10話 刈り取ってしまいたい芽
「そう言うことなので、私がエアハルトさんの隣に立つのに相応しくなれるまで、告白のお返事をするのを待ってもらえないでしょうか?」
決意を固めたクラーラの話を聞いているエアハルトは、みるみるうちに顔が紅潮していくのを止められない。
今日は仕事の合間に、少し顔を出すつもりで孤児院へ立ち寄ったのだが、こんな展開が待っていようとはエアハルトも想像していなかった。
クラーラは今の自分では自信がないから、もっと成長してから告白の返事をしたいと言う。
それはエアハルトの気持ちに応じるつもりがあると、言っているも同然だった。
(俺は何を宣言されている? これはもう愛の告白と等しいよな? クラーラは気がついていないのか?)
戸惑いから言葉を発せないエアハルトの態度を、勘違いしたクラーラがさらに言い募る。
「なるべく早く、成長しますから」
「クラーラ、俺の心臓が限界だ。これ以上は死んでしまう」
「え……っ!」
飛び上がって驚くクラーラが可愛い。
クラーラがエアハルトに相応しくなりたいという気持ちと、相応しくなったら隣に立ちたいという願いを、エアハルトは正確に受け取った。
クラーラの心は真っすぐエアハルトに向いている。
それが分かっただけで、天にも昇る心地だった。
一方のクラーラは、自分で考えて行動するという目標に向かって、邁進する所存だ。
どうしたらエアハルトに相応しくなれるのか、まずはそこから考えなくてはならない。
そのために、クラーラはもっとエアハルトを知る必要がある。
「エアハルトさん、よかったら一緒に過ごす時間を設けてもらえませんか?」
「それは間違いなくデートの誘いだよな」
うんうんと頷くエアハルトは、喜んで賛同した。
「先日、フリッツと遠出をして、きれいな花畑を見つけたんだ。心が洗われるような光景だったから、ぜひクラーラを連れてきたいと思った。よかったらそこへ、一緒に行かないか?」
「嬉しいです! 私、お弁当を用意しますね」
◇◆◇◆
ドリスの快諾もあって、クラーラは次の休日に、エアハルトと出かけることになった。
正式な見習いシスターとなって初めての遠出ということもあり、クラーラの緊張は否応にも高まる。
あまり外出着を持っていないクラーラのために、ドリスが服を用意しようとしたが、それに先駆けてエアハルトから何着かのワンピースと靴、バッグや帽子が届けられた。
「こういう手腕はスマートね」
ドリスはエアハルトのそつのなさを褒める。
修道服以外の服を着るのが久しぶりなクラーラは、何をどう合わせたらいいのか分からずドリスに相談した。
そして休日が近づいてくると、クラーラのそわそわした態度が子どもたちにも伝播していく。
「クラーラお姉ちゃん、もう一度、お洋服を着てみなくていいの?」
「あっちの帽子のほうが、この色によく似あっているよ」
女の子だけでなく、男の子もコーディネイトに知恵を絞ってくれる。
みんなの応援が心強くて、クラーラは涙が出た。
優しい子どもたちをぎゅうと抱き締め、感謝を伝える。
「ありがとう、おかげで頑張れそうよ」
「楽しんできてね!」
「あとでお話を聞かせてね!」
当日は、そんな子どもたち全員に送り出され、クラーラはエアハルトの用意した小さな馬車に乗る。
エアハルトが御者席に座ったので、クラーラはその隣へ座らせてもらった。
車の中じゃなくていいの? と聞いてくるエアハルトへ、笑顔で頷き返すクラーラ。
短い髪をしっかり帽子の中に隠し、黄色いワンピースの裾を押さえて腰かける。
馬車に乗るのは、10歳のとき以来だった。
「なんだか少し、緊張してる?」
クラーラのわずかな機微も、エアハルトは見逃さない。
何でも打ち明けると決めたクラーラは、道すがらエアハルトへ己の身の上を正直に話した。
「父と一緒に夜の闇に紛れて、馬車で王城から抜け出したのを思い返していたんです」
「父上というのは……?」
「先代の国王陛下です。今代の国王陛下は、私の異母兄にあたります」
「クラーラは王妹だったのか」
「母が側妃だったので、私はあまり民の前に出ることがなく、顔も知られていないと思います」
王城で幅を利かせていた当時の正妃ダイアナの派閥から、側妃コリーンは隠れるように生きていた。
それは今のクラーラの現状とも、よく似ている。
こちらが事を荒立てたくないと思っていても、ダイアナ側はそうではない。
クラーラがダイアナにとって刈り取ってしまいたい芽である以上、逃げ続けるしかない。
「詳細は知らされていませんが、母は王太后ダイアナさまの手にかかり、亡くなったのだと思います。父はその魔の手が私に忍び寄る前に、修道院へ逃がしてくれたのです」
「城下町にある修道院は、王城からあまり離れていない。安全とは思えないが……」
「院長先生が父の乳姉弟であった事実は、ほとんど知られていないそうです。それに、生前の父が地方にたくさんの別荘を所有して、王太后さまの目を逸らしたと聞いています」
そうやって護ってくれた父は、もういない。
そしてドリスは高齢となり、クラーラの将来を案じている。
「もっと私がしっかりしていれば、院長先生も安心してくれると思うんですが……」
「いや、院長の心配は的外れじゃない。王族というのは強大な権力を握っている。一個人が太刀打ちするなんて、本当は無理難題な相手なんだ」
エアハルトの深刻な表情が、厳しさを物語る。
「何かあれば、クラーラを連れて故郷のキースリング国へ逃げるよ。俺の生家は、ベルンシュタイン辺境伯家と言うのだけど、そこそこの力はあるからね」
「国家間の問題になったりしませんか?」
「そういうのを煙に巻くのは、フリッツが得意な分野だ。それに、俺たちは身分を隠して旅をしているから、すぐにはキースリング国と繋がらないだろう」
クラーラの不安を、エアハルトは瞬く間に解消する。
ふわり、と背負っているものが軽くなるのをクラーラは感じた。
「もしものときは……よろしくお願いします」
「いつでも頼って欲しい。クラーラから、頼りになる男だと思われたい」
にこりと笑うエアハルトからは、クラーラへの好意があふれていた。
それにどきどきと胸をときめかせるクラーラも、口から思いが零れる。
「エアハルトさんは素敵です」
「クラーラに言われるのは嬉しいね」
「そんなエアハルトさんに相応しくなるためには、私も素敵にならないと……!」
「クラーラだって素敵だよ。自分では分かっていないみたいだけどね」
如才なく手綱を操りながら、エアハルトは言う。
「すでに俺が、クラーラに惚れているんだ。俺の隣に立つために必要なことって、それくらいしか思いつかない」
「そ、それは……」
思ってもみない返しに、クラーラはたじろぐ。
高位貴族であればあるほど、相手に求めるものは多くなるのが常識だ。
クラーラには、重しとなる血筋と、スープ作りの腕前しかない。
せめて淑女の嗜みとか、気品のある仕種とか、あふれる教養とか、高潔な精神とか、それくらいは身につけたいと思っていた。
「エアハルトさんは、それで良くても、ご家族の方はどうでしょうか?」
せっかく心を通わせても、親兄弟からの反対で別れさせられる話もある。
どこに出しても恥ずかしくない女性でないと、すんなり認められないのではないか。
ハラハラするクラーラに、エアハルトはあっけらかんと答える。
「俺は爵位を放棄しているから、うるさくは言われないよ。それにオルコット王国へ骨を埋めると決めたんだ。むしろ、クラーラの家族に反対されないか心配だ」
「私の家族はもう……」
「とんでもない兄上がいるだろう?」
「お兄さまとは、長らく交流が無いんです。私がダイアナさまを怖がっているのを知って、あちらから距離を置いてくれて……以来、すっかり疎遠になりました」
ふむ、とエアハルトが思案顔になる。
「もし俺にこんな可愛い妹がいたら、放ってはおかないけどな。交際したい男なんて連れてこようものなら、真剣で勝負を挑むよ」
「どちらかと言うと、お兄さまはフリッツさんに似て細身なので、そういう展開にはならないと思います」
エアハルトがふはっと笑うのにつられて、クラーラも噴き出した。
馬車はそろそろ、花畑に到着する。