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第1話 清掃員の日常

「今日は随分汚れているわね」

 いつもの黒を基調としたドレス風の制服に身を包んだ私は、依頼のあった渋谷ダンジョンへとやってきている。腰まである黒いストレートの髪をなびかせてゴミを片付けているのだが、この日のダンジョンの汚れ具合には正直言って辟易していた。

 あちこちに散らばる探索者のものと思しき肉片。襲われた際にぶちまけたと思われるポーション瓶の欠片。真っ二つに折れた剣やバラバラに粉砕された鎧。

 そんなゴミが点々と散らばっているのである。

 手に持ったほうきとちり取りで、ゴミを集めてはゴミ専用の亜空間収納忍術――通称ゴミ箱へと放り込む。ただそれだけの簡単な仕事だ。手際よく掃除をしていると、遠くの方から悲鳴が聞こえてきた。

「うわぁぁぁ、助けてくれぇぇぇ!」

 どうやら、探索者がモンスターに襲われているようだ。探索者は他の探索者を救助する義務がある、しかし清掃員には、そう言った義務は存在しない。なぜなら、清掃員は戦うためにダンジョンにいるわけでは無いからだ。

「まったく……。ゴミを増やされちゃ、困るんですよね。お客さん!」

 ほうきとちり取りを手に、声のする方へと駆けだした。向かった先には、尻餅をついて震えている探索者と思しき男。それから小柄で緑色の肌をした醜悪なモンスター。

「ゴブリンシャーマンじゃない。この階層に出るなんて珍しいわね」

 ゴブリンは手を上に挙げて呪文を唱えている。その手の上には巨大な火の玉が揺らめいていた。

「グギギギギィィィ」
「た、助けてくれ……」

 男は足を怪我しているらしく、逃げることすらかなわない状況だった。質の良さそうな鎧もあちこちヒビが入っている。それでも剣と盾を手放さないのは流石と言えよう。そんな彼を見下ろすゴブリンは残忍に笑い、恐怖に怯える様子を楽しんでいるように見えた。

「悪趣味ね。でも、都合がいいわ」

 私は手に持ったちり取りをゴブリンに向かって投げつける。

「グギィ……」

 クルクルと回転しながらゴブリンの腕と首をスッパリと斬り落とした。痛みを感じる暇もなく、ゴブリンは残忍に笑ったまま息絶える。出していた火の玉も雲散霧消していた。

「大丈夫ですか?」
「あ、あ、う……」

 ブーメランのように手元に戻ってきたちり取りを回収して、うずくまる彼の前で屈む。男は焦点の合わない瞳で私のことを指差しながら、何かを言おうとしていた。

「う、う、後ろ……」

 男の言葉にため息が漏れる。次の瞬間、私は屈んだままちり取りをうなじのあたりに持ってくる。背後から襲撃しようとしたゴブリン。その手に持ったナイフから繰り出される突きを、ちり取りが受け止めていた。

「そんな殺気駄々洩れで気付かないわけないじゃない」
「ググギギィィ」

 ナイフを弾いて振り返ると、ゴブリンは立ち上がりながら唸り声を上げていた。奇襲を防がれたことが気に入らないらしい。

「ゴブリンストーカーか。シャーマンといい、何でこんなところに……」
「気を付けろ! そいつは強い。俺でも苦戦する相手だ!」
「ご忠告ありがとう。でも余計な心配よ」

 男に振り向いて微笑みかける。どう見ても隙だらけの行動。しかしゴブリンは動かなかった。

「そこまでバカじゃないようね」
「ググギギギ……」

 バカにするなと言っているように見える。言葉は話せないくせに、こちらが言っていることは理解できているようだ。

「おっと、でも無駄」

 呆れた素振りで煽ってみると、苛立ったゴブリンが喉元目掛けてナイフを突きつけてくる。それをちり取りで受け止め、ほうきで反撃する。きっちりと頭をとらえたはずだったけど、素早く頭を下げて回避されてしまった。

「ギギギギ」

 距離を取りながら手を叩きながら気色悪い声で煽ってくる。腰のカバンから五本のナイフを取り出して、三本を素早く投げつけてきた。それと同時に残り二本のナイフを両手に持って迫る。右手は首、左手はみぞおち。他は眉間、右の肩口、左の太ももを狙っていた。

 同時に迫りくるナイフを回避するのは不可能。投げられた一本は弾き返したけど、残りの四本は――私の身体を穿った。目の前にはゴブリンの勝ち誇ったキモイ笑顔。

「くそっ! アイツは危険だと言ったのに……」

 私がやられたと思って、絶望して地面に膝をつく。それでも目の前の戦闘から顔を背けず成り行きを最後まで見届けようとしていた。

「いい心がけよ」

 その言葉を残して、私の身体は黒い影となって沈む。カランという音と共に私の身体を貫いたナイフが地面に落ちた。

「……グギィ?」

 首を傾げるゴブリンの背後にある影が空間を象る。実体を持った黒が落ちて色付いていった。これが忍法影隠れの術。

「気付くのが遅い」

 気配を察知したゴブリンが、振り向きざまにナイフを一閃――。

「残念、チェックメイトよ!」

 それよりも早く、心臓をほうきの柄で刺し貫く。力尽きたゴブリンの身体をそのままゴミ箱に放り込んだ。

「粗大ごみの回収は完了ね。あとは散らばった細かいゴミを集めるだけ。ところで、あなたはどうするの?」

 私は膝をついたままの男を見て尋ねる。男はふらつく足取りで立ち上がると、入口へと向かっておぼつかない足取りで歩き始めた。

「入口まで、何とか戻る、から、気にするな……」

 どこからどう見ても強がりであった。これ以上、ゴミを増やされてクレームになったら困るんだけど……。ホントに大丈夫なのだろうか……。

「そんな身体で大丈夫なの?」
「だ、大丈夫だ。問題ない……」
「そう、分かったわ。頑張ってね」

 私は彼を置いて入口へと向かう。背後から「おいっ!」と呼び掛けてくるが、自分で大丈夫と言っていたので問題は無いだろう。

「……ふぅ、私もまだまだ甘いかな?」

 角の所で彼の視界から外れると、忍術で彼の影に忍び込む。彼の方も私が清掃員であることは気付いているらしい。ゴブリンをあっさりと討伐した私がさっさと帰ったことに不満はあるようだけど、恨み言一つ言わずに黙々と入口に向かう。その前向きな姿勢に庇護欲をかきたてられる。

「「「グギギギ……」」」

 入口まであと少し、というところ。三匹のゴブリンが行く手を塞ぐ。負傷の影響で動きが鈍ってはいるが、傷を負いながらもゴブリンを討伐していく。何とか二体を倒す頃には、彼の身体はほぼ限界だった。

「見どころはあるわね。でも、不思議だわ……。足の怪我さえ無ければ、さっきのも互角以上には戦えたはず……」

 彼の戦闘力を、そう評する。順当にいけば残り一匹も何とかなるだろう。

「しまっ――」
「ググギィ!」

 一瞬の油断と起死回生の一撃。それらが重なりナイフが彼の腹を抉る。完全に致命傷だった。

「ううう……」

 倒れ伏し、うめき声を上げる。ゴブリンは勝利を確信するも、確実に息の根を止めようとナイフを振り上げた。

「これ以上、ゴミを増やさないで貰えるかしら?」

 ゴブリンの背後に回って、ちり取りで頭を回収するとゴミ箱へと放り込む。バタリと倒れる胴体も遅れて回収し、瀕死になって倒れている彼の前に腰を下ろした。

「そんな身体で大丈夫なの?」
「い、い、一番いいポーションを頼む……」
「まったく……。お金は払ってくださいね」

 そう言い残して、彼は力尽きた。私は腰のカバンから、一番いいポーション――通称エリクサーを取り出すと、蓋を開けて彼の口に突っ込んだ。

「うぐ、ぐばっ、げほっげほっ……。いったい何を……。あれ?」
「ふふふ、お目覚めですか?」

 死者をも蘇らせると言われているエリクサーによって、死の淵を彷徨っていた彼の身体は完全に元通りになっていた。死を覚悟していた直後に完全回復したのだ、呆然としてもおかしくはないだろう。

「あとは問題ありませんよね? ポーション代は後で回収しに行くので、またお会いしましょう。逃げられると思わないように」
「ああ、助かった。俺は山本五郎《さんもとごろう》だ。ポーション代については絶対に払うからな!」
「私の名前は影野彩夢《かげのあやめ》よ。ポーション代の方はよろしくお願いしますね。それでは……」

 そう言って、一足先に私はダンジョンの入口へと向かった。

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