あかり
龍彦さんが無事に上がって逝けたようで、少しホッとした。家に向かって歩きながら、私は今朝のことを思い返していた。こんな感じで始まったのだった…
***
居間に入ると、曾祖母が拡大鏡を使って、何か冊子を読んでいた。うちに遊びに来たのかな? 曽祖母は私が5歳位の頃に一度会ったきり。足が悪くなってしまって、外出はできないはずだが、まだ全然元気に見える。
「ご無沙汰しています、ひいお祖母様。お元気そうでなによりです」
「まあ、あなた、あかりちゃん? すっかり立派な別嬪さんなって。私の若い頃にそっくりだわ。前に会ったのはあなたが幼稚園の時だったかしら?」
曾祖母に言われて少し照れる。別嬪と言われて否定しようかと思ったけど、そうすると曾祖母の若い頃が別嬪じゃなかったことになるので、困る。
「そうですね、お陰様で」
「あなた、働いてるの?」
「はい、そこのI図書館で職員をしています」
「あら、じゃあ、ちょっと頼まれてくれるかしら?」
「何でしょう?」
「この冊子ね、お友達にお借りしてたの。今日I図書館で会う約束だったんだけれど、私こんな足でしょう? 代わりに返してもらえないかしら?」
「良いですよ」
「この写真の人よ」
紙の写真を見せてくれた。この人結構若くない? 昔の写真なのかな?
***
…眩しい。そうか、夢を見たのね。曾祖母の計子は私が小学生の頃に亡くなっている。「今日冊子を返して欲しい」って、言ってた?
2ヶ月位前に亡くなった祖母の遺品を入れた箱に、あんな感じの冊子があったような気がする。…あっ、今日は49日だ。法要は明日にしたけど。
箱を探すとあっさりその袋は見つかった。中には夢で見たあの冊子と日記帳が入っていた。冊子はジップロックに入れられていて、茶色く変色したページが少し分解し始めていた。とは言え、古いものの割には保存状態は良いのかも知れない。祖母のものとばかり思っていた日記帳を開いてみた。最初の日付が1993年7月26日、最後の日付が1995年10月29日だった。この時期には未だ祖母は生まれていない筈だ。つまり、これは曾祖母の日記ということか。
今日は6月11日だから、1994年か1995年の6月11日に何か記載があるかもしれない。1994年6月11日を探すと、果たして夢で見た写真が挟まっていた。待ち合わせのこと、救急車で龍彦さんが運ばれていく所を見てしまったこと、クラス会で借りた「波」が返せなかったこと等が書いてあった。なるほどね。で、この冊子をどうやって返せというのだろう?
ふと、暫く前に職場の図書館からの帰り道で女子中学生の集団とすれ違ったことを思い出した。その子達が、ケラケラと笑いながら言ってたことがずっと、妙に引っかかっていたのだ。
「うちのお兄ちゃんが夜10時頃ここを通ったら、中から『誰かいませんか?』って声が聴こえたんだって。でね、中覗いて声かけたけど、何も見えないから怖くなって逃げてきたって言ってた。うちのお兄ちゃん、ヘタレのビビリだから」
「えっ、それと似た話あたしも聞いたことあるよ?」
「マジで??? (ケラケラケラケラ)」
確かに、そういう「夜、中から声が聴こえる」という通報というか、問い合わせを以前2,3度職場の図書館で受けたことがある。
…行ってみるしか無いか? 今日の夜10時ね。
***
と、いうことで、今に至る。ここはその夜の夢の中。
曾祖母が、今度は祖母と共に出てきた。2人に龍彦さんとの顛末を報告したら、祖母にはお礼を言われた。祖母は曾祖母に頼まれて「波」を預かったのはいいが、自分では解決できなかったことがずっと気になっていたらしい。「あなたひいお婆ちゃんの若い頃にそっくりだったから、きっと龍彦さんも出てきてくれたのよ。私も何度か命日にあの図書館には行ったのだけれど、全然出てきてくれなかったわ」と言っていた。
曾祖母には、「波」は結局持ち帰ったことを伝えた。そうしたら「そのうち龍彦さんと縁のある人に、返せるかもしれないから普段から持ち歩いてね」、と言われた。
以来、そう嵩張るものでも無いので言われた通りに件の「波」を持ち歩いている。冊子自体は古く、分解してしまいそうなので、それ以上酸化しないように真空パックに入れてある。
一方、いつでも読み返せるよう、例のエッセイだけはスキャンして、ファイルにした。結構気に入っていて、時折読み返している。