11話 初めてのデート
「見渡す限りの花畑だろう?」
「なんて見事なんでしょう。どこもかしこも一面、真っ白ですね」
野菊の群生は、養蜂のために管理されているという。
エアハルトが土地の持ち主に許可をとって、今日は特別に中へ入れてもらった。
蜜を集めている蜂の邪魔にならないよう、隅っこへ敷物を広げて、クラーラは持参したお弁当を開ける。
「どうぞ、こちらがエアハルトさんの分です」
「ありがとう。クラーラの料理には、いつも愛を感じる」
きれいに並んだサンドイッチに、エアハルトは頬を緩めた。
いただきますと手を合わせて、二人はさっそく食べ始める。
エアハルトはどれを食べても、美味しいとクラーラを褒めた。
口直しのピクルスが特に気に入ったようだったので、クラーラは自分の分もエアハルトへ分ける。
すっかり満腹になると、改めて素晴らしい花畑の景色を眺めた。
「よくこの花畑を見つけましたね。かなり城下町の端にあるのに」
修道院も城下町の端にあるが、この花畑もかなり外れにあるようだ。
あまり地理には詳しくないクラーラだが、ここに来るまでに一度も大通りを通らなかった。
だから勘は外れていないだろう。
「仕事のため、今はあちこちを訪ね回っていてね、その途中で、ここに立ち寄ったんだ。そのときは、デレクも一緒だったよ」
「もしかして、デレクが蜂蜜を持って帰ってきた日ですか?」
すでにデレクは、エアハルトの仕事を手伝っており、時おり土産を持ち帰ってくる。
その日は、ずっしりと重たいビンを抱えて帰ってきて、子どもたちが大歓声をあげたものだ。
「牛乳に入れたり、パンに塗ったり、大活躍していますよ」
「喜んでもらえたのなら良かった」
朗らかに笑うエアハルトは、一体どんな仕事をしているのだろう。
クラーラが質問をしてもいいかどうか、そわそわしていると本人の口から答えが紡がれる。
「バリーを覚えているかな? 彼もうちの会社で働いているんだ。ちょうど今日は、あちら方面を調査していると思う」
エアハルトが西に腕を伸ばす。
クラーラも視線をやるが、今は野菊の花咲く丘しか見えない。
(私にとって城下町は、知らない場所だらけ。あちらには何があるのかしら)
修道院の周辺しか歩いたことのないクラーラには、想像もつかない。
いつか修道院を出る日が来たら、世界の広さを知るのだろうか。
未来へ思いを馳せていたクラーラに、エアハルトが仕事の話を続ける。
「調査には人手が必要だから、バリーのカード仲間はみんな雇ったんだ。頭の回転が速くて、記憶力がいい人材の宝庫だったよ」
「何の調査をしているんですか?」
「一軒一軒、住居や店舗を訪ねて、住んでいる人や働いている人の名前を聞いて回っている。それを城下町の地図に、落とし込んでいるんだ」
「それが何かの役に立つんですね?」
どんな仕事なのかは不明だが、エアハルトが無駄なことをするとは思えない。
「例えば友人に手紙を出すとき、オルコット王国の人はどうしてる?」
「自分で届けるか、共通の知人に頼んで届けてもらうか……どちらかですね」
「それを知って驚いたんだ。オルコット王国には、配達業がないんだってね」
「ハイタツギョウ? それがエアハルトさんの仕事なんですか?」
クラーラが首をかしげる。
なにぶん初めて聞いた言葉だった。
「簡単に言うと、手紙や荷物を預かって相手先へ届ける仕事だな。キースリング国では、国営でそれをやってるんだ」
「自分では届けられず、知人にも頼めず、そういうときに利用するんですね」
「バリーにも説明したんだけど、どこの誰かも分からない奴に荷物なんか預けられるか、って一蹴されたよ」
ははっ、とエアハルトが笑っているから、すでにバリーが納得するだけの仕組みを開示したのだろう。
そうでなければ、バリーはとっくに会社を辞めているはずだ。
「手始めに、城下町から始めたい。そしてゆくゆくは、国内を網羅する規模にするつもりだ」
「それは……壮大ですね」
「配達業はすでに、キースリング国で完成されている事業だからね。それをこちらに持ってくるだけだから、資金さえあれば不可能じゃないんだ」
エアハルトの話の大きさに、クラーラは驚く。
すでにある事業を模倣するだけと謙遜するが、国が運営する規模の事業を個人でやろうと言うのだ。
それは十分に驚異的なことだ。
「これから忙しくなりそうですね」
「おかげさまで、優秀なフリッツが大活躍しているし、デレクやバリーといった人材にも恵まれている。成功が約束されたも同然だから、そんなに焦ってはいないんだ。じっくり腰を据えて取り組むつもりだから、こうしてクラーラに会う時間はいつでもあるよ」
にこりと微笑むエアハルト。
これは次のデートの約束をしてもいいタイミングだ。
そう判断したクラーラは勇気を出す。
「あ、あの、次の休日もまた、会ってもらえますか?」
「喜んで。俺は毎日でも、クラーラに会いたいから」
ひっとクラーラは息を飲む。
そんな甘い言葉を返すなんて反則だ。
帽子のつばで赤くなった顔を隠すクラーラを、エアハルトは柔らかく見つめた。
「次はカフェに甘いものを食べに行こうか? クラーラが何を好きなのか、俺に教えて欲しい」
「一度だけ、院長先生が連れて行ってくれたことがあります。シスターは清貧を旨としているので、本当はあまり大っぴらに行ってはいけないんですけど」
「粋な計らいだね。院長はきっとクラーラに、年頃の女の子と同じ経験をさせてやりたかったんだろう」
「そのときに、何層にも重なったクレープを食べました。間に色々なソースや果物が挟まっていて、見た目も味も素晴らしくて感動したんです」
当時のことを思い出し、クラーラの顔がふにゃりと解ける。
そんな顔が見られるなら、エアハルトはカフェごとクラーラにプレゼントしたいと思った。
「キースリング国にも、似たような菓子があったよ。パイを層にして重ねるんだけどね。姉さんが好きで、よく食卓に出ていたな」
「エアハルトさんには、お姉さんがいるんでしたね」
以前、クラーラが髪の長さについて話したときに、エアハルトは姉について言及していた。
「顔つきは俺と似ていると言われる。同じ黒髪と黒目だからかな」
三つ年上なんだ、とエアハルトが付け加えた。
「年が近いんですね。私とお兄さまは17歳も離れていたから、まるで親子のようでした」
「幼いクラーラも、可愛かっただろうな。もしかして王城に、肖像画なんて残ってないかな?」
「どうでしょう? 王城を出たのは、10歳のときだったので……」
記憶を辿るクラーラだったが、覚えている限りでは、肖像画は飾られていなかった気がする。
「もし残っていたとしても、ダイアナさまの手で処分されている可能性が高いと思います」
「なるほど、それはあり得るな……惜しいことだ。もっと早く、俺がクラーラと出会っていれば、肖像画も護ってやれたかもしれないのに」
真剣に悔やみ始めたエアハルトに、クラーラが微笑む。
「ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで、嬉しいです。私も……母の肖像画が残っていれば良かったのにと思います」
しんみりした空気が流れそうだったので、クラーラは話題を変える。
「キースリング国は、海の向こうにあるんですよね。私は船に乗ったことがなくて……航海ってどんな感じですか?」
エアハルトはもちろん、クラーラの意をくむ。
「この花畑みたいに、見渡す限り大海原が広がっていて、それをざぶんざぶんとかき分けて船が進むんだ。波に煽られて揺れるし、慣れないうちは足元がふらつくけど、自分を取り巻く全てのしがらみから解放されたと俺は感じた」
「しがらみ……」
「クラーラが抱えているものは大きいから、それくらいでは晴れないかもしれないが」
「いいえ、私も航海に出てみたい、と思いました」
「いつか一緒に、世界中を旅するのもいいな」
そんな未来を想像するだけで、今のクラーラの胸はいっぱいになる。
しかし、次のデートを迎えるより先に、予期せぬ人物がエアハルトの前に立ちはだかるのだった。