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美しい薔薇にはアレがある

(あん……ダメ、そこ……)

 またか――

 安アパートの一室。薄い壁の向こうから、今夜もベッドの軋むリズミカルな音と共に、嬌声(きょうせい)が漏れ聞こえてきた。

 俺のような女っ気のない独身男には目に毒、いや耳に毒だ。


 その女が隣の部屋に越してきてから、かれこれ二か月ほど経つだろうか。表札には「牧村(まきむら)」とだけ書かれていた。下の名前はいまだに知らない。

 おそらく夜の商売なのだろう。生活サイクルが違うせいか、顔を会わせることはめったにないが、たまに玄関先で見かける彼女は背が高く、かなりの美人だ。

 時おり男が訪ねて来ては「行為」に興じているようだが、薄い壁を通して声が隣に筒抜けなことに、気付いていないのだろうか。

 あるいは、俺のような冴えないお隣さんに向けて、わざと聞かせて楽しんでいるのかも知れない。

 いずれにしてもはた迷惑な話だ――と思いつつも、いつしか俺は、隣室の情事に耳を傾けるようになっていた。

 ある週末の夜遅い時間だった。

 缶ビールを片手にテレビの深夜バラエティを見ていると、隣から男の荒々しい息遣いと、女の艶っぽい喘ぎが聞こえてきた。

 俺は壁ぎわで息を潜め、耳をそば立てる――

(――ああっ!)

 数十分続いた行為ののち、ひときわ高い声をあげ、女が達した。

 その後も何やら話し合う声が聞こえていたが、内容まではよく聞き取れない。

 ――さて、テレビ観賞に戻るか。

 飲みかけのビールに口を付けようとしたその時だった。

 隣から男女の言い争う声と、続いて何かが倒れるような物音が鳴り響いた。

 俺は再び壁ぎわで聞き耳を立てる。

(ハァッ、ハァッ)

(グッ、ウ、ク――)

 どうやら男の息遣いと、女の方は苦悶の声のようだ。

 さっきまでのような性行為とは思えない。いったい何が起きてるんだ?

 しばらく聞き入っていると、やがて何も聞こえなくなった。

 俺の脳裏に、隣の女の身体に跨がり、彼女の首を絞める男の姿が思い浮かんだ。

 殺人事件――いや、俺の思い過ごしだ。そうに違いない。

 俺はビールの残りを一気に飲み干し、テレビのスイッチを切って布団に飛び込んだ。

(俺は何も見ていないし、何も聞いてない)

 頭から毛布を被って自分に言い聞かせた。やがて俺は深い眠りについた。

 ――その夜以来、隣の部屋からは物音が一切聞こえなくなった。

 無人となった隣の部屋に、今も横たわる女の死体――そんな想像が、俺の頭からいつまでも離れなかった。


 あの夜から五日が過ぎた。

 夜、テレビを見ていると、近所の河原の草むらから、女の他殺体が見つかったというニュースが流れた。

(隣の女だ)俺は瞬時にそう思った。あのあと男は女の死体を外へ運び出したのだ。

 ところが、画面に映し出された被害者女性の顔写真は全くの別人だった。

 別の事件だろうか。と言うことは、隣の部屋には今もまだ発見されない女の死体があるのでは? 俺が通報した方がいいのだろうか?

 それにしても、こんな狭い範囲で、同時期に殺人事件が二件も続けて起きるものだろうか。

 同一犯による連続殺人――もしそうなら、あの夜、物音を聞いていた隣室の俺の所にも、いずれ犯人がやってくるのではないだろうか?

 全身に悪寒が走った。すぐにでも警察に連絡した方がよさそうだ。

 ふとテレビの画面に目を戻すと、さっきの事件のニュースが続いていた。

 俺は驚愕した。そこには見知った顔写真と名字が映っていたからだ。

「――警察は交際相手の男を殺人と死体遺棄の疑いで逮捕しました」

テロップ『ニューハーフクラブ勤務 牧村英男(ひでお)容疑者 二十六歳』

〈了〉

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