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図書館

 「人との待ち合わせに本屋は良い。知的に見える。ような気がする」と、そんなことを昔、小冊子のエッセイに書いたシンガー・ソングライターがいた。学生時代そのシンガー・ソングライターに傾倒していたので、当時は彼女の歌集やエッセイ本等を買い漁ったものだった。その小冊子もその頃新聞広告で見かけたので、わざわざ本屋を探し歩いて買ったものだ。
 暫く前から喉に刺さった魚の小骨のようにそのフレーズが気になっていた。正確な文章を確認したいと思ったが、肝心のその小冊子が見つからない。先週末会社の寮から引っ越した際に本棚を攫ったが、その時には見つけられなかった。引越し先が一段落付いて昨日から実家に戻っていたので、自室の本棚も探してみた。記憶にある置き場所にも、やはり見つからなかった。無くす筈は無いし、他に置けるような場所は無い筈なんだけれども。気づくと俺は「♪探すのをやめた時、見つかることも良くある話で」と「夢の中へ」を口ずさんでいた。仕方が無い、これはもう「暫く寝かせておけ」という啓示だろう。そうなると、もうやることも無い。
 こんなつまらないことが気になって仕方がなかったのは、暇を持て余していたからである。今回新卒から6年勤めた会社を辞めて転職することにした結果、余った年休の消化で1ヶ月弱の休暇ができてしまったのだ。今日は土曜日だから、知り合いでも呼び出して呑みに行くか?

 計子は中学の同級生である。特に美人という訳でもないが、明るい子だった。中学時代には特に仲が良かった訳でも、悪かった訳も無かった。卒業後はクラス会で何度か会っただけだが、中学から高校にかけてなぜか1,2回年賀状が届いたことがあり、何となく気にはなっていた。新卒で会社に入った年、彼女の家に電話して映画に誘ったことがある。最初は愛想良く話していた彼女だが、俺の会社があるK駅まで出て来いというと急に渋りだした。計子の家からK駅まで、1時間程度しかかからない筈なのだが。結局その時はそれきり、話は流れてしまった。その後は2年程前にクラス会で1度会った切りで、以来何の交流もしていなかった。だが、結婚したという噂も聞いていないので、多分電話しても問題ないだろう。計子の家に電話をしたら一発で本人が出て、あっさり話が纏まった。今日の夕方に会うことになった。会社を辞めてしまった俺は携帯電話を持っていない。個人にはまだちょっと手が出る値段ではない。なので、待ち合わせは場所と時間を指定して、そこでお互いを探す必要がある。以前遠方を指定して話が流れたので、今日の待ち合わせは彼女の家の最寄のI駅から徒歩10分弱の市立図書館にした。件のエッセイに倣って駅前の本屋にする手もあった。が、ついでに図書館で例の小冊子を探してみようと考えたのである。雑誌扱いの小冊子なので、普通の本屋では最新版しか置いていないだろうから。

 図書館には待ち合わせの30分程前、4時半過ぎに着いた。図書館職員に、件の小冊子、新潮社「波」のバックナンバーがあるかを尋ねたが、置いていないと言われた。であれば諦めるしかない、元々大して期待もしていなかったが。
 待ち合わせの5時まで少し間があるので、久々に館内を歩いてみた。ここは、小学生の頃同級生と連れ立って何度か電車で通った場所である。親が教育に良い明治の文豪の小説や偉人の伝記しか買ってくれなかったので、図書館ではジュブナイルSFを良く借りて読んでいた。当時はまだJRになる前の国鉄だったので、小学生なら2駅区間を片道10円で乗ることができた。親に50円もらって、電車代の残りの30円で帰りにアイスを買って食べるのも楽しみの1つだった。
 館内は相変わらず微妙に謎の品揃えで、児童向けの絵本やジュブナイル文学のコーナーあり、培風館の数学選書シリーズを始め大学の教養レベルの自然科学のコーナーあり、中国古典を始め、近代文学書のコーナーあり、最近の流行書籍のコーナーあり、と多彩であった。先の培風館の数学選書は、中学生の頃1, 2冊借りた記憶がある。本自体は新しく見えるが発行年自体は昭和40年前後で結構古い。綺麗なままなのは、ほとんど借りる人がいないからだろう。最近の大衆文学書籍の汚れ具合とはえらい違いだ。
 図書館内を一回りして貸出・返却カウンター前まで戻ってきたが、どうやら最近は本ばかりではなく、雑誌やCD等も貸し出しているようである。カウンター前にはそういったコーナーもできていた。
 立ちっぱなしで少し疲れたので空いている席を探して座り込んだ。何だか頭がぐるぐる回るようで気持ちが悪い。そのまま目を瞑って机に倒れ込んだ。
***
 気がつくとあたりは真っ暗である。あのまま眠り込んでしまったのか、今何時なのかも分からない。周りには誰もいない。職員は俺がまだいることに気づかずに戸締まりをして帰ってしまったのだろうか?
 何も見えない中、立ち上がり、手探りで歩きながら声を上げる。
「誰かいませんか? 誰か?」
 何度か声を上げていると、向こうから計子の声が聞こえてきた。懐中電灯らしい妙に眩しい光も見える。
「龍彦さん?」
「計子か?」
「まだいらして良かった。本当に遅くなってごめんなさい」
「いや、こっちこそ何か気がついたら夜になってて。良く来てくれたね。今何時なの? 6時半位?」
「うーん…えっとね。10時過ぎちゃってるかなぁ…」
「え? 待ち合わせから5時間以上経っちゃった? 待ち合わせの時俺のこと見つけられなかったの? ここ確か5時過ぎには閉館だよね? どうやって入ってきたの??」
「あーーー、私実はここで働いてて、時間外でも入れるのよ、届けは要るけど」
「そうなんだ、助かった。良く探しに来てくれたね。俺の家に電話とかした?」
「うーーーん、そういうのはしてないんだけどね…」
「ま、うちは今日呑んで帰るって言って出てきたから、日が替りでもしない限り連絡不要だろうけれど。けど、どうする? 今から行ける店、どの位あるかな? 寧ろ隣駅行った方が、大学もあるから店多いかもよ?」
「あーーー、ちょっと今日はもう、何ていうか、そもそも一緒には行けないかなぁ…」
「そうなの? 明日とか明後日とか、来週とかでも良いけど、仕切り直して行かない?  俺転職が決まって今は年休消化中だからさ、結構暇なんだよ」
「あーーー、えーとねぇ…今度ここ取り壊されるの」
「それはそれは」
「でね、時々夜に声が聞こえるっていうから、前から気にはなってたんだけれど。今日、もしかしたらと思って、私が調べに来たのよ」
「ん??? どういうこと?」
「この春に私の祖母が死んだの」
「それは知らなかった。ご愁傷さま」
「うん。でね、祖母の遺品に、曾祖母の日記があって。見たら、今日ここであなたに会う予定だったって書いてあって…」
「え? ひいお婆さん? 俺、会ったことは無いと思うけど…。日記って、死んだ人の日記に今日のことが書いてあったってこと? どういうことなの?? 昼間の電話じゃ、そんな変なこと何にも言わなかったよね?」
「曾祖母が計子なの。私はひ孫の、あかり」
「…新手の詐欺なら止めてくれよ」
「信じられないかもしれないけど。今は2094年なのよ、あ、日付だけは待ち合わせの日なんだけれど」
「あれから100年経ったって言うのか?…本当に? 君、計子じゃないの? 変な冗談なら、そろそろ止めて欲しいんだけど」
「…今朝ね、曾祖母が夢に出てきて、これ返し損なったから、あなたに返して欲しいって頼まれたの。あなた、日記に挟んであった写真そのままだから、すぐに分かって良かった」
 彼女の手には、擦れて所々色が抜けた題字部分が紫色の小冊子、「波」が握られていた。1984年2月号、とある。探していた、例のエッセイが載った冊子だ。
「…本当に、100年経っているのか?」
「うん、今は2094年」
「その冊子…何で計子が持っていたんだろう?」
「何かクラス会で借りたままになってたから、会う約束したので返そうと思ったみたい。日記に書いてあった」
「あぁ、だからうちの本棚に無かったのか…他に何か日記に書いてあった?」
「うーーん。あの日待ち合わせにちょっと遅れて図書館に着いたんだって。そうしたら丁度あなたを載せた救急車が出て行くところだったって。お葬式行ったら、脳溢血だったって聞いたみたい」
「あーーー…あの頃ねぇ、ってか、俺からしたらついこの間だけど、1年近く残業が毎月200時間近くあって、身体壊すと思って転職決めたんだよ。1ヶ月位有給消化して身体休めれば頭痛とかも収まると思ってたんだけど、そうか、既にそこまでいっちゃってたのかぁ…病院行っときゃ良かったな。転職の健康診断じゃ特に異常も無かったし、病院行けとは言われなかったんだけどなぁ…」
 思わず天を仰ぐ。話しているうちに建物の外に出ていたので夜空が良く見える。月が綺麗だ。周りの建物も再開発なのか、昼間来た時とは随分と丸で変わってしまって見える。振り返ると建物の扉には「本図書館は2094年5月31日に閉鎖しました」と貼り紙がしてあった。本当に、100年経ってるのか? 未だ信じられない。
 ちょっと考え込んでた風の計子が、じゃない、あかりが?尋ねてきた。
「…え? 月の勤務が200時間、つまり残業50時間位ってこと?」
「ははは。100年前だから、今とは法律の規制も違うんじゃないの? 残業が、月200時間。つまり、月の労働は360時間とかその位。週に2, 3回徹夜で、土日もどっちかは出勤」
「うわぁ、信じられない! それは壊れるわ」
「その代わり金は貯まったけどね。毎月ボーナスみたいな額もらえたからね…あーあ。そうか、俺、死んでるのか。金と暇があるから、ちょっとは遊べると思ったのに。それすら駄目なのかよ…」
 悲しみとも震えともつかない何かに全身が覆われて、力が抜けていく気がした。折角転職も決まってこれからだと思っていたのに、俺の人生は終わっていたのか…
 あかりが俺を覗き込むようにして訊いてきた。
「ごめんね。で、これ、どうしよう?」
 彼女は「波」をかざす。試しに手を伸ばしてみるが、全く触れることができない。俺の手はその冊子を通り抜けてしまう。そうか、本当に俺は死んでいるのか? これは夢じゃないのか?
「…うーん。折角だからさ、目次で中島みゆきが書いたエッセイ探してくれる?」
「中島みゆき??? えーと、これかな? 『エッセイは嫌い』」
「冒頭の所を見せて」
 彼女はそのページを開いて、懐中電灯で冒頭を照らしてくれた。曰く、
― 人との待ち合わせに、本屋はいい。多少待っても苦にならない。金がかからない。知的に見える。ような気がする。―
 これは、夢じゃないんだな…文章がちゃんと全部読めるもんな…
「…うん、大体…大体記憶通りだったかな。『多少待っても苦にならない』、ははは」
「大丈夫?」
「いや、このエッセイが気になってね。その冊子を探してたんだよ。家に見つからなかったからさ、本屋の代わりに図書館で待ち合わせたのも、もしかしたら、ここの蔵書にあるかも知れないと思ってさ。まぁ、置いて無かったんだけどね。はぁ…まさか、100年待たされたとはね、ははは…」
「ほんとに遅くなってごめんなさい」
「いや、来てくれたんだから、良い」
「そう? 良かった。他に何か気になることある?」
「…計子は結局いくつで死んだの?」
「私が小学校3年の時だったかな? 90何歳だかだったと思うよ。老衰で寝てる間に死んだから、死に顔も穏やかだったって聞いたよ」
「それは良かった。あぁ…何か、すごくすっきりした気分になってきた。わざわざ来てくれてありがとう。何か、これが成仏ってことなのかな? 俺、こんなのが気になって成仏できなかったのかな?」
 気がつくと俺の身体はどんどん薄く透けて行っていた。
「さあ、あなたの執着が何だったのか、死んだことに気付いてなかったからだけなのかもしれないけど。うん、私何人かそういう人見たことあるけど、大体みんなそんな感じで上がってったよ。私霊感あるみたいで、時々こういう人視るの」
「そう…何か、そろそろお別れみたいだ。周りが見えなくなってきた。真っ暗になる訳じゃ無いんだな。曇り空の中にいるみたいだ…」
「あのね、ひいお婆ちゃん、あなたに会えるの楽しみにしてたみたいだったから、あっちへ行ったら仲良くしてあげてね」
「えっ? 君がいるってことは、誰か他の人と結婚したってことだろ? 俺がそんなことしたら、まずくないか?」
「あー、どうだろ。分からない。大体私ひいお婆ちゃんの結婚相手には会ったこと無いし」
「へぇ。ま、いいか。覚えておくよ。今日はありがとう 。じゃ、さようなら」

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