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8話 薄暗がりで輝く星

「エアハルトさん、仕事始めって?」



 キョトンとしているのは、クラーラだけではない。

 大男もデレクも、エアハルトを見つめてポカンと口を開けている。

 

「優秀なフリッツが、事務所に最適の空き物件を見つけてくれた。そこでデレクに、さっそく仕事を頼もうと思ってやってきたら、もう一人採用できそうで万々歳というところだ」

 

 にこにこしているエアハルトに、誰もがついていけてない。

 ひょこっとその後ろから、フリッツが顔を覗かせる。



「ハル、それでは説明不足ですよ。僕からみなさんに嚙み砕いて説明しましょう」



 そこからフリッツの話が始まったのだが、ケンカが終わったと分かると、子どもたちは前庭へ分散し遊び始める。

 その場には該当者であるデレクと、兄を心配するチェリーと、状況が知りたいクラーラが残った。

 そしてもう一人――。



「俺はバリーってんだ。この坊主が言うように、観光客から小銭を巻き上げて、毎日を凌いでいる」



 エアハルトほどではないが、立派な体格のバリーは、がしがしと青い髪を気まずげに掻いた。

 水色の瞳は濁っておらず、酒に焼けた喉以外はしっかりしている。

 年齢も30代前半と若く、自暴自棄になるにはまだ早いと思われた。



「バリーさんにも、興味をもってもらえる話だと思いますよ。僕がオルコット王国について調べてみた結果、まだ未開拓の事業分野を見つけたんです。そこで今後、ハルが資金を用意して会社を興し、その事業に本格的に取り組む予定です。先立って、デレクにお手伝いを頼もうと思ったんですが、バリーさんにもお願いしていいですか?」

「つまり、新しい会社で俺を雇ってくれるってことか?」

 

 信じがたい顔つきのバリーが、恐る恐る尋ねる。

 なにしろ城下町には失業者があふれている。

 うまい話はそうそう転がってはいない。



「事務所に契約書を用意しています。ぜひ条件を確認して、検討してもらいたいですね」

「本気かよ……こんなイカサマ師を?」

「バリーよ、そう捨て鉢になるものではない」



 食うに困ってとは言え、バリーも己の行為が違法だと分かっていた。

 だからこそ卑下する言葉を口にしたが、それをエアハルトが押し留める。



「命の危機に瀕したとき、誰しもが正常な行いができるとは限らないんだ。助かろうとして悪事に手を染めてしまったのも、現在のオルコット王国が不況なのも、バリーの責任とは言えない」



 命のやり取りの最前線に、身を置いた経験のあるエアハルトの言葉は重みがあった。

 

「俺はこの城下町の治安を、少しでも良くしたい。クラーラが暮らす修道院や子どもたちが遊ぶ孤児院が、常に平和であるように願っている。そのための第一歩を踏み出したところだ。バリーもぜひ協力してくれ」



 名前を出されたクラーラは、ハッとする。

 バリーはクラーラをちらりと見て、納得したように頷いた。



「なるほどな、このシスターが発端か。あんたが綺麗ごとばかり並べるなら、信用できなかった。だが惚れた女のために一肌脱ぐ男は、嫌いじゃねえ」

「おじさんはさ、ごちゃごちゃ言ってないで、素直によろしくって挨拶すればいいんだよ」



 バリーの上から目線な発言に、デレクが呆れる。

 デレク本人は、すでに心を決めたようだ。



「僕はやるよ! 少しでも早く、稼げるようになりたいからね!」

「おい坊主、そういうのはちゃんと、契約書を読んでからの方がいいんだぞ。……そもそも、字が読めるのか?」

「院長先生に教わったよ! ここではチェリーくらいの年でも、読み書きを学べるんだ!」

「へえ……こんな時世に、随分とまともだな。この城下町も、まだ捨てたもんじゃねえってことか」



 なんだかんだ、デレクとバリーは口喧嘩しながらも気が合うようだ。

 フリッツがふたりを手招き、事務所への道案内を買って出た。



「せっかくですから、ハルはもう少ししてから、帰ってきてください」



 短いがクラーラとの逢瀬の時間を、捻出してくれたのだろう。

 だが男衆が立ち去ると、クラーラは眩暈を感じてふらつく。



「おっと……安心して気が抜けたか? クラーラは少し横になったほうがいい。顔色が良くない」

「すみません、お手数をおかけして」



 指先が冷たくなっているのを感じたクラーラは、抱き留めてくれたエアハルトに従う。

 クラーラの異変に、チェリーが先頭を切った。



「エアハルトお兄ちゃん、こっち! クラーラお姉ちゃんのベッドがある!」

「よし、チェリー、頼んだぞ」



 次々に扉を開けてくれるチェリーについていき、エアハルトは物置を改装した寝室へ辿り着く。

 暗い室内を見渡し、チェリーが指さす方のベッドへクラーラを横たえた。



「チェリー、厨房から水を持ってこれるか? クラーラに飲ませてやりたい」

「分かった! 待ってて!」



 元気よく返事をしたチェリーが、駆けて行く。

 エアハルトは目を閉じているクラーラを振り返った。

 

「クラーラ、灯りをつけようか?」

「お願いします。サイドテーブルに、小さなロウソクがあるはずです」

 

 少し頭を持ち上げたクラーラが、薄く目を開けてそちらを指さす。

 しかし、エアハルトの視線は、指の先ではなくクラーラの瞳に注がれた。

 外は明るいが、窓のない寝室は薄暗がりが広がる。

 そんな中で輝くのは、橙色の星だった。



「それは……王家の星?」

「っ……!」



 息を飲んだクラーラが慌てて掌で目を隠すが、もう遅い。

 夜には見られないよう気を付けていたが、今は体調の悪さもあって油断していた。

 クラーラの心臓が、ばくばくと嫌な音を立てる。



「なぜ、それがクラーラに……?」

「エアハルトお兄ちゃん、持ってきたよ!」



 エアハルトの追求を妨げるかのごとく、チェリーがグラスを掲げて戻って来た。

 それを受け取ったエアハルトは、顔を伏せて縮こまっているクラーラの背に腕を回す。



「さあ、水を飲んで。そしてゆっくり休むんだ」

「エアハルトさん……私」

「今は何も考えずに、気分を落ち着けたほうがいい」

 

 エアハルトは詮索しなかった。

 クラーラはそれをありがたく思い、一口だけ水を飲むと、気を失うように倒れた。

 力の抜けた体をエアハルトがゆっくり横たえてやると、チェリーが小声で訊ねてくる。



「クラーラお姉ちゃん、大丈夫そう?」

「ちょっと疲れただけだと思う。院長は留守みたいだね?」

「大きな教会のお手伝いに行ってるの。もうすぐ帰ってくるよ」

「そうか、それまで俺が留守を預かろう」

「一緒に遊んでくれるの?」



 はしゃぐチェリーと手を繋ぎ、エアハルトは寝室から出る。

 扉を閉める前に、もう一度だけクラーラを振り返った。



(あれは俺の見間違いじゃないよな? オルコット王国の王族だけが持つという、青い瞳の中に輝く橙色の星――)



 オルコット王国に腰を据えると決めてから、フリッツと共に学んだ教養の中にその情報はあった。

 

(クラーラが身分を隠して、修道院にいるのだとしたら――)



 なにか深い事情があるのだろう。

 エアハルトは、音を立てないように扉を閉めた。



(他人の俺が、軽々しく立ち入っていい問題ではないな。いつかクラーラから、打ち明けてもらえると嬉しい)



 だが今はその時ではない。

 エアハルトはチェリーたちと一緒に前庭で遊びながら、ドリスの帰りを待った。

 おそらくドリスは事情を知っていて、クラーラを匿っているのだろう。

 だからせめて一言、エアハルトは伝えたかった。



(これからは、俺もクラーラを護りたい。事情や立場に関わらず――クラーラの味方になる)



 まずは信用してもらえるに値する男であると、ドリスに証明しなくてはならないだろう。



(いざとなれば、故郷に残した権力も惜しみなく使って、クラーラの安全を確保しよう)



 確固たる決意をするエアハルトが、帰ってきたドリスを迎えるのはまもなくだった。

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