女三人、海を渡る
一方、ジールたちは……
噴火の影響だろうか、あれほど青く澄んでいた海は、今や泥のように黒く濁っていた。
「つまりは、不漁だったのも火山の影響だったってことかな」
頬にかかる長い髪をかきわけながら、その目はラッシュ達がいる島へ向けられている。
だんだんと風が暖かくなっている。そう、危険を承知でジールの乗る船は全速力で向かっていた。
「ああ、結局はそういうことだ。別に神様が悪さをしているんじゃないってわけだな」隣りにいたマティエがそう答えた。
「かか、勘弁してくれよぉ、なんで僕まで行かなきゃならないのさ!」
「パチャ。そいつうるさいから耳切り落としちゃって構わないよ」
「え、ジールさんちょっとそれヤバいんじゃ……つーか嘘だよね?」
「うん、嘘」
船にはなぜかパチャも乗っていた。女三人と、マストに縛り付けられて身動き一つ取れない状態の理事長。
バクアの港に残されていた……いや、大型かつ速度の出せる船は一隻しか残されていなかった。残りはすべて例の作戦のために先に島へと駆り出されていたから。
「バクアに残っていたほうが安全なのにさ、あのパチャって子、なんで私達についてきたいと思ったンだろ?」
ジールはそれが聞きたかった。まだそれを知ってから半日も経っていないのにも関わらず、何故かこのトカゲ族の威勢のいい女性は自分とマティエをとても慕っている。どちらかというとなんか妙な感触っていうか。
「なんて言えばいいのか……あれは恋する目だぞ」半ば呆れ加減のマティエがつぶやいた。
「私、一目惚れされた? なんでまたそんな」
「自分より強い人に惹かれるらしい」
「別に私、強くもないんだけどな……」ジールの癖でもある深いため息が、またたく間に強い風にかき消されていった。
「まあ、面白いやつが一人増えたってことでいいんじゃないのか? エッザールの妹だし、それに腕も立つ」
「面白い……って、マティエの口からそんな言葉が出るとは思わなかった」
「そ、そうか?」
「その調子でパチャの面倒も見てやってよ」
「ば……馬鹿言うな」
だんだんとマティエの中から険しさが抜けてきている。ジールはそれを観察していくのが楽しかった。
そして、彼女をからかうことも。
「ジールさん! 前方に漁船が数隻来てる、脱出組かな?」
ふと、高台で見張っていたパチャが叫んだ。
「くっくく……となると作戦は成功したようだな」
「ロゥリィ、それどういうこと?」
理事長の細い目の奥が怪しく輝く。
「さっき話したろジール。僕が欲しいのは漁業権なんかじゃない。あの島ぜんぶさ。まあ火山の活動が収まるまではちょっと辛抱だけどね。バクアの腕利きの男たちが、あの小さな島のバカどもをひとり残らず捕まえてポイ、さ。それが住んだって証拠だろうね……ってグハッ!」
ロゥリィの冷徹極まりない言葉に、マティエの拳が炸裂した。
「貴様……そこまで最低な男だったとは」
「くっくっく……どのみちこの船も連中との衝突は避けられないとは思うけどね。どうする? ってゴフッ!」
反対の頬に、今度はパチャの拳が火を吹いた。
「で、どうするのジールさん。あたしたち三人で戦うしかないってことかな?」
「船上で戦った経験はあるのか、パチャ」だんだん近づいてくる船影を睨みつけ、言葉少なにマティエは言う。
「いや……ないけど」
「私もだ。ジールは?」
「ない。っていうかお二人さん、泳ぎの経験は?」
得意だよ、ってパチャの即答に対し、マティエはただ黙って首を左右にふるだけだった。
「はあ……こりゃ最悪かも」
また、ジールのため息が風にのって消えた。
⭐︎⭐︎⭐︎
「あたし、いい策があるんだけども……いいかな?」
そういうとパチャは、ロゥリィを縛っていた縄をおもむろに解きはじめた。
「おい、パチャお前!?」
「大丈夫。ここ海の上だし、暴れたら放り出せばいいことだし」
間髪入れず三人の手から逃げ出そうとしたロゥリィの首筋に、パチャはサーベルを突き立てた。
「つーことで理事長さん。向こうからお仲間が来たら交渉してくんないかな? へへ」
まるでその尋問を愉しむかのように、ちろっと口の端から細い舌が見えた。
「ふへ……な、なにを交渉しろと?」
「決まってンじゃん。あたしらに一切手を出すなってコト」
「み、見逃せってことか?」
そゆこと。とパチャはロゥリィの頬にペチペチとサーベルの刀身をあてた。
「あたしら三人。理事長さんは丸腰。この意味わかるっしょ?」
ロゥリィはその言葉にただ黙ってうなづくよりほかなかった。
風に乗っていたのか、バクアの漁船団はまたたく間にジールたちの船へと近づいてきた。
「行ったのは五隻。ざっと腕利きの男どもが数十人はいるな」
「心配ないってマティエさん。あたし、こう見えても必殺技あるんだ」
パチャは背負っていた革のザックから、大きな水筒を取り出した。
「竜の息吹か?」
「え、ええええええ!? マティエさん知ってたんですか!」
「知ってるも何も、エッザールが前に使っていたのを見たしな。しかも結構うまい酒だ」
そう、パチャもエッザールと同じ種族。つまり例の技を持っているということはおそらく承知していた。
「マティエさん、お酒イケる口なんです?」
「いや……色々あってな。いまは断酒してるっておい、船が来たぞ!」
ジールも愛用のボウガンを手に臨戦態勢で構えていた。願わくばパチャの策が実ってほしい。自分とマティエのケガは大したことはないといえ、血を流すのはいまはゴメンだ、と心の隅では願っていた。
だが……向かってくるにつれ、乗船している男たちに違和感があるのが見て取れた。
総じてケガ人しかいない。ある人は鼻っ柱を折られたのか、顔面血だらけのまま。そして中には手足を折られた人も転がっており、船上はケガをした者たちの収容施設さながらの状態だった。
「な……これは一体どうなってるんだ!?」惨状を目の当たりにしたロゥリィが驚きを隠せない。
やはり……ほぼ全てが負傷しているのか、彼らに戦う意志そのものが完全に失われていたのだ。
「どうもこうもないっスよ! あの犬野郎俺たちに一人で抵抗してきやがって。見てくださいこの有様!」
「理事長、約束が違うぞ!全員無抵抗で始末できるって言ったじゃないか!」
とりあえず手当が先かな、と真っ先にジールは甲板に飛び乗った。
正しい治療もできず呻いている人を見捨ててはおけない。それは人間だろうと同胞であろうと同じだから。
「なんか……拍子抜けしちゃったね」と、ジールは苦笑しながら二人に話した。
「いいんじゃないか、肩透かしだったけど誰も死なずに済んだのはいいことだしな」
「っていうか、ここまで人間連中をコテンパンにしちゃった犬野郎って、ジールさんたちの仲間?」
コクリとうなづくと、ジールはその犬野郎ーラッシューについて語り始めた。
「あたしたちより全然強いから。まあいっぺん見てみなって」
「お前もアイツを見たら、私たち以上に惚れるかもしれないぞ」
「えええマジっすか! 早く会ってみたいな!」
治療を終えた船はバクアへと戻らせ、パチャたち一行は黒煙の立ち上る島へとまた向かっていった。