パチャのときめき
ー一方、バクアでは……
そのかっこよさに、パチャカルーヤの心臓が大きくドクンと高鳴った。
恋とは違う。まるで憧れの人に出会えたかのような、激しいときめき。
そんな感情を初めて抱いたひとが、今、目の前に立って自分をじーっと。ちょっとヤバいくらいの危険な目つきで見ている。
むき出しの筋肉質の太い腕にはいくつもの刀傷が刻まれている。わかる。この人は相当の猛者。各地の戦場を渡り歩いているに違いないってことを。
大きな胸を隠しただけな簡素なシャツ一枚。しかしその素肌にも同様に大きな古い傷跡が。
漆黒の毛並みに、かなりきつめのカールがかった白い髪の毛。
ああ、もうその肌と髪の色が織りなすワイルドさに自分は参ってしまいそう。
自分にぐっと言い聞かせる。落ち着けパチャカルーヤ。あの人は女性だぞ。と。
でも、でもそんなの関係ない! 男だろうが女だろうが、カッコよすぎるんだ!
そう、正しい言い方をすれば、惚れた。
ひと目見たその姿に、パチャ、私は一目惚れしたんだと。
ヤバいを通り越して危険。どうしよう、思いきって話しかけてみようかな。うんそうだ、絶対彼女はこの港町バクアで生まれ育ってずっと漁師をしていたり、自身の兄貴であるエッザールみたいに時たま旅とか傭兵をしているに違いないってことを。
けどパチャは後悔していた。なんでこんなときに素敵な女性に出会ってしまったのだろうって。
今時分が胸に抱えているのは。迷子。
けど普通の迷子じゃない。自分以外はみんな知っているチビっていう変な名前の子供だ。
仲間を探しに行ってくるって、兄貴も牧師も、それに一応旦那であるフィンもばらばらになってどっかに行ってしまった。
っていうか、なんで面識ゼロの自分がこんな素性のわからないガキのお守りをしなきゃいけないんだって。
けど絶対手放しちゃいけないって言われて、正直こんな人気のない裏通りでじっとしていること自体飽き飽きしてきたし。
いつになったら帰ってくるんだってちょっぴり彼女は苛立っていた。チビも全く話しかけてこないし。つーか寝巻姿で一人さまよっていたし、さっきっからずーっととろんとした目で海を見続けている。
変。っていうよりか不思議。
「おい」
目と目があった刹那。先に口を開いたのは黒毛の女性、マティエの方だった。
「はぁ? へ、な、なんだよ一体」思ったとおり、その傷だらけのたくましい身体つき同様ワイルド極まりない物言いだ。緊張してなんて返していいかわからなかった。
「その子供、こっちに渡してもらえないか?」
え、そっちかよ! とパチャは面食らった。もとより自分に気があるとは尻尾の先ほど思っちゃいなかったし。
けどよりによって子供のほうかよ。もしかしてこの人の子供か? なんてちょっぴり思ったり。
「あ、あんたの子供かい?」
「違う」
「じゃあ渡せねーな。あたしの方にだって理由はあるんだから」
「どういう理由だ?」
「言えねーし」
パチャのそっけない返しに、マティエはギリッと歯噛みした。
落ち着け。自分だってこの男のような風体が災い……いや、このぶっきら棒な物言いと睨みつけるような目つきのおかげでいつも損してきたじゃないか。と。
落ち着け、落ち着け。深呼吸して頬の緊張を解いて、そして優しく問いかけ……たかった。
ダメだ。やっぱ自分にはそんな悠長なことできっこない。
気がついた瞬間、無意識に自分の蹄のついた足はかつかつと、そのトカゲ族の女性に早足で歩み寄っていた。
「悪いが……こっちにものっぴきならない事情がある」
強引に伸ばした腕を、パチャは紙一重で避けた。
「あのさ、それって誘拐っていうんじゃねーか? 人呼ぶぞ?」
「お前の方こそ誘拐だろうが!」
「うっせーな! なんなら腕ずくで取り返してみっか!?」
ああ、こんなカッコいい女の人だっていうのに、やってることは誘拐犯そのものじゃねーか。とパチャは瞬時に反省した。
生まれてはじめてのときめきを返せ。胸の高鳴りを返せ……いや、ちょっぴり好きになれたのにな、なんて。
こんな場所で剣を抜いちゃヤバいな。と迷ったその手をぐっと握り、臨戦態勢をとった。
ケンカはしたくはないケドしょうがない。兄貴早く帰ってこないかな。って心の隅っこで思いながら、パチャも軽く呼吸を整えた。
出来得る限り同胞の獣人……いや、おそらくこの女はエッザールの知り合いか彼女に違いない。対するマティエもそう感じていた。
とりあえず一発脅せば抑止にはなるかな。って心の隅っこで同様に思いながら……
マティエの無慈悲な右ストレートが飛ん……
「ちょ、待って二人とも……ぐはっ!」
ヒットしたのはパチャの顔にではなく、間に割ってはいったフィンの顔面だった。
⭐︎⭐︎⭐︎
「バカ! バカ! バカこのムッツリ暴力女!」
マティエに殴られた左目の周りには、見事なまでに丸いあざができていた。
「ほんっと最低だよな。人相悪いし口も悪いしおまけに酒乱だし口より先に手は出るしでもう!」
「フィン、知ってるのかこの人?」
フィンはマティエのことをパチャに話した……が、見事なまでにマイナスな要素しか出てこないまま。
「で、この女は一体何なんだ?」こみ上げる怒りを抑え、今度は逆にマティエが問う。
「ああ、フィンはあたしの旦那だよ」
「……本当か?」
うん。まあ一応。と。相手側もそれなりの返事しかできないまま。だが詳しい経緯をここで話してしまえばあっという間に日が暮れてしまうだろう。
もちろん、その逆もだ。
「ところでさ、さっきからずっとチビの様子がおかしいんだけど」
鼻息荒く、マティエはチビの視線の方向……はるか水平線の先を睨みつけ、話した。
「ラッシュたちが島に連れて行かれたんだ。なんでも離れ小島の住民が神様を欲しているとか」
案の定、口下手なマティエがそんな事情を話しても通じるわけでもなく。
「でさ、なんでラッシュが神様にされちゃったのさ?」
「私にそんなこと言われても知らん」
「いや、知らんって……同行してたんでしょ?」
「途中から倒れていたんだ……気がついたらもうあいつはここを出ていた」
「まったく……だからマティエは脳筋女って言われるんだ」
瞬間、彼女の怒りの導火線に火がついた。
「お前……言わせておけば!」
年端も行かない子供に拳を向けようとした直後、ズン! と大きな地響きが襲いかかった。
立っていられなくなるほどの巨大な、まるでパデイラの怪物が目の前に降り立ったかのような衝撃。
「おとうたんが……」
チビがつぶやくその先からは、もくもくと噴煙が立ち上っていた。
「なんだあれ?」
「まさか……あれ、火山じゃないのか?」
「かざん……?」
フィンもマティエも知らなかった。山が火を吹くことも、溶けた岩を吹き流すことも。
ゆさゆさと地面が揺れ、港の漁師たちも逃げ惑っていた。
「あの距離じゃここまで被害は来ないとは思うけど……島にいるみんなが心配だな」
「ならばどうすればいいんだ!」
「船を借りて助けに行くしか……っていうかあたしそんな技術もってねーし!」
「大丈夫、私がなんとかするから」
音もなく駆けつけた存在。紛れもなくそれはジールだった。
その姿に、またもやパチャの胸がドクンと大きく高鳴った。
少しパープルがかった毛並みに大きくウェーブのついた長い髪。マティエ同様すらりと伸びたその立ち姿。
「私たちもあの島に行くよ、船は理事長がかき集めてくれるって」
「ジール……あのキツネ目の奴は自供したのか?」
「いや全然、けどそんなこと話してる場合じゃないからね。帰ってきたらまたシメてやる」
そう言い切った彼女の姿にまた、パチャの胸が大きくときめいた。
「ジール……ジールっていうんだあの人」
「はじめまして……って、エッザールの知り合い?」
「いや、フィンの旦那だそうだ」
「え……」
だがそんなことは全然関係なかった。
そう、パチャカルーヤは一目惚れしていた。
マティエとジール、二人の女性に。