43話 雲隠れしたい訳
「ヨアヒムさま、ご足労いただき、ありがとうございます」
約束した時間通り、ヨアヒムが『七色の夢商会』の店舗を訪れた。
今日は旅装姿で、お供をしているバートも、同じくローブをまとっている。
ファビオラは応接室に二人を迎え入れ、ソファに腰かけてもらうと、まずは丁重にもてなした。
「相談内容は、複雑だと言っていたね」
ファビオラが手ずから淹れたお茶を、ゆっくりと飲んだ後にヨアヒムが切り出す。
「私事で、お恥ずかしいのですが……ヘルグレーン帝国の方に助けてもらいたくて」
「カーサス王国の侯爵令嬢という身分があっても、解決が難しい問題ということか」
ヨアヒムが、考え込む。
その真剣な様子に、ファビオラは相談を続けた。
「私は現在、カーサス王国の学校に通っている途中で、長期休暇の間だけ、ヘルグレーン帝国に滞在しています。そして今年度末で、卒業する予定なのですが……」
そこで、ひとつの区切りを置いた。
ヨアヒムにとっては知っている内容だったので、頷いて先を促す。
「しばらくの間、ヘルグレーン帝国に身をひそめたいのです。……できたら20歳になるまで」
「それは、学校を卒業してから?」
「そうだったら良かったんですけど……」
アダンが言うには、レオナルドが動くのは、この長期休暇中だ。
卒業式には出席したかったが、諦めなくてはならない。
「やむを得ない事情があって、できれば今からでも」
もどかしい言い方になってしまうが、何と説明したらいいのか分からない。
これではヨアヒムにも、正しく伝わらないだろう。
「好きなだけ滞在したらいいと思うのだが、それでは解決しないのだな?」
だがヨアヒムは、言葉少ない中から、ファビオラの状況を読み取ってくれる。
嬉しくて、ファビオラはこくこくと首を縦に振った。
「ヘルグレーン帝国に留まる、何らかの理由が必要なのか」
腕組みをしたヨアヒムの隣で、バートも一緒に考えてくれている。
ファビオラは自分で思いついた案を言ってみる。
「仮病を使うのはどうでしょうか。感染するから病室に閉じ込めておくしかない、という理由で――」
「なんだか物騒ですね。侯爵令嬢として、それはありなんですか?」
驚いたバートが口をはさむ。
重大な病気にかかった令嬢には、悪い噂がつきまとう。
それを考慮しての意見だろう。
だが、ファビオラの前にヨアヒムが否定した。
「それだけの瑕疵があってもいいから、帰りたくないのだろう。……もしかして誰かが、連れ戻しにくるかもしれないのか?」
閉じ込めておくという強硬な手段に、ヨアヒムがそう推測する。
レオナルドの執着の深さを知っているファビオラは、その可能性を否定できない。
「なるほど、拘束レベルの理由が必要なのか。侯爵令嬢であるファビオラ嬢が拒めない相手で、私であれば何とかなるかもしれない相手……つまり、カーサス王国の公爵家か、または王家か」
ファビオラは鋭いヨアヒムに目を見開く。
黙っていても、レオナルドに辿り着いてしまいそうだ。
「そうまでして、呼び戻したい理由は何だろう?」
「ファビオラ嬢もお年頃ですからね。婚約とか、そっち方面じゃないんですか?」
バートも的確だ。
この主従の前では、隠し事など出来ないのではないか。
観念したファビオラは、早々に白旗を揚げる。
「その通りです。王家からの婚約の申し込みを、受けたくなくて……」
場が静まり返った。
時が止まってしまったヨアヒムと、そんな主を横目で見ているバート。
もじもじしながら、ファビオラは現況を打ち明ける。
「カーサス王国の王太子殿下から、ずっと贈り物が届くんです。お茶会やパーティへの招待状も、連日のように送られてきます。でも私は、嫌なんです」
「王家からの打診を断り続けるのは、侯爵家には荷が重いだろう」
「両親は頑張ってくれてますが、それにも限界があるでしょう」
それは身分差がある以上、仕方のないことだ。
命じられたら、臣下として逆らえない。
ファビオラは両親を、危ない目には合わせたくなかった。
「だから雲隠れしたい訳か」
「王太子殿下の婚約者候補に選ばれるのは、名誉なことだとは分かっています」
ただし、それに気持ちが追い付かない。
予知夢の中の恐怖は、相変わらずファビオラを襲う。
震える指先を握りしめる様子を、ヨアヒムはじっと見つめた。
「私の母上が、ファビオラ嬢との晩餐を希望している。よければ、場を設けさせてもらいたい」
ヨアヒムからの唐突な申し出だったが、これまでの話と無関係とは思えない。
「私は構いません。夜ならば仕事も、あらかた終わっているでしょうし」
「母上は側妃だが、権力に関してはヘルグレーン帝国の第三位だ。なんらかの解決策を、もたらしてくれると思う」
「っ……! ありがとうございます」
言うなれば、側妃であるウルスラの立場は、第二皇子のヨアヒムよりも上だ。
よりレオナルドに対抗できる手立てとして、顔合わせをさせてくれるのかもしれない。
ファビオラはヨアヒムの提案に感謝した。
「あまりにも突然の相談だったのに、親切に対応していただいて――」
「畏まらなくていい。助けになりたいと言ったはずだ」
ヨアヒムの赤い瞳に見つめられ、ファビオラの心臓が跳ねる。、
「母上の名前で、晩餐の招待状が届くだろう。当日はこちらから馬車を向かわせるから、準備をして待っていて欲しい」
「分かりました」
話し合いが終わり、ヨアヒムとバートが立ち上がる。
二人が帰るのを見送るため、ファビオラが扉を開けようとすると、さっと隣にバートが寄った。
そして取っ手を握り、細く開けた隙間から外を検めて、ゆっくり扉を開いた。
勝手をしてごめんね、とバートが謝る。
「うちのヨアヒムさまは大人気だから、警戒しないといけないんです。決して、商会の人を疑っている訳じゃないから――」
「大丈夫です。皇位継承争いについては、私も存じております」
ファビオラがそう返したとき、ヨアヒムが右肩を手で押さえた。
なんとなく、その位置にあるものをファビオラが想像していると、唐突にバートから質問をされる。
「ヨアヒムさまは面と向かって聞けないと思うから、俺がファビオラ嬢に聞いていいですか?」
「何でしょうか?」
「よせ、何を言う気だ」
ヨアヒムがよく動くバートの口を塞ごうとするが、それよりも前に言い放つ。
「あの恋物語は、読み終えましたか?」
「ええ、最後まで読みました。……大人の恋だなって思いました」
大した質問ではなかったので、ヨアヒムが脱力する。
そしてその隙に、バートは本命の質問をぶつけた。
「ファビオラ嬢は今、誰かに好意を寄せていますか? 急に恋物語を読みだす人って、そういう人が多いのかなって思ったんですよね」
「っ……!」
「っ……!」
あの本屋で、初めて恋物語を手に取った二人が、揃って紅潮し言葉を失くす。
しかし質問されたファビオラは、答えなくてはならない。
「あ、その、好意というか、気になっている男の子はいます」
まさか、背後にいるヨアヒムに恋をしているとは言えず、咄嗟にファビオラはあの男の子を持ち出した。
「一度、少女時代に会ったきりなんですけど……ずっと忘れられなくて……今も、探しているんです」
それを聞いて、ヨアヒムは叔父イェルノの言葉を思い出す。
『その子が帰る間際に、不思議なことを尋ねてきたんだ。殿下と呼ばれる身の上で、朱金色の髪をした男の子を知っていますか、ってね』
そのときの喜びが、再びヨアヒムに込み上げる。
きっと真っ赤になっているだろう頬を隠すため、フードをばさりと被った。
そんな主の動作を目の端に留め、バートはこちらも負けず赤い顔をしているファビオラに、にこりと微笑んだ。
「見つかるといいですね」
「は、はい!」
◇◆◇◆
なぜかぎくしゃくしていたヨアヒムが去ってから、ファビオラはソファに背を預け、いつまでも火照る頬を手でパタパタと扇いだ。
「もしかしたら、ヨアヒムさまがあの男の子かもしれないのに、私ったらなんてことを口走ってしまったの!」
ヨアヒムのことを隠そうとして、あの男の子へと話をすり替えたが、すり替わっていなかった疑いがある。
「皇位継承争いの件が出たとき、ヨアヒムさまは右肩を押さえていたわ。あの男の子が、矢で貫かれたのと同じ場所を――」
ファビオラも左胸を押さえた。
そこには古い、星型の矢傷がある。
「やっぱり、ヨアヒムさまがあの男の子なのでは?」
だとしたら、ファビオラが髪を朱金色に染めれば、気づいてくれるだろうか。
そっと手のひらの上にのせた髪は、美しく光を放つ銀色だ。
「でも銀髪のおかげで、神様の恩恵を受けられたのだと思えば、このままの方がいいのかしら?」
予知夢を見たのは一度だけ。
それ以降は、いたって普通の夢ばかりだ。
「一人で考えても、堂々巡りね」
ひとまずファビオラは立ち上がり、晩餐に着ていく赤い色のドレスを選ぶことにした。