バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

7話 動き始める未来

「今すぐに、返事が欲しいわけではないんだ。だからそんなに畏縮してしまわないで、これまで通りに接してくれると嬉しい」

「は、はい……分かりました」



 突然の告白に固まってしまったクラーラだったが、取りあえず肩の力を抜く。

 それを見て、エアハルトも安堵した。

 せっかくの心地よい時間が、ぎくしゃくしてしまうのは嫌だった。



「さっき事業を始めたいと言ったけど、フリッツと一緒に、事務所を探している段階なんだ」



 エアハルトはあえて、違う話題を持ち出した。

 まだ戸惑っているクラーラにとっても、それはありがたい。

 

「今はまだ、王城に近いホテルに滞在している。そこよりも事業の拠点となる建屋があった方が、なにかと便利だと思ってね」

「……城下町でも、かなりの倒産がありました。空いた物件もあるんじゃないでしょうか?」



 王城という単語に、ぴくりと反応を返しそうになり、クラーラはやや早口になった。

 

「場所は修道院の近くがいいな。できれば将来、子どもたちの就職先候補にしてもらいたいと考えているんだ」

「子どもたちの?」

「今の孤児院の中で、年長なのはデレクだろう? 彼にその気があるなら、事務所が見つかり次第、さっそく手伝いを頼みたい」



 失業者があふれる城下町で、なんの技能も持たない子どもたちが、ちゃんとした職に就ける可能性は低い。

 しかし子どもたちも、ずっと孤児院で暮らせる訳ではないと知っている。

 特に一番年上のデレクは、それを最も肌で感じているはずだ。

 エアハルトの申し出に、頷く見込みは大いにある。



「まずは本人に聞いてみますが、多分とても喜ぶと思います。デレクは、妹のチェリーの面倒を見るのは、自分の責任だと思っているから……」

「迎えに来ると約束したきり、両親が現れないと聞いた。デレクはそのせいもあって、自立心が人一倍あるんだろう」



 ツキリと胸が痛んだ。

 クラーラもまた、迎えに来てもらえなかった過去を持つ。

 だからこそ、ここまで強くなったとも言えるのだが。



「……そうですね。デレクはしっかりしています」

「さっき一緒に遊んだが、記憶力が良かった。いい仕事をしてくれそうだ」



 デレクを褒めるエアハルトの声が弾んだので、クラーラも嬉しくて微笑んだ。

 

「子どもたちは院長先生に教わって、文字の読み書きや計算もできるんです」

「素晴らしいな。オルコット王国の識字率はどれくらいだったか……」



 ぶつぶつと考えこむエアハルトには、人の上に立つ者の風格があった。

 詳細は明かされなかったが、故郷では相当に高い身分なのではないかとクラーラは推測する。

 そんなエアハルトから想いを打ち明けられて、困惑しているのが正直な気持ちだ。



(嬉しいけど、どうしたらいいの? 私もお慕いしています、って伝えても大丈夫なの?)



 自分で考えて動ける人になりたいと言ったそばから、分からなくて縮こまりたくなる。

 それに今のクラーラはただの見習いシスターだ。

 貴族らしいエアハルトの隣に立つのに、果たして相応しいのだろうか。

 

(こっそりと慕うだけなら自由だった。でもエアハルトさんから想いを寄せられるなんて、想像もしてなかったから……)



 クラーラの悩みを飲み込むように、夜は更けていった。



 ◇◆◇◆



「クラーラお姉ちゃん、どうしたの?」

「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてしまって……」



 ジャムを煮る手が止まっていた。

 慌てて木べらで、焦げ付かないように鍋底をかき混ぜる。

 声をかけたチェリーが、レモン汁を絞った容器を持ち上げる。



「そろそろ入れる?」

「鍋が熱いから、気を付けてね」



 エアハルトたちが持ってきてくれた果物のうち、半分はジャムにした。

 これで数か月は保存ができ、子どもたちも長く楽しめるだろう。



「ちょっとだけ、味見をしてもいいかな?」



 チェリーがふつふつ煮立つ鍋を覗き込む。

 味見は、ジャム作りを手伝う子どもたちの特権だ。

 クラーラは薄く切ったパンに、熱々の橙色をしたジャムを載せてやる。



「ふうふうして食べてね」

「いただきまーす!」



 パンを頬張るチェリーの笑顔を見ているだけで、ジャムの出来栄えがいいのが分かる。

 うまく仕上がったようでクラーラも安心した。

 

「チェリー、これが何のジャムか分かる?」

「んっとね、りんごの味がした! でも……色はりんごと違うね?」



 こてんと首をかしげるチェリー。

 鍋の中に入っていたのは、擦り下ろされたりんごとニンジンだった。



「これはね、ニンジンの色よ。鮮やかでキレイでしょう?」

「ニンジン大好き! 入ってるって、分からなかったよ!」

 

 ニンジンが苦手なエアハルトは、気づいてしまうだろうか。

 最近のクラーラは、何をしていてもエアハルトのことを考えてしまう。

 木べらを持つ手が止まっていたのも、そのせいだ。

 

(あれからずっと悩んでいるけど、なにが正解か分からない。それに……エアハルトさんに、私の出生を隠したままなのは、公平じゃないのでは……)



 暗闇で橙色に輝く星が現れる瞳については、オルコット王国の貴族ならば誰もが知っている常識だ。

 クラーラの中に流れる王家の血は、隠し続けられない。



(10歳からずっと、院長先生に匿われて生きてきた。世間知らずな血統だけの王族なんて、エアハルトさんの邪魔になる…)



 俯くクラーラだったが、チェリーが大きな声を上げたので我に返った。



「お兄ちゃん!?」

 

 厨房の窓からは、修道院の門が見える。

 ふいに来客があっても、気づけるようになっているのだ。

 慌てて出て行ったチェリーが何を目撃したのか、クラーラも外をうかがう。

 すると、そこには――。



「おい、責任者はどこだ! この坊主のせいで、今日の稼ぎが台無しだ!」



 ガラの悪い大男が、デレクの首根っこを捕まえ、その体を高々とぶら下げていた。

 チェリーは兄の危機を知って、居ても立っても居られずに駆け出したのだ。

 血の気が引いたクラーラも、その後を追う。

 あまり表に出てはいけないと言われているが、今日、ドリスは教会の手伝いで留守にしている。

 この修道院にいる大人は、クラーラだけだった。



「お話を聞きますから、どうかデレクを下ろしてください」



 クラーラが門に辿り着いたときには、孤児院の子どもたちが大男を取り囲み、「デレクお兄ちゃんを離せ!」とわあわあ騒いでいた。

 子どもたちの勢いにたじろいでいた大男だったが、ようやく話のわかる大人が来たとクラーラに向き直る。



「こいつをどうするかは、あんたの出方次第だ。なにしろ――」



 そこで大男は、びっくりして口を閉ざす。

 院長のドリスが出てくると思っていたら、見たこともない若いシスターが現れたからだ。

 顎で揃えた髪は短いが、その清楚な美貌に見惚れて、怒鳴っていたのも忘れ固まってしまう。



「デレクが、何かしたのでしょうか?」



 おずおずと尋ねるクラーラに、答えたのは大男ではなくデレクだ。



「僕は悪くない! このおじさんたちが、また観光客を相手にインチキをしていたんだ! そんなことを続けていたら、いずれ観光客も訪れない死んだ町になってしまう!」



 デレクの言い様にカチンときたのだろう。

 大男が威勢を取り戻して声を上げる。



「俺たちはな、今日を生き延びるのすら精一杯なんだ。いずれなんて遠い未来のこと、考えてられるかよ!」

「だからって、騙してしていい理由にはならない!」

「騙される方が悪いんだ。身なりのいい観光客から、ちょっと金をもらうくらい、たいしたことないだろう!?」

「そうやって悪の道に、どんどんはまって行くんだよ!」



 大男とデレクはぎゃんぎゃん言い合い、その足元では子どもたちがやんやと声援を送る。

 いつもは穏やかでほのぼのとしている孤児院が、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。



「ああ、落ち着いて……」



 一触即発な状況をどうにかしようと、クラーラが必死で仲裁に入るが、盛り上がっている大勢に対してまるで効力がない。

 

(こんなとき、院長先生はどうしていたかしら? たしか頭を冷やしなさいと、バケツの水を浴びせていたような……)



 困り切ったクラーラが厨房を振り返り、バケツを取りに走ろうとしたときだった。



「どうした? みんな、今日はいつもより元気だな?」



 酒で喉が焼けた大男とは違い、叫ばなくとも通る声の持ち主はエアハルトだった。

 背が高く、筋肉のついた見事な体躯のエアハルトの登場に驚き、ひぇっと大男は首をすくめる。

 その隙に、デレクは掴まえられていた服を振りほどき、地面へと着地した。



「エアハルトお兄ちゃん、このおじさんが観光客を騙していたんだ!」

「俺たちだって、食っていかないと死んじまう! 孤児院でぬくぬくしてる坊主には、世間の厳しさなんて分かりゃしないだろ!」



 また口論が始まってしまった。

 クラーラが頭を抱え、再びバケツを取りに行こうとしたが――。



「そんなに元気が有り余ってるなら、ちょうどいい。二人まとめて、俺たちの事務所に行くぞ。今日から仕事始めだ」

しおり