7話 王子さまとのダンス
ガブリエルが16歳になった年、完全に体は快調であると医師からお墨付きをもらう。
国王はこれを歓び、大々的なお披露目のパーティを開くと宣言する。
立役者であるシルヴェーヌにも、もちろん招待状が届けられた。
パーティという言葉に目を輝かせるシルヴェーヌのために、ガブリエルは自分の正装とおそろいになるドレスを誂える。
そんな高価なプレゼントは受け取れないと恐縮するシルヴェーヌだったが、ロニーからも後押しをされた。
「ドレスをまとって踊ってこそ、正式なダンスですよ。翻るスカートの躍動感は、本物のドレスでないと味わえません」
「正式なダンス……!」
シルヴェーヌの脳裏に、物語の挿し絵が浮かぶ。
王子さまと踊るお姫さまは皆、美しいドレスを着ていた。
レースのあしらわれた裾をさばき、ターンを決めるお姫さまの姿に憧れていた乙女心が、とくとくと高鳴り始める。
「パーティなんて不慣れな場に、僕を一人で行かせるの?」
もう一押しだと判断したガブリエルが、ここぞの場面で使う、上目遣いの甘えをちらつかせた。
それでシルヴェーヌの気持ちは、がたんと傾く。
「そ、そうよね。不慣れな場は、心細いものね。私が一緒に行けば、少しはガブの気持ちが楽になる?」
「シルがついてきてくれなくちゃ、僕はパーティには行かないよ」
「それは駄目よ。せっかく国王陛下が、ガブのために催してくれるのに」
「じゃあ、僕が贈るドレスを着て、パーティに参加してくれる?」
「さすがに、いつもの服じゃ場違いだものね」
シルヴェーヌが離宮で暮らしている間の身の回りの品は、すべてロニーが用意している。
今、着ているワンピースも、とても可愛いものだが普段着だ。
華やかで煌びやかなパーティ会場へ出向くとなれば、不相応だろう。
シルヴェーヌは、自分がドレスを着た姿を想像する。
そしてガブリエルに手を引かれて、パーティ会場へ入るシーンを思い浮かべると、次第に顔が紅潮していった。
「私がパーティで、ダンスを踊る……」
誰もがその異臭に顔をしかめ、幼い頃からドクダミ令嬢と呼ばれてきた。
両親にすら見限られ、世間から隠して育てられ、伯爵令嬢として満足な教育を受けさせてもらえなかったシルヴェーヌ。
乳母がいなければ、どこかで己の不幸を恨んで、ろくな人間にはならなかっただろう。
それが、お姫さまのようなドレスを着て、本物のパーティに参加するなんて、まるでふつうの淑女のようだ。
「王子さまとダンスを踊るのが、シルの夢だったんでしょう?」
「いいのかしら? 私が……」
「王子さまの僕が、シルがいいと誘っているんだよ」
ガブリエルがおかしそうに笑う。
つられて、シルヴェーヌも噴き出した。
「だから、ね。どうか僕と、踊ってください」
ガブリエルが手を差し出す。
シルヴェーヌはおずおずと、その手に自分の手を重ねた。
「よろしくね、ガブ」
「完璧にエスコートしてみせるよ」
とろりとした赤い瞳に見つめられ、シルヴェーヌの心臓がどきんと跳ねる。
それ以降、シルヴェーヌはふわふわした雲の上を歩くようで、パーティ当日まで夢見心地で過ごすのだった。
◇◆◇◆
シルヴェーヌはガブリエルの色である金と赤を、ガブリエルはシルヴェーヌの色である黒と緑を、それぞれの衣装に取り入れた。
色味は違えど、同じデザインなので、遠目からでもそれがお揃いであると分かる。
国王による開会のあいさつに続けて、ガブリエルがシルヴェーヌを伴ってファーストダンスを踊った。
「シル、緊張してる?」
「足がもつれて、転びそうなの。こんなに大勢の前で踊るなんて、想像もしていなかったから」
「周りより、僕を見て。練習のときみたいに、もっと体を預けていいよ」
頼もしいガブリエルの言葉に、やがてシルヴェーヌの強張りも解ける。
いつもの調子を取り戻すと、シルヴェーヌは氷の上を滑るように美しく舞い始めた。
シャンデリアの光を受けて、ドレスを飾る金色の繊細なレースが、きらめきを辺りに撒き散らす。
その様子はまるで光の精霊で、多くの貴族たちの視線を集めた。
息を合わせて踊る二人に、「ガブリエル殿下の復帰は、本当だったんだ」「ダンスの相手を務めている美しい令嬢は誰だ?」と会場にざわめきが走る。
「まさか、あれは……お姉さま?」
多くの貴族のどよめきに混じり、シルヴェーヌの妹コンスタンスが驚きの声を上げる。
コンスタンスが最後に見たシルヴェーヌは、ジュネ伯爵と馬車に乗って王城へ向かった7歳の姿だ。
それから10年間も離れ離れになるとは、当時は思ってもいなかった。
だが、今でもコンスタンスは、はっきりと覚えている。
(太陽の下で、いつも元気に走り回り、輝くように笑っていたお姉さま。勉強ばかりだった私は、何も事情を知らずに、ただただうらやましいと思っていた)
しかしコンスタンスも成長するにつけ、シルヴェーヌが何と呼ばれているのかを耳に挟む。
誰しも直接は言ってこないが、ドクダミ令嬢という蔑称でシルヴェーヌを馬鹿にしていた。
(ひどい者は、お姉さまがガブリエル殿下の寂寥感を、体をつかって慰めていると噂していた。お姉さまの体質をよく知りもしないで)
コンスタンスは一度だけ、シルヴェーヌと手を繋いで寝たことがある。
それはひどい高熱にうなされた夜で、両親が寝ているシルヴェーヌを叩き起こして、コンスタンスの部屋へ連れて来たのだ。
「コンスタンスを治してちょうだい!」
「今こそ、悪臭の力を解き放つのだ!」
うるさい両親の声が耳障りで、うっすらと眼を開けたコンスタンスは、天使のようなシルヴェーヌに手を握られていた。
「こんなに熱があるなんて、きっと苦しいね。早く良くなりますように」
シルヴェーヌが祈ると、体の節々の痛みがほんのりと和らいだ。
それが分かったのか、両親はシルヴェーヌをコンスタンスの横に寝かせ、一晩中コンスタンスを癒すよう命じたのだ。
朝までシルヴェーヌとコンスタンスは、仲良く並んでぐっすり眠った。
そしてコンスタンスは、次の日には熱が下がったのだった。
(お姉さまの持つ癒しの力は本物よ。寝たきりと言われていたガブリエル殿下を治したのも、きっとお姉さまの体質だわ)
少しだけシルヴェーヌよりも背が高いガブリエルに、全身を預けて優雅に踊る姉の姿に、コンスタンスは嬉し涙がこぼれる。
(良かった、幸せそうで。やっぱりお姉さまには、弾けるような笑顔が似合うわ)
泣いたせいで崩れた化粧を直すため、コンスタンスが休憩室へ向かった後に、シルヴェーヌとガブリエルのダンスが終わった。
婚約者ではないシルヴェーヌと、二曲続けて踊るわけにはいかないガブリエルは、これから見知らぬ令嬢を渋々ダンスに誘わなければならない。
「ごめんね、シル。次のダンスが終わるまで、待っていてくれる?」
「うん、邪魔にならないよう壁際にいるね」
「美味しいデザートがたくさんあるんだって。先に食べていていいからね」
「ガブが好きなデザートを探しておくわ」
恋人同士のように、ガブリエルと手を繋いだまま顔を近づけて内緒話をするシルヴェーヌを、多くの令嬢たちが睨みつけていた。
そうとは知らず、ガブリエルはシルヴェーヌの手を放し、別の令嬢の手を取る。
そして音楽に合わせてステップを踏み出した。
壁際へ向かったシルヴェーヌは、ガブリエルとの素晴らしいダンスに思いを馳せ、その高揚感からまだ戻ってこられないでいた。
(素敵な時間だった。お城のダンスホールで、本物の王子さまと踊るなんて、物語のシーンそのままだわ。本当にお姫さまになったみたいで……子どもの頃からの夢が叶ったのね、私)
頬が緩んでふにゃりとした無防備な顔のシルヴェーヌを、人々は遠巻きに取り囲む。
シルヴェーヌをダンスに誘おうと令息が近づくが、漂う異臭に気がつくと立ち止まってしまうため、不自然な輪ができているのだ。
そんな中、シルヴェーヌの行く手を塞いで、令嬢たちの集団が現れる。
お目当てのデザートが並ぶテーブルに辿り着く前に、シルヴェーヌは揉め事へ巻き込まれていくのだった。