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46話 将来の皇子妃

 あの晩餐の日から、ファビオラは皇城へ足繁く通っていた。

 その名目は、ウルスラから将来の皇子妃としての教育を受けるため、となっている。



「どうぞ、お通りください」

 

 皇城の門番たちも、慣れたものだ。

 ファビオラがヨアヒムと婚約した件は、ヘルグレーン帝国では公に告知された。

 知らなかったが、ヨアヒムの婚約者の決定権はウルスラにあり、皇帝の裁可を必要としなかったのだ。

 それより先にカーサス王国へは早馬を送り、両親やアダンに、これは契約による婚約だと伝えて了承をもらっている。



「ルビーさんへの仕事の引き継ぎも、もうすぐ終わるわ。そうしたら、ヨアヒムさまに言われたように、皇城へ居を移してもいいかもしれないわね」



 商都から皇都へ、さらにはその中心の皇城へ。

 馬車で数時間はかかる。

 今のままではファビオラの負担が大きいと、ヨアヒムが提案してくれた。



「だけど用意してくれるのが、第二皇子妃の部屋なのはどうなの?」



 護りやすいから、との理由で、バートにヨアヒムの隣部屋を指定された。

 だが皇子と皇子妃の部屋は、中で繋がっている。



「いくら間に扉があるとは言え、婚姻前の男女が、隣り合ってもいいものかしら?」

 

 カーサス王国とヘルグレーン帝国では、その辺りの規律が違うのかもしれない。

 悩んでいる内に、ファビオラの乗った馬車は玄関口へ辿り着いた。

 ここからは案内人の後について歩き、ウルスラの執務室へと向かうのが流れだ。



 しかし、赤い絨毯の敷いてある場所の手前で、ファビオラはいつも何かしらの誹謗中傷を受けていた。



「ご覧になって、あの方よ!」

「他国人なのに、堂々として何様かしら」

「貴族にも関わらず働いていて、お金を稼いでいるのでしょう?」

「平民みたいで、みっともないわね!」

「どうしてヨアヒムさまは、あんな人を……」



 今日のファビオラを出迎えてくれたのは、憤慨したり悲嘆したりしている、数多くの令嬢たちだった。

 聞かせるつもりのヒソヒソ声からは、婚約者となったファビオラへの敵愾心がうかがえる。



(ヨアヒムさまに好意がある令嬢たちね。赤公爵家やそれに連なる一族と、縁繋がりになりたい家門のようだわ)



 先日の貴婦人の集団とは、種類が違う。



(あの貴婦人たちは、明らかに青公爵家に連なる一族の出身だった)



 それぞれが異なる青色のドレスをまとい、扇で口元を隠して、登城するファビオラを待ち構えていた。

 ファビオラの頭のてっぺんから足の先まで、全身をジロジロ見て頷き合うと、冷笑しながら去っていったのだ。

 すれ違いざまに囁かれたのは――。



『側妃の目は節穴のようね』

『レベルが低いこと』

『これなら誰の娘がマティアスさまに選ばれても、敗けることは無いわ』

 

 ――強烈な感想だった。

 

(あの一団は、正妃殿下の取り巻きなのかもしれない)



 年齢的にも、ファビオラの母親世代にあたる。

 自分たちの娘をマティアスの婚約者に、と狙っているのだろう。



(第一皇子殿下に婚約者がいないのは、ヨアヒムさまとは全く別の理由だと聞いたわ)



 マティアスには婚約者候補となる令嬢が、大勢いるのだそうだ。

 その中からひとりに絞れないのは、マティアスの女癖の悪さのせいだった。



(体の相性を確かめたがるって、本当かしら?)



 戒律の厳しいカーサス王国では、信じられないことだ。



(でもヘルグレーン帝国は多神教だから、それを許している神様がいるのかも?)



 まだまだファビオラは、ヘルグレーン帝国での滞在歴が浅い。

 学ばねばならないことは、たくさんありそうだった。



 ◇◆◇◆

 

「失礼いたします」



 小さく声をかけて、妨げにならないよう、そっと入室する。

 ファビオラが到着する時間帯は、ウルスラの執務中であることが多い。

 今日も机の上には、紙の束が積み重なっていた。

 それらに対して、ウルスラは赤いインクをつけたペンを、豪快に走らせている。



「まったくもって馬鹿らしいわね。こんな申請、私が通すはずがないのに」

「ウルスラさまのお手を煩わせるのが、相手の作戦かもしれませんよ」



 ウルスラと秘書官が、書類をさばきながら声をかけあっている。

 それが一段落つくまで、ファビオラはお茶をいただきながら待つ。

 ウルスラたちの話す内容から察するに、第一皇子派の大臣たちから、碌でもない訴えが届いているらしい。

 

「どれもこれも、自分たちに有利なものばかり。大臣の半分がこれじゃ、ロルフが言いくるめられるのも納得だわ」

「みな老獪で、口先だけは達者ですからね」



 ここで拾った言葉の端々を繋ぎ合わせることで、ファビオラにも、皇帝ロルフと側妃ウルスラの本当の関係が見えた。



(お二人は衝突ばかりしているという噂だったけれど、違うわ。自分に自信のない弱気な皇帝陛下を叱咤して、影でウルスラさまが支えているのよ)

 

 ウルスラが修正を入れた書類は、次々とロルフのもとへ届けられる。

 そうしてしばらく待つと、ようやくウルスラが休憩に入った。



「待たせたわね、ファビオラさん。それじゃ、先週の成果を聞かせてくれる?」



 ウルスラはファビオラの対面のソファへ腰かけ、侍女からお茶を受け取る。

 それを飲み終わるまでが、ファビオラの報告の時間だ。

 ファビオラは整理してきた内容を述べる。



「第一皇子殿下と『雷の鎚』の親方が、衝突している場面を目撃しました」



 ウルスラの専属侍女へ扮したファビオラは、用事がある振りをして城内を歩き回っていた。

 そして中庭に面した回廊で、ハネス親方を見かける。

 誰かを待っている風だったので、ファビオラはそばの柱の影に隠れた。

 おそらく相手は、マティアスだろうと予想をつけたのだ。



 ――それは的中した。



「支払いがない限り装備品は渡せない、と繰り返す親方に対して、第一皇子殿下はこう言ったのです」



 激高していたが、ハネス親方のつくる武器や防具は欲しいのだろう。

 大きな声でマティアスは主張した。

 

『来月には金が届く!』



 ハッと口を押さえ、辺りを気にし始めたので、それ以降のマティアスたちの会話は聞き取れなかった。

 だが、十分な情報だったと思う。



「意味深ね」



 ウルスラが思考を巡らせ始めた。

 ファビオラもマティアスの言葉について、散々検討した。

 

「来月……届く……マティアスは誰かから、お金を受け取っているのね」

「私もそう思いました」

「正直、ヘッダが出していると想定していたけれど、違うみたいだわ」

「青公爵家でもないでしょう」



 それならば、必要なときに必要なだけ、届けてもらえるだろう。

 青公爵にとって、マティアスは孫にあたる。

 公務に対する不真面目な態度を怒っていたが、それは愛情がある証だ。

 マティアスが金に困っていると言えば、放置するはずもない。



「マティアスを皇太子にしたい貴族、もしくは取り入りたい裕福な平民が、定期的に出資しているのかもしれないわね」

「その次のタイミングが、来月ということですよね」



 来月はマティアスの周辺を、重点的に探るべきか。

 ファビオラが計画を立てていると、ウルスラがソーサーをテーブルに戻した。

 休憩が終わった合図だ。



「ファビオラさん、今日は皇子妃教育をするわ。侍女になるのは、また今度ね」

「分かりました」



 ウルスラの予定にもよるが、ファビオラは通常の皇子妃教育も受けている。

 それは今後、パーティやお茶会へ参加する機会があるからだ。

 なんの前情報もなしに乗り込んで、やり過ごせるような温い場ではない。

 そのための知識武装を、ウルスラがファビオラへ施してくれている。



「私たち赤公爵家とそれに連なる一族の、略歴は覚えたかしら?」



 先週、分厚い系譜を手渡され、なるべく頭に入れておくようにと言われた。

 ファビオラは、『赤公爵家とそれに連なる一族』という物語の登場人物として、それらを記憶してきた。

 この方法だと忘れないのだ。

 いくつかウルスラからの出題に答えてみせると、ファビオラは合格をもらう。



「完璧ね。私やヨアヒムがいない場所で、助けが欲しいときに頼りなさい」



 ファビオラが返却した系譜の上に、ウルスラが手を置いた。

 長きにわたり、脈々と受け継がれた血筋だ。

 その結束は固い。



「さて、今日はこちらよ。もう分かっていると思うけれど、青公爵家とそれに連なる一族の系譜よ」



 赤公爵家に劣らず分厚い。

 ファビオラはそれを両手で受け取った。



「パーティやお茶会で、ファビオラさんはしつこく絡まれると思うわ。なるべく避けて、相手にしないようにね」



 すでに登城の途中で絡まれたと、伝えた方がいいだろうか。

 思案したファビオラを見透かすように、ウルスラが笑う。



「城内で通りすがりに嫌味を言うくらいなら、見逃していいわ。あんなものは、小鳥のさえずりだから」

「っ……分かりました」



 いつの間に把握されていたのか。

 ファビオラがびっくりしていると、ウルスラの執務室をヨアヒムが訪ねた。



「母上、ファビオラ嬢は来ていますか?」

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