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45話 男の子の正体

「その、私の案なのだが……ファビオラ嬢が王太子と婚約しなくていいように……先んじて婚約をしてしまうのはどうだろうか」

「それも考えたのですが、王太子殿下ほどの身分の方に横やりを入れられたら、結局はどんな婚約も解消せざるを得なくなるのです」

「婚約する相手が、王太子と同等以上の地位にあれば、邪魔はされない。私は……まだ第二皇子だが、なるべく早く皇太子になるつもりがある」

「っ……!」



 その台詞に息を飲んだファビオラに、慌ててヨアヒムが付け加える。



「ずっとじゃなくていい。ファビオラ嬢も、20歳になるまでと言っていただろう? それまでの間、私との婚約を口実にしたらどうかと――」

「いいところでヘタれたわ!」



 見守っていたウルスラが、両手で顔を覆い、がっかりした声を出す。



「押しが弱いところは……ロルフ似ね」



 脳内でファンファーレが鳴り響いていたファビオラだったが、得心する。

 ヨアヒムの発言を引き出そうとして、ウルスラはわざと粗の残る案を提示したのだ。



(恐ろしい策士だわ)



 ヨアヒムから婚約の話が持ち出され、舞い上がっていたファビオラだったが、ウルスラのおかげで少し冷静さを取り戻した。

 この案には難点があるのだ。

 ファビオラはそれをヨアヒムへ説く。

 

「ありがたい申し出ですが……ヨアヒムさまには、意中の方はいらっしゃらないのでしょうか? または今後、婚約者に据えたいと思う方は? もしいらっしゃるのなら、私が一時でもその座に収まるのはよくありません。きっと先方は、気を悪くされるでしょうから」



 ファビオラが辞退の構えを見せたので、ウルスラの口角が持ち上がる。

 それは美味しい餌にすぐには飛びつかない、賢い者を褒める笑みだった。

 さて、そんな堅牢なファビオラをヨアヒムがどう説得するのか、ウルスラは高みの見物を決める。

 だがお互いの本音と建て前の間で、逼迫している二人はそれに気づかない。



「……意中の人は、いるにはいるのだが……」



 ボソリと呟かれたヨアヒムの小さな声に、ファビオラの胸がぎゅっと絞られる。

 ヨアヒムは19歳だ。

 その齢までに、誰との出会いもなかったとは思えない。

 耳の奥がキーンとして、視界には靄がかかる。

 だがそのショックを、ファビオラは隠し通した。

 

「ファビオラ嬢が婚約者になったとしても、彼女は何も言わないと思う」

 

 ヨアヒムの言葉がすんなりと飲み込めない。

 それはどういう意味だろう。

 あり得ないとは思うが、ヨアヒムがその女性から相手にされていないのか。



「なんにせよ、これは仮初の婚約で、ファビオラ嬢が20歳になれば解消する。私が正式に婚約を申し込むのはそれ以降になるから、安心して欲しい」



 ヨアヒムが心から想う相手には、ファビオラとの婚約が本物ではなかったと、説明するつもりなのだろう。

 それで許してくれるような、寛容な令嬢なのだと想像する。

 ちりちりと焦げる心を無視して、ファビオラの冷静な部分が思考を始めた。



(私が真っ先に思いついた案を、ヨアヒムさまも検討してくれた)



 これが最も、ファビオラを強固に護れる策ではあるのだ。

 カーサス王国の王太子に対抗できる人物は、どうしても限られてしまう。

 しかし、ヨアヒムになんのメリットもなくて、ファビオラは早々に諦めていた。

 

(それなのに、ヨアヒムさま側から提案してくれた。本当に……優しい人なんだわ)



 一切の感情を排するのは難しい。

 ときめいたり萎れたり忙しい心へ、ファビオラは檄を飛ばした。

 与えられてばかりではいけない。



「私からは、どのような対価を支払えばよろしいでしょうか?」



 ヨアヒムの婚約者の座を借りて、ファビオラの身の安全を確保するのだ。

 何かしらの代償を求められて当然だ。

 毅然としたファビオラの発言に、ヨアヒムは目を瞬かせ、ウルスラはこらえきれず笑い出した。

 

「これはヨアヒムがいけないわ。ファビオラさんがすっかり、算盤をはじく商人の顔になっているじゃないの」

 

 今度はファビオラがきょとんとした顔になる。



「契約ごとを締結するにあたっては、公平な条件になるよう、両方の利を擦り合わせるのが――」



 商科で学んだ原則を口にするファビオラへ、ウルスラが何度も頷いて理解を示す。



「ファビオラさんはきっと、商科での学業成績もいいのね。……ヨアヒムはもっと勉強しなさい」



 声には出ていなかったが、「女心を」と付け加えられた気がして、ヨアヒムは意気消沈する。

 その埋め合わせをするように、ウルスラが口を挟んだ。



「ヨアヒムの婚約者になれば、皇子妃教育の名のもと堂々と皇城へと通えるし、侍女とは別の角度からヘルグレーン帝国の中枢を窺い知れるわ。そうね……ファビオラさんはそこで掴んだ情報を、私たちにも共有してもらえる?」



 ウルスラやヨアヒムが探れない第一皇子派の状況を、ファビオラが提供する。

 それならば両方に利がある。

 

「対価に値するだけの情報を集められるよう、善処します」

「危険なことはしなくていい」



 真剣な顔で頷くファビオラを、ヨアヒムが止める。



「ファビオラ嬢が思っているよりも、両家の対立は激しい。あまり深く首を突っ込むのは――」

「エルゲラ辺境伯領を護るためです。国境に接するあの町の平和が、私の願いなのです」

 

 あの町、とファビオラが強調したことで、ヨアヒムも気づく。

 もし、ヘルグレーン帝国がカーサス王国に攻め込むならば、あの町ほど適した土地はない。

 ヨアヒムとファビオラとアダンが、『朱金の少年少女探偵団』になりきって遊んだ、穏やかな時間が流れる自然豊かな町。

 兵士の数は少なく、のんびりとした領民と牛ばかりで、さらには大きな街道が両国を繋ぐ。

 しかし、そんな町だからこそヨアヒムは襲撃され、ファビオラとアダンは巻き込まれた。

 ヨアヒムの麗しい眉間に、皺が寄る。

 

(国境に接するあの町と言っただけで、ヨアヒムさまに通じた。やはり、オーズ役の男の子の正体は――)



 ウルスラの髪色を見たときから、そうではないかと疑っていた。

 ファビオラはいよいよ確信する。

 そこへ熟考していたヨアヒムが口を開いた。

 

「ファビオラ嬢、私が今まで婚約者を決めなかったのは、その立場が危険だからだ」

「分かっています」

「だから……この鍵を貴女へ渡す」

「ヨアヒム、それは……!」



 ウルスラが止めようとしたが、ヨアヒムの決意は固い。

 ファビオラの手に、鈍く光る鍵を握らせた。



「この鍵で、皇城内にある全ての隠し通路の扉が開く。その身に危険が迫ったときは、これを使って逃げて欲しい」

「隠し通路……」

「あいにく地図がないから、ひとつひとつ場所を教える」

「それって、私が知っては駄目なのでは……?」



 ファビオラはウルスラを見る。

 だが、そこには諦念した顔しかない。

 ため息をつきながらウルスラが説明する。



「……その鍵は、王族一人につき一本しか製造されていない、特殊な鍵なの。つまり、ファビオラさんにそれを渡したヨアヒムは、何かあっても隠し通路には逃げられない」

「っ……!」

 

 ファビオラは慌てて鍵を返そうとする。

 だが、ヨアヒムは首を横に振った。



「その鍵を持つことが、私からの条件だ。母上の専属の侍女になるにしろ、私の婚約者になるにしろ、皇城を歩くだけで危険がつきまとう。ファビオラ嬢の身を護るには、これくらいではまだ足りないが――」

「待ってください!」



 シャミみたいだと、ワクワクしていた自分をファビオラは叱る。

 そのせいでヨアヒムに、とんでもない決断をさせてしまった。



「これは私の意思でしていること、つまり責任の所在も私です。ヨアヒムさまが負うべきことでは……」

「それを言うならば、この行動も私の意思だ」



 ヨアヒムに強く言い切られて、ファビオラは二の句が継げない。



「ファビオラ嬢に何かあっては、我が身以上につらい」



 襲い来る矢からファビオラとアダンを護ろうと、覆いかぶさってきた男の子の姿が脳裏を過る。

 

(ヨアヒムさまが自分の身を盾にするのは、昔からだったわ)



 どちらの立場が上だとか、関係ないのだ。

 ヨアヒムは誰かが傷つくのが、心底嫌なのだろう。



(誰にでも優しい。それがヨアヒムさまなのね)



 そんな人が愛する女性をどれだけ大切にするか、考えなくても分かってしまう。

 うらやましい、と思ってしまったファビオラは、自分の卑しさを恥じた。

 

「ファビオラさん、ここはヨアヒムの想いを、受け取ってもらえないかしら。隠し通路が使えるならば、より偵察は楽になるわ。ヨアヒムの婚約者として皇城へ上がり、侍女に扮して情報の収集をする。一人二役の活躍だって出来るでしょう」



 ウルスラの意見はもっともだ。

 ファビオラは鍵を握りしめると、頭を下げた。



「私が20歳を迎えるまで、どうぞよろしくお願いします」

「決まりね。詳細はあとで詰めるとして、まずは祝いましょう」



 ウルスラの合図で配られた酒杯を掲げ、有志の結成を慶んだ。

 しかし、あまり酒に慣れていないファビオラが、度数の高いヘルグレーン帝国の酒を一口飲んで目を回してしまったために、晩餐はすぐにお開きとなる。

 ファビオラを横抱きにしたヨアヒムが、真っ青な顔をして医務室へ駆け込む姿が、次の日の皇城内で噂になったのは言うまでもなかった。

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