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第8話 定期試験とプラネタリウム

 六月。
 この季節は、夏輝にとっては一番憂鬱な時期だ。
 天体観測において天敵は雲。
 雲で空を塞がれてしまえば、天体観測は絶対にできなくなる。
 なのでこの時期は観測計画を立てるのも難しい。
 天気予報の精度がいくら上がっていても、一週間後の天候を確実に保証してくれるほどには、まだ至っていないのだ。
 雨は降らずとも雲も多いこの季節は、予定自体を組むのを諦めている。

 もっとも、ちょうどこの時期に定期テストがあるので、ある意味では都合はいい。
 この学校は一学期の中間テストが六月の上旬とやや遅い時期にある。
 勉強には都合のいい時期ではあるのだが――。

「夏輝君、辞書貸して」

 なぜか、明菜と一緒に地学準備室で試験勉強をしていた。

 理由はいくつかある。
 まず、地学準備室は空調がある。
 無論家にもあるが、できれば電気代は節約したい。
 その点、ここなら(学校の負担は気にしないことにすれば)電気代はかからない。
 さらに、地学準備室のある特別棟は特殊な教室が集中していて、何気に資料(サンプル)などが保管されている都合上、他の校舎よりいいエアコンがあって、かつ断熱効果が高く設計されている建物だ。
 防音断熱効果はマンションと比べてもそう変わらない。
 そしてこれが重要だが、普通に帰ると帰宅時間は夕方の三時から四時。蒸し暑さがピークになる時間帯だ。
 適度に勉強して、少しでも陽射しが弱くなる五時過ぎに帰る方が、まだマシなのである。
 さらに学校という環境は、やはり勉強をやる気にさせてくれる環境である。
 ならば同じ条件で図書館でもいいわけだが、空間を一人で占有できるのであれば、集中力が違う。
 そいうわけで、夏輝は特に暑い時期に実施される前期の定期試験は中間期末共に、この地学準備室で勉強していたのだ。

 試験前のこの時期は同好会活動もしないと明菜(と念のため賢太)に連絡していたが、なぜか明菜が勉強中の準備室にやってきたのだ。

「ここすごく快適じゃない。私もここで勉強するね」

 という宣言の元居座り――今に至る。
 別にお互いに勝手に勉強しているだけなので、会話もほとんどない。
 とはいえ、延々二人で無言でいるわけもなく、幾分会話が生まれるし、分からないところを教えたり教えてもらったりもする。

 ちなみにここが快適なのを知ってるのは賢太も同じなのだが、彼曰く「家のがはかどる」という理由で来たことはない。
 あるいは付き合っているという彼女との時間の方が大事なのだろう。よく一緒に勉強していると聞いている。
 それに彼は部活はやってないが、市内の体操スクールに通っていることは知っている。そちらの練習の時間を優先しているのは明らかだ。
 ただ、もう少し勉強を頑張った方がいいとは思うが。

「夏輝君ってさ、成績どのくらいだっけ?」

 何回か教え合っていた時、ふと思い出したように明菜が呟いた。

「ほぼ真ん中。平均だよ。どの科目もだいたい」
「得意科目とかないの?」
「ないなぁ。どれもまんべんなく、という感じだし」
「普通偏ることが多いんだけどね……私は文系よりだし」
「明菜さんは苦手でも俺よりいいでしょう」
「……試験の点数は、ね」

 何か含むような言い方だった。

「ここ数日一緒に勉強してて気づいたけど、夏輝君本当はもっと成績よくない? 私が質問したことはあっても、夏輝君が質問したことほとんどないよね」
「そうだっけ? まあ俺は基本ばっか復習してるからじゃないかな。さすがに基本問題ならわかるから」
「……それだけとも思えないんだけど」

 この時の会話はこれで終わっていた。
 ただ内心、明菜の勘の良さに夏輝はかなり冷や汗をかいていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 六月上旬。
 無事前期の中間試験が終わり――同時に梅雨入りが事実上宣言された。
 ここからしばらくは憂鬱な時期が続く。今日も雨だ。
 とはいえ、別にやることがないとは言わない。
 夏に向けての観測計画を練ったり、あるいは星などの資料を読みふけるのも立派な活動だ。
 とりあえず準備室のパソコンでこの先の天気予報を確認しつつ観測スケジュールを検討していると、明菜がやってきた。が、やや不機嫌そうですらある。

「どうしたの? もしかして定期試験の結果が目標下回ったとか?」

 定期試験がすべて返却されたのは今日。
 そして同時に成績優秀者上位のみ、掲示板に貼り出されるが、彼女の順位は十位。
 去年の最後の試験の成績を下回ったとかだろうか。

「違う。そっちはいいの。夏輝君、何点だったの?」
「え……いや、毎回同じ、ほぼ平均だよ。ちょっと上だったかな」
「見せてもらえない?」

 あまり人の試験を見せろ、という人はいない。
 それは誰であっても同じだが、この時の明菜は拒否させない圧力を感じた。
 美人にすごまれると拒否しづらい。
 夏輝としては平均だという答案を見せたところで、別に思うところはない。
 それに――まさか気づきはしないだろう。

「はい、これ。まあちょっとつまらない計算ミスとかスペルミスとかあったしね。平均保てたのは一緒に勉強した成果かも」

 明菜はその言葉を聞いている様子はなく、自分の答案と夏輝の答案を見比べている。

「……夏輝君、わざと間違えてない?」
「え? なんで?」
「ここ」

 数学の答案を示してくる。
 大問二つがあって、夏輝は片方だけ正解し、明菜は両方正解になっている。

「この問題、二つは基本同じ公式使うけど、二つ目の方が応用で難しいと見せかけて、一つ目には二つ目が解けないと分からないようなひっかけがあるの。実際、この問題は正答率がどちらも非常に低かったって数学の先生言ってたよね」
「そう……だね。俺は運よく一つ合ってたけど」
「何人かに聞いたけど、これ、一つ目だけ合ってたの、夏輝君だけだよ」

 夏輝は返答に窮した。
 なかなかにいやらしい問題だとは思ったが――そういう形になってるとは思わなった。
 どちらも容易に解けたので難しい方を間違えておけば無難だろう、などと考えたのが間違いだったらしい。

「まあその、二つ目は計算ミスしただけだよ。惜しいことしたなぁ」
「……いいけどね、貴方の成績だし。どういうつもりかは分からないけど」
「真面目にやってるつもりだよ。ただ、試験ってどうしても緊張するから、つまらないミスが多いんだ。まあだから、必死に勉強してミスしても何とか平均取ってるだけだよ」
「……それなら、いいんだけど」
「高校入ってからこういうミスが多いんだ。気を付けているんだけどね」

 明菜はなおも釈然としない感じではあったが、ふぅ、と息を吐くと、険のある表情を和らげた。

「夏輝君、星はいつも全力なのにね」
「それは……うん、否定しない」

 思わず二人は笑った。

「ね。せっかく試験終わったんだし、どっか遊びに行かない?」
「どっかって……どこ?」
「うーん。あ、そういえば今年新しく出来たプラネタリウム、あったよね」

 そういえば、この近くに新しく出来た市営の自然科学館なる施設にプラネタリウムが併設されていると聞いたことがある。

「夏輝君はもう行った?」
「いや……俺はこっちは地元とはいいがたいからこっちの施設はあまり詳しくない」
「じゃあ行ってみようよ。これからとかどう?」
「俺に明日クラスメイトの視線で殺される運命を受け入れろと」
「明日は休みだから問題ないって」
「あ、そうか……じゃなくて」
「大丈夫だよ。傘さしてれば分からないって」

 確かにその通りかもしれないが、だとしてもかなり勇気がいる所業だ。

「それにほら、試験終わってもう帰っちゃってる人がほとんどで、あとは屋内系の部活の人しか残ってないし。今なら下校する人少ないよ」

 確かに外を見ると――特別棟の二階にあるこの部屋からは校門側も見えるのだ――人はまばらだ。
 そしてこの雨の中、自然科学館などに行く学生はほぼいないだろう。

「……わかったよ。まあ興味はあるしね」
「じゃ、行こう~」

 振り回されている、という言葉が頭をよぎる。
 だが、それは決して不快ではなかった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「結構素敵だったね」
「うん、思ったよりずっとクオリティ高かった」

 市の施設の、それも併設のプラネタリウムではあったが、展示内容のクオリティはかなり高かった。期待以上だったと言っていい。
 この時期の、あまり見えない星空について展示してくれるのはもちろん、星の伝説でよく知られているギリシャ神話だけではなく、中国神話をはじめとしたいろんな神話についての話まで披露してくれたのはポイントが高い。

 雨は相変わらずで、時間は夜の七時前。いくら夏至に近付いているこの季節でも、さすがに薄暗い。雨もあって、仮にクラスメイトに遠目に見られても、明菜と一緒に歩いているのを気付かれることはないだろう。
 とはいえさすがに遅いので、家まで――はともかく、近くまでは送るよ、と言うと、彼女は嬉しそうに頷いた。
 その笑顔に思わず頬が熱くなるが――。

 その笑顔が急変したのは、学校を過ぎて、森林公園を歩いている時だった。

「よぉ、明菜。久しぶりだな」

 見たことがない男性が立っていた。
 おそらくは同じ高校生か。
 ほぼ同い年に見える。
 制服が違うから、同じ学校の生徒ではない、という事は分かる。
 容貌は整っていると思うが、どこか――嫌な感じがした。
 上背はかなりあり、夏輝より頭半分は大きい。

「なんであなたがここにいるの」

 その言葉が、明菜から発せられたことに驚いた。
 彼女がこれほど、負の感情を込めた言葉を発したのを聞いたのは初めてだ。

「別に偶然だよ。この間同様、な。あんときは邪魔が入ったし、俺もちょっと熱くなりすぎたからな。今回はちゃんと話し合いをしたいんだが」

 一緒にいる夏輝が目に入っていないようだ。
 見ると、明菜はわずかに震えているようにすら見えた。

「誰だか知らないけど、明菜さんはあなたを歓迎していないようだけど」

 そういって、明菜と男の間に割り込んだ。それでようやく、男が夏輝を認識したようだ。

「なんだ、お前は」
「明菜さんのクラスメイトだよ」
「なんだよ……名前呼びとか、そいつがお前の新しい男か?」

 言い回しがいちいち下品だ、と思った。
 同い年に見えるが、妙に強圧的なところを見ると、あるいは年上かもしれない。
 だとしても、遠慮する理由はないと思える。

「もう私はあなたとは関係ないの。もう私の前に現れないで。……夏輝君、ここまででいいよ。ありがと。また来週ね」

 言うが早いか、明菜は踵を返して走り去っていった。
 男は「おい!」と呼び止めたが、彼女が止まることはなく、そのまま雨霞の向こうに消える。
 そのまましばらく睨まれていたが、夏輝が動じた様子を見せないと、舌打ちだけして去って行った。

「……なんなんだ、あれ」

 色々な考えが頭に浮かんでは消える。
 可能性はいくつか考えられるが――そのどれも、夏輝にとっては否定したい考えだ。

 週末、夏輝はとてももやもやした状態で過ごすことになった。

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