6話 水面下での攻防
シルヴェーヌを労わるガブリエルの声に、おずおずと姿勢を戻す。
「びっくりしたわ。いきなり王妃さまが登場するなんて」
「何がしたかったんだろうね、あの人」
ガブリエルは顔をしかめる。
嫌味ばかりぶちまけていた王妃の目的は、シルヴェーヌにも定かではない。
ただロニーには、なんとなく考えが読めた。
(役に立たないと切り捨てたはずの殿下が、こうして元気になっているのが、気に入らなかったのでしょうね。自分の下した判断が、間違っていたということですから)
過ちを認めきれない大人は多い。
身分が高ければなおさらだ。
「シル、嫌な思いをさせてごめんね。もう二度と、あの人を離宮へは入れないから」
「でも……ガブのお母さまなんだよね?」
シルヴェーヌの両親も、シルヴェーヌへの当たりがきつかった。
だが、いまだにシルヴェーヌは、いつか自分を認めてくれるのではないか、という淡い期待を捨てられずにいる。
完全に拒否をするのは、早計ではないかとガブリエルを心配した。
「母親らしいことをしたら、考え直すよ」
それでいいよね? とロニーへ確認するガブリエル。
「この離宮は、殿下が祖母である王太后陛下から賜ったものです。どなたを招き入れるのか、決めるのは殿下です」
生まれながら体が弱かった孫の治療のため、王太后は自分の住まいだった離宮を明け渡した。
そして遠く離れた別荘へ居を移したのだが、すでに高齢だった王太后は、ガブリエルが元気になった姿を見ることなくこの世を去った。
(王妃殿下は、王太后陛下と仲が悪かったと聞きます。先ほどの振る舞いの中には、殿下を可愛がっておられた王太后陛下への、恨みもあるのかもしれませんね)
ガブリエルの世界のすべてと言ってもいい離宮は、特別に整えられている。
この素晴らしいバラ園の庭師しかり、厨房の料理長しかり、王城と同等の人材が配置されているのだ。
もともとは王太后の離宮であったのを考えれば、それは妥当ではあるのだが、そのまま引き継いだガブリエルへのやっかみはあるだろう。
ガブリエルが利用しないのをいいことに、先ほどみたいに無許可でバラ園へ入り込む者もいる。
(これからは、もうすこし警備を厳しくしたほうが良さそうですね。殿下もこうして庭へ出られるようになったわけですし、私もシルヴェーヌさまを悲しませたくはありません)
ロニーはすぐに、国王へ手配を依頼する。
王妃の暴言も合わせて報告したのだが、普段から国王は王妃に弱腰だ。
おそらくたいした効果は期待できないと分かっていても、ロニーは黙っていられなかった。
(殿下の回復に大きく寄与したシルヴェーヌさまを、悪し様に罵るなんて。どうにか王妃殿下自身に考えを改めてもらいたいですが……無理でしょうね)
ガブリエルの父である国王が治めるゲラン王国は、大きな大陸の中央寄りに位置していて、周囲には大国がひしめいている。
そのせいで、常に大国の顔色を窺わねばならず、たびたび友好の証として大国の姫を王妃に迎え入れていた。
今の王妃もそのひとりだ。
祖国よりも格下なゲラン王国を見下し、国王よりも自分の身分が上だと思っている節がある。
(国王陛下そっくりな第一王子殿下を産むまでは、王妃殿下もしおらしかったそうですが、役目を果たした途端、かぶっていた猫を放り投げたというところでしょうね)
そして、次に生まれた王妃そっくりなガブリエルが、成人まで生きられないほど脆弱だと分かると、その存在そのものを無かったように扱った。
王妃の血筋の尊さを否定されたと感じて、ガブリエルを自分の子として認められなかったのだろうか。
(これ以上、殿下やシルヴェーヌさまに絡んで欲しくはないですね。しばらくは監視の目を厳しくしましょう)
ロニーのおかげか、国王が頑張ったのか、それから数年はガブリエルと王妃が鉢合わせることはなかった。
だが、王妃は決して、狙った獲物を諦めたわけではなかった。
◇◆◇◆
シルヴェーヌが15歳、ガブリエルが14歳になった年に、ロニーのダンスのレッスンが始まった。
もともと動き回ることが好きだったシルヴェーヌは、魚が水を得たように活き活きと踊る。
その素晴らしさに、ロニーは惜しみない拍手を贈った。
「シルヴェーヌさま、その調子です。ダンスは表現力が大切なんです。この瞬間が最高に幸せだという表情で、見ている者を惹きつけましょう」
「だって幸せなんだもの。どうやったって、この顔になっちゃうわ!」
ガブリエルと手を取り合って、くるくると回るシルヴェーヌ。
ただでさえ整った顔ばせに、歓びのエッセンスが加わって、さらに愛らしさを弾けさせている。
ダンスの相手をしているガブリエルは、そんなシルヴェーヌに目が釘付けだ。
(なんて可愛いんだ。無事に今日という日を迎えられたことに、感謝しないといけない)
シルヴェーヌの念願を叶えるため、こっそりとガブリエルは全身を鍛えた。
かつては痩身だったガブリエルだが、すでに薄く筋肉をまとい、平均的な背格好へと変貌を遂げている。
「僕も楽しいよ。やっと、シルとダンスが踊れた」
「ここまでよく頑張ったよね。ガブはすごく偉いと思うわ」
シルヴェーヌの体質による力添えもあったとは言え、ガブリエルが元気になったのは努力のたまものだ。
これまでの経緯を知っているシルヴェーヌは、ガブリエルの粉骨砕身を正しく褒める。
ダンスに憧れを抱くシルヴェーヌのために、日々奮闘してくれたガブリエルへ温かい想いがこみ上げた。
「シルのおかげだよ。世界の広さを教えてくれたから、僕もそこへ行ってみたいって思えたんだ」
「私の知っている世界は、まだまだ狭いわ。ガブと一緒に、もっと見聞を広げたいけど……」
このところ、シルヴェーヌは悩んでいる。
ガブリエルの調子がいいのは、本当に喜ばしいことだ。
しかし同時に、もはや自分は不要ではないか、と考えてしまうのだ。
「だったら、これからも一緒に居ようよ。実家へ帰るなんて言わないで」
「私、まだ居てもいいのかな?」
「ここは僕の離宮だよ。いくらでも滞在すればいい」
「でも、ガブはすっかり健康になったでしょう? 私の匂い……嫌じゃないの?」
「僕は生まれたときから、薬に囲まれていたんだよ。シルの匂いは、慣れ親しんだものなんだ。安心できて、むしろ落ち着くね」
シルヴェーヌにとって、ガブリエルの言葉だけが頼りの綱だった。
(この8年間、離宮で過ごした毎日は楽しかったわ。伯爵令嬢として役に立たないと見限られた私が、ばあやとガブのおかげで、捨て鉢にならずに済んだんだもの)
悪臭が漂う体質と折り合いをつけてこられたのは、誰かの役に立っているという矜持があったからだ。
だからこそシルヴェーヌは、元気になったガブリエルの側にいるべきか迷っている。
そして、治癒が目当てではなく、シルヴェーヌ自身を必要としてくれるガブリエルに、特別な感情を抱き始めていた。
同じ頃ガブリエルは、シルヴェーヌが辞去を申し出る前に、なんとか先回りして外堀を埋めて、囲い込もうとしていた。
だが、14歳が打てる手段には限りがある。
(シルを婚約者にしたいという要望は、すでに父上には伝えている。それがなかなか叶わないのは、忌々しいあの人が邪魔をしているせいなんだ)
ここにきて、王妃の横やりが入っていた。
ガブリエルの兄にあたる第一王子が、国内有力貴族の娘を婚約者にしたため、これでは大国との絆が薄れると騒ぎだしたのだ。
そしてよりにもよって、ガブリエルに大国の姫をあてがおうと動き出した。
健康体になったのならば、王族としての義務を果たすべきだと、国王や貴族たちに進言しているという。
(完全に嫌がらせだ。僕がシルと結ばれたいと知ってから、画策し始めたのだから)
大国の顔色をうかがうべきという考えは、国内の貴族に根強く残る。
国王がおいそれと、その意見を退けられないのは、ガブリエルにも分かっていた。
(その論争が解決しないと、はっきりとシルに僕の気持ちを伝えられない。好きだと告げておいて、僕が別の婚約者を迎えたら、シルを傷つけるだけだから)
権力を持たない幼さが恨めしかった。
ただでさえ、ガブリエルはシルヴェーヌよりも年下だ。
脆弱だった過去も含めて、今なお頼れる男には見えないだろう。
(シルは僕のこと、嫌ってはいないと思う。本当はシルの気持ちを確認してから、婚約の申し込みをしたかったけど……)
それができない現状に、ガブリエルはやきもきさせられるのだった。