いでいる、骨董品(クラシックカー)だ。

 全開にした窓から潮風が流れ込む。と同時に、ごくありふれた、ごく当たり前の日常の風景が次々と目の前を通り過ぎていく。

「神は天にいまし、全て世は事もなし、か――糞でも喰らえ」

 米軍基地を右手に見ながら、シボレーはやがて国道16号線から裏路地へ入る。
『どぶ板通り』に建つ雑居ビルの一室。ここが俺のオフィスだ。

 入り口の前には早くも数人の列が出来ている。

 どいつもこいつも、この街には不似合いな仕立ての良いスーツに高級そうな靴。中にはスーツの襟にこれ見よがしにバッジを付けた奴までいる。七宝の台座が付いたバッジを目にすると、この世の終わりも近いのではないかと錯覚すら覚える。

「おはよう、ボス」

 ドアをくぐると、秘書のキャサリン(本名・片山惠子)がすでにタイプライター……ではなくノートPCのキーを叩いていた。

「おはよう、子ネコちゃん。ご機嫌はどうだい?」

「二十分遅刻よ。夕べはまた遅くまで呑んでたの?」

 彼女は呆れたような顔で訊き返す。
 相変わらず時間に細かく勘の鋭い、いけ好かない女だ。まあ、そこが彼女の可愛い所でもあるのだが。

「たまには君にも付き合ってほしいね。出来れば一晩中」

 彼女の肩に手を置きながら、耳元に囁きかけると、

「考えておくわ。それより――」

 俺の手を振り払いながら、キャシーは答える。

「これ、目を通しておいて」

 彼女は続けて数枚のファイルを差し出した。

「今日の分かい?」

「ええ、そうよ」

 営業時間開始からまだ三十分も経っていない。

「――まったく、商売繁盛だな」

「外にはまだ何人かの行列が出来ているようね」

 キャシーは傍らの小さなテレビモニターに目を向けながら言う。入り口に設置した監視カメラの映像が映し出されている。

「どんどん消化していかないと、依頼は増える一方。今日も忙しくなるわね」

 彼女はローズレッドに染めた唇の端にシニカルな笑みを浮かべると、

「次の方、どうぞ」

 ドアの向こうに気怠そうな声を投げかけた。


 やれやれ、こんな稼業が繁盛するだなんて、この国の将来は一体どうなるんだ?

 俺はオフィス奥の自室に引っ込むと、スチール製ロッカーの厳重な施錠を解き、俺の仕事に不可欠な道具を取り出した。

 ほどなくして、部屋中に()()()()()()()の匂いが漂い始める。

 仕事の前には道具(パートナー)の手入れは欠かさない。

 それがプロフェッショナルというものだ。

〈了〉

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