着信
仕事を終え、帰宅後居間でくつろいでいると、携帯電話の呼び出し音が鳴った。壁の時計が午後十時を指している。こんな遅い時間にいったい誰だろう?
スマートフォンを手に取り、画面に表示された発信者を確認する。古い友人の
「
久しぶりに聞く電話越しの川井の声は、昔と少し違って聞こえた。
「今、少しいいか?」
時おり咳き込んでいるので、風邪気味なのかもしれない。
「ああ、大丈夫だ。妻と子供は昨日から実家に帰省してるから、家では寂しいものさ」
口ではそう言いながらも、俺は久しぶりの独身生活を満喫しているところだった。
「そうか。それにしても懐かしいな」
「ああ。あれからどうしてた?」
川井は学生時代からの友人で、よく一緒に
「そう言えば、
昔話をしていると、突然、川井は林の名前を持ち出した。俺にとっては出来れば思い出したくない、というよりも、むしろ一生忘れてしまいたい男だった。
林は俺たちの遊び友達の一人で、当時、唯一の彼女持ちだった。
ある夏の夜、俺と川井、林、そして林の彼女の
酒に弱い林は早々に酔い潰れ、部屋のすみで熟睡してしまった。
特に暑い夜だった。直美は薄着で肌の露出の多い格好をしていた。同席するのが恋人の友人達ということもあり、彼女も油断していたに違いない。
酒のせいもあったのだろう。そんな煽情的な姿を目の当たりにして欲情に駆られた俺と川井は、直美に半ば強引に強い酒を薦め、意識が朦朧となった彼女をベッドに押さえ付けた。そして、俺たちは交互に直美を犯した。
後日、俺たちは「酔った勢いで」を言い訳に、林と直美を前に平身低頭して謝罪した。意外にも彼らは警察沙汰にすることもなく、俺たちを許してくれた……と、その時は思っていた。
その後ほどなくして、直美が大量の睡眠薬を服用して自殺したことを、俺たちは知った。遺書などは残されていなかったそうだが、俺と川井が彼女を
林に会わせる顔がなかった。彼から何をされても文句は言えない。だが、直美の死後しばらくすると、林は俺たちの前から静かに姿を消した。
そのうち俺と川井も疎遠になり、いつしか俺は友人の恋人をレイプした事実を、記憶の奥底に封じ込めていた。
あれから十年以上が過ぎた。
俺は普通に就職し、普通に結婚して普通の生活を送っていた。
「一度会って話さないか?」
電話のしゃがれ声で現実に引き戻される。
「あ、ああ。林のことは気になるしな」
彼が姿を消した時、すぐ携帯電話に電話を掛けたが、すでに解約したらしく連絡はつかなかった。
「片岡の家に行っていいか? 外でおおっぴらに話せることじゃないだろう」
「そうだな。妻と子供はあと三日は帰ってこないから、今週中なら問題ない。仕事があるから夜の方がいいな」
「分かった。それじゃあ今の住所を教えてくれ」
俺が現住所を伝えると、
「そっちへ行ける日時がはっきりしたら、明日にでもあらためて電話する」
川井はそう答えて電話を切った。
せっかく忘れていた嫌な記憶を思い出させやがって……俺は川井を少し恨んでいた。
翌日。
仕事を終えて誰もいない家に帰った俺は、居間で川井からの連絡を待っていた。
午後九時を回った頃、携帯電話が鳴った。
(川井だ)発信者の確認ももどかしく、電話に出る。
「片岡さんの携帯電話でよろしいですか?」
川井の声ではなかった。
「はい、片岡ですが」訝しげに答える。
「私、S県警捜査一課の
警察? 何ごとだろう。
「警察の方がどのようなご用件でしょうか?」
「川井
「はい。学生時代からの友人です。彼がどうかしたんですか?」
「実は本日午後、川井さんの他殺体が自宅マンションで発見されました。何らかの事件に巻き込まれたものと思われます」
「……え?」
あまりにも意外な言葉に、一瞬思考が止まった。
「川井が、誰かに殺されたって言うんですか?」
「はい」刑事はあくまでも事務的な声で答える。「川井さんの所持品から、連絡先を確認しているところです」
なるほど、川井は昨晩俺に電話している。携帯電話の通話履歴から俺に連絡して、昨晩の川井の動向について確認しようということか。
「いえ、川井さんの携帯電話は自宅からは発見できていません。犯人が持ち去った可能性があります。それに……」
俺が昨晩のことを話すと、刑事は衝撃的なことを口にした。
「検死医の見立てによれば、
あまりのショックに、「心当たりはないか」との刑事の問いにどう答えたのか、俺は全く覚えていなかった。
気付いたことがあれば連絡すると言って、電話を切ったその直後だ。
再び携帯電話が鳴り響いた。
画面に表示された発信者は「
〈了〉