61話 もう一人の銀髪
少し時がさかのぼって、カーサス王国では――外務大臣が主催するパーティが、華やかに幕を開けていた。
「エバ、私は外務大臣との挨拶があるから、少しだけここで待っていてくれ」
「分かってるわよォ。まだレオさまも来てないし、大人しくしてるわァ」
次々と訪れる招待客に、外務大臣がそつなく話をふっている。
さすが交渉の専門家だと、ホセは感心し、自分もその輪に入っていった。
「やあ、ホセ卿、よく来てくれた。君に、私の娘を紹介したくてね。ほら、この子なんだ」
外務大臣にはあまり似ていない、可愛らしい令嬢に微笑みかけられ、ホセの心は舞い上がる。
女性慣れしていないホセが、緊張しながら挨拶をかわす内に、外務大臣は別の人のところへ行ってしまった。
二人きりにされて、なんとか場を繋がなければ、と必死に話していると、入り口の方がわっと盛り上がる。
「レオナルド殿下のお出ましですわ。やはり……グラナド侯爵令嬢をエスコートされてますわね」
目の前の令嬢が、少しだけ眉を下げる。
そこでホセは気がついた。
パーティの主催者である外務大臣は、レオナルドがエスコートする相手が誰なのか、招待状の返事を受け取った段階で誰よりも早く分かったはずだ。
だから王家との縁繋ぎを諦め、次に爵位の高い公爵令息のホセに、真っ先に娘を会わせたのだろう。
(エバの言った通りだった……レオナルド殿下の婚約者が決まらないと、私たちの年代は見合いすら難しい)
エバを思い出したホセは、その挙動を確認するべく視線を巡らせ、ハッと目を見開き驚愕する。
約束した場所から、エバの姿が忽然と消えていた。
(どこへ行った? まさか一人で、レオナルド殿下に近づいたのでは――)
せっかく仲良くなれそうだったが、令嬢に謝罪してエバを探す。
(何もするんじゃないぞ、エバ!)
気が気ではないホセを尻目に、エバは人混みをかき分け、レオナルドへと向かっていた。
ただし、その頭には銀髪のかつらを被り、大人しい色味のドレスを着ているため、すれ違う者は誰もエバだと気づかない。
「レオさまの隣は、私の場所なのにィ……なんであの女がいるのよォ!」
◇◆◇◆
「ファビオラ嬢、まずは一曲目を踊ろうか」
「よろしくお願いします」
レオナルドが差し出す手に、ファビオラは己の手を重ねる。
「私たちのダンスが終わったら、爵位の高い順に、向こうから挨拶にくるはずだ。分かり易い仕組みだろう?」
ファビオラを優雅にホールの中央へと導くと、レオナルドが耳元に唇を寄せてくる。
「二曲続けたいところだが、まだファビオラ嬢は僕の婚約者ではないからね。残念だよ」
「……っ」
返答に困っているファビオラを見て、レオナルドがくすりと笑う。
どうやら機嫌は悪くないらしい。
レオナルドとファビオラがホールドを組むと、音楽が流れ始めた。
リズムにあわせて、ステップを踏み出す。
紳士科に通っていたレオナルドは、さすがダンスが上手い。
華麗にファビオラをリードをしながら、軽口を叩く余裕もある。
「ファビオラ嬢は、どんな色のドレスも着こなしてしまうけれど、今の色が一番よく似合っているよ」
「……光栄です」
ひそひそと話す二人の姿は、遠目からは仲の良い恋人のように見えるだろう。
ファビオラはヨアヒムの婚約者だが、お披露目もしていないカーサス王国では、それを知る者は少ない。
加えてファビオラのドレスは、あからさまにレオナルドの色をしている。
豪奢な宝飾品と合わせて、どれだけの寵愛が注がれているのか、一目で分かるというものだ。
そんな空気感に、レオナルドの調子は上がっていく。
「神様が愛してしまうのも、仕方がないね。こんなに美しいのだから」
ダンスに合わせて翻るファビオラの銀髪を、レオナルドはうっとりと眺める。
今にも髪房に口づけされそうで、ファビオラの背中には冷や汗が流れた。
(このままでは駄目だわ。いつかみたいに、外堀を埋められてしまう)
少しでもレオナルドの気を反らそうと、ファビオラは違う話題をふってみた。
「この会場内にも、銀髪の方がいらっしゃいましたわ。先ほど、ちらりと人垣の間に見えたんです」
「珍しいね。でもどんな銀髪よりも、ファビオラ嬢の銀髪が素晴らしいよ」
ファビオラの作戦はあえなく失敗した。
そして曲が終わるまで、怒涛のレオナルドの賛辞を、浴び続けるはめになるのだった。
◇◆◇◆
「ファビオラ嬢、申し訳ないが少し離れる」
べったりだったレオナルドが、そう断ってファビオラを残し、外務大臣と一緒に別の集団へと加わった。
それは西方の砂漠の国から招待された人々のようで、身にまとう衣装が独特だった。
透け感のある薄い生地に、金色の刺繍糸が多く使われていて、カーサス王国にもヘルグレーン帝国にもない煌めきに、ファビオラは商人として目を輝かせる。
(異国情緒あふれるというのは、こういうことを言うのね。旅をしたわけでもないのに、旅をしたような気分になるわ!)
もし自分があの生地を販売するならどう手掛けるか、そんなことを真剣に考えていたファビオラに、誰かが後ろからトンとぶつかった。
「す、すみませェん! ドレスに飲み物がかかってしまったわァ!」
振り向くと、紺色のドレスを着た銀髪の令嬢が、ファビオラに頭を下げている。
どうやら手に持っていたグラスの中の赤ワインを、零してしまったらしい。
ピンク色をしたファビオラのドレスの裾が、一部分だけ変色していた。
「私のドレスは目立たないからいいけど、あなたのは駄目ねェ。メイドを呼んで来るから、こちらの休憩室で待っていてくださるゥ?」
いつもだったら気にしないと答えるが、これはレオナルドからの贈り物だ。
少しでも早く、染み抜きをした方がいい。
ファビオラが休憩室へ入ると、その令嬢はすぐに戻ると言い残し立ち去った。
「せっかくだから、座って待っていましょう」
ずっと立っていたので、そろそろ休みたかった。
ファビオラがソファのある窓辺に移動すると、そこには――。
「シトリンさん?」
「ファビオラさん!?」
懐かしい学友の顔があった。
二人は駆け寄って、手を繋ぐ。
「まさか、このパーティで会えるなんて、思ってもいなかったわ!」
卒業式を欠席したファビオラは、シトリンに直接、感謝を伝えられなかった。
淑女科から商科へ異例の移動をして、それでも楽しく学校生活を送れたのは、隣にシトリンの存在があったからだ。
「ずっと、シトリンさんにありがとうを言いたかったのよ」
「それなら私の方こそ、ファビオラさんにお礼をしたくて――」
ソファに並んで腰かけると、これまでの別離を埋めるように、おしゃべりに花を咲かせた。
「私のお見合い相手を、覚えていますか?」
「どこかの豪商の次男だったわよね」
「あれから彼は、両親の商会を辞めて、独立したんです。その後、僅か1年で男爵位が買えるほどの財を築いて、奥さまの遺族へそれを賠償金として支払い、真摯に謝罪をしました。そして、改めて私に求婚してくれたんです」
「っ……!? もしかして、モニカの案を採用したの!?」
モニカの案とは、シトリンを想って身を引いた男性に、『1年だけ待つわ』と猶予を与えて、シトリンを得るための努力をするかどうか、本気度を見るというシビアなものだった。
そこで男性が諦めて何もしなければ、シトリンの恋心も自然と冷めるだろうと、恋の先達モニカは言っていた。
「彼の頑張りと奥さまの遺族への誠実な対応に、私の両親も婚約を認めてくれて……来年には結婚するんです」
「おめでとう! シトリンさんの想いが通じたのね!」
嬉しくて、ファビオラの目には温かい涙が浮かぶ。
シトリンがどれだけ心を痛めて泣いたか、知っているからなおさらだ。
「式の招待状を出したら、ファビオラさんは来てくれますか?」
「もちろんよ!」
来年まで生き延びる。
改めてファビオラは自分に誓った。
「今夜のパーティには、その彼と一緒に来たの?」
「はい。今は商談に入ってて、外務大臣と一緒にいると思います」
「もしかして、砂漠の国の人たちは関係者?」
「そうです! その国から輸入した品物を販売していて、彼はキャラバンの隊長を紹介するために――」
シトリンの話を頷きながら聞いていたファビオラだったが、ふと異変に気づく。
(なんだか、焦げ臭い? 『七色の夢商会』が放火されたときと、同じ匂いがするわ)
すん、と鼻を鳴らして、ファビオラが辺りをうかがう。
話に夢中になっていて耳に入らなかったが、パチパチと火が爆ぜる音もした。
「大変! シトリンさん、火事よ!」
ファビオラは立ち上がると、火の元を探す。
休憩室はパーティ会場と違って薄暗かったので、すぐには分からなかった。
「ファビオラさん、あのカーテンが燃えてます!」
シトリンが指さした方を見ると、カーテンの下に手燭が落ちていて、そこから火が燃え移っていた。
ファビオラはシトリンを促し、出口へ向かう。
「すぐにこの部屋から出ましょう。そして屋敷の人に、火事だと知らせなければ!」
「っ……! 扉に、鍵が……!」
シトリンが取っ手を押したり引いたりしている。
しかし、頑丈な扉は無情にも開かない。
ファビオラとシトリンは、休憩室に閉じ込められてしまった。