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執事

「従業員……って、それは誠か!」

 あまりにも衝撃を受けたからか、アベルがなぜか武士口調になっている。セシリーナは勢いを落とさずに言い募る。

「誠も誠でございます! 代々の聖騎士が辿ったゆかりの地を巡る旅行プランを決行するうえで、今代聖騎士であるアベルのお力添えは必須! どうかどうか幼馴染のわたしめの一生のお願いをお聞き入れくださいぃ―――!」

 泣き落としとばかりに、殿……もといアベルに泣きつくと、最初は固まっていた彼もこちらの勢いに押されて折れたようだった。はーっと長い溜息を吐いてから、しょうがねぇなとばかりに笑む。

「わかったわかった。乗り掛かった舟だし他でもねぇおまえの頼みだし、俺もできる限り協力するって言ったからな」
「アベル……!」
「そんなうるうるするなよ。ダブルワークにはなっちまうがおまえの会社の従業員として働かせてもらうよ。一応騎士団長に許可を取ってからになるけどな」

 王立の近衛騎士団に所属しているアベルは、国王直属の騎士という立場にある。副業をするとなったら騎士団長に許しを請わなければならないのかもしれない。その結果次第になってしまうけれど、この新規事業計画、アベルに好印象でなんだか上手くいく予感がした。

(もしかしたら、女神様が前世で旅行会社で働いていた私をこの現世に転生させてくださったのは前世の知識を活かしてこの世界の経済を救うための布石だったとか……?)

 それに旅行会社を設立してこの世界中を回ることができれば、一緒に転生してきた職場の後輩を探すこともできるかもしれないのだ。彼女が無事なのか、いまどこでなにをしているかも気がかりだった。
 そのとき、部屋の扉が軽くノックされた。

「お嬢様、アベル様、執事のケルヴィンです。珍しい紅茶がご用意できましたのでお持ちしました。よろしければ入室してもよろしいでしょうか」

 落ち着いた声音が扉越しに聞こえて、セシリーナとアベルは顔を見合わせた。ケルヴィンことケルヴィン・サージェントは、長くシュミット家の執事を務めてくれている商人の家系の生まれだ。今年二十三歳になる彼もまた例に漏れず、シュミット家の執事兼セシリーナの世話役として少年期から屋敷に住み込みで働いてくれていた。アベルとも面識がある。セシリーナとアベル、ケルヴィンは小さいころからこの家に一緒に住んで暮らしてきた気心の知れた仲なのだ。
 三人とも二十歳を迎えて成人した今では、ケルヴィンはセシリーナのことをお嬢様、アベルのことをアベル様と呼んで執事としての立場を重んじているけれど、本来は遠慮なく物が言い合える友だちだった。
 セシリーナは、扉口に声をかける。

「ケルヴィン、どうぞ。新しい紅茶をありがとう」

 言うと、扉がそっと押し開いて、片手に紅茶と茶菓子の乗ったトレイを持ったケルヴィンが顔を覗かせた。軽く頭を下げる。彼は無造作に整えられた焦げ茶色の髪に美しい深い緑色の涼しげな目元をした、快活なアベルとはまた違った落ち着いた雰囲気のある美男子だった。

 
挿絵


「よぉ、ケルヴィン。久しぶりだな。相変わらずセシリーナのお守りが大変だろう」

 ケルヴィンは、トレイの上で器用に紅茶をカップに注ぎ入れてそれをアベルとセシリーナに差し出した。

「そうですね。とはいえ、アベル様もご存知のとおりお嬢様の破天荒ぶりは今に始まったことではないのでお嬢様のお守りは日々の慣れた日課になっていますが」

 なんでもないことのように答えるケルヴィンに、セシリーナは拗ねて頬を膨らませる。

「破天荒なつもりなんてないんですけど……! ほら、ケルヴィンも座って座って。アベルが久しぶりに里帰りしてくれたんだから、よかったら一緒に紅茶飲みましょう」
「いえ。私はお嬢様にお仕えする一介の執事ですので、主とご一緒するわけにはまいりません。ここに控えておりますよ」

 当然とばかりにやんわりと断るケルヴィンに、セシリーナの心の中で寂しい気持ちがよぎる。

(――……昔は、立場とか身分とか関係なく、一緒に隣で遊んでくれたのにな)

 昔と今は違う。子どもだったときと大人になったいまでは変わってしまったのだ。長くシュミット家に仕えているサージェント家だからこそ、ケルヴィンが主と執事としての立場を重んじるところはとても誠実だし信頼できるところだった。けれども自分としては、友だちのようだった子どものころと比べて一歩距離を置かれてしまったようで、どうしても寂しく思ってしまうのだ。
 ケルヴィンが軽く咳ばらいをする。

「失礼ながら、先ほどのお二人の会話が耳に入ってしまったのですが……リョコウガイシャ、を新設するだとか……」

 アベルが軽く笑った。

「盗み聞きたぁ、良い趣味してるじゃねぇか。けど、今回はちょうどよかった。おまえもセシィの新規事業に興味を持ってくれたって考えていいか?」

 アベルは小さいころからの名残でセシリーナのことをセシィという愛称で呼ぶのが癖になっていた。ケルヴィンも昔はアベルと同じように愛称で呼んでくれていたけれど、成人して伯爵令嬢と執事という立場を重んじるようになってからはお嬢様と呼ぶようになってしまった。
 セシリーナは心強い仲間を得た気持ちで、長椅子の背に手を添えてケルヴィンを振り返る。

「ケルヴィン、もしかしてあなたも私の世界経済活性化計画に賛同してくれるんですか?」
「お嬢様、椅子の背に肘を乗せて振り返るなどはしたないですよ。淑女たるもの所作や姿勢には気を付けていただかないと」
「ご、ごめんなさい……。それで、もしよければなんですがケルヴィンも私に力を貸してもらえませんか? 商家の出身で数字に強いケルヴィンが一緒に仕事をやってくれたら百人力なんですが」

 新規事業を軌道に乗せるためには、優秀なスタッフがかかせない。長年執事としてシュミット家に仕えてくれているケルヴィンは、経理はできるしスケジュール管理はできるし来客対応もできるしでオールラウンダーなのだ。加えて頭脳派で冷静な性格だから感情的になることも少ない。
 ケルヴィンは考えるまでもない様子で、あっさりとうなずいた。

「……私はお嬢様の執事ですので。お嬢様にどこまでもついていきますよ」

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