28話 調査の一環
シトリンの話を聞いてから、ファビオラは恋心について考えるようになった。
「シトリンさんの想い、素敵だったわ。真っすぐでキレイで……」
相手を思いやり、涙を流したシトリン。
その美しさは、たとえようがなかった。
「モニカだってそうだったわ。適齢期より上だからと、嬉しかったはずの告白を、一度は断って……」
身近な女性の恋の体験は、ファビオラの背中を少しだけ前に押す。
冒険譚や英雄伝記といった、男の子向けの物語を好んできたが、ここにきてムクムクと別ジャンルへの興味が湧いてきた。
「私は年頃の淑女がたしなむ、恋物語を読んだことがないわ。後学のためにも、目を通しておくべきね」
情けないことにシトリンへの助言にも、商科の教科書の内容を諳んじてしまった。
だが、おそらくグラナド侯爵家には、その手の本が無い。
パトリシアは本より馬派だし、トマスが好むのは主に歴史書だ。
「王城の図書室には、山のようにあったけれど……今あそこに近寄るのは、危険だものね」
せっかくレオナルドの挙動が落ち着いているのだ。
ファビオラが余計なことをして、藪をつつくのはよくない。
「カーサス王国にいる間は、学校もあってなかなか自由に出歩けないわ。どうせなら自分で本を選んでみたいし……」
ファビオラは長期休暇に入ったら、ヘルグレーン帝国の本屋へ行こうと決めた。
最も大きな本屋は、商都の先の王都にあったはずだ。
「こちらとは恋愛の文化が違うかもしれない。つまり、これも調査の一環よ!」
調査という言葉で、ふいにファビオラはヨアヒムを思い出す。
ヨアヒムがあの男の子の可能性はないか、何度も検討した。
「年齢が上がるにつれ、髪色が薄まったり濃くなったり、変化するのは確かなのよ」
とくに先祖に強い髪色の人がいると、その色になりやすいと聞く。
だからファビオラは、ヘルグレーン帝国の皇帝について遡って調べた。
「建国当初の皇族たちには、眩く輝く黄金色が多かったわ。第二皇子殿下の髪も、成長途中で影響を受けて変わったとしたら?」
ヨアヒムの瞳の色は、記憶にある男の子と同じく赤い。
さらには、殿下と呼ばれる身分も合致する。
「しかも赤公爵家と青公爵家は、お互いの勢力から次期皇帝を出そうと激しく争っているわ。あの襲撃だって、そのせいかもしれないじゃない」
あの男の子とヨアヒムの共通点が、どんどん出てくる。
「でも――決定打がない。第二皇子殿下と目が合った瞬間、もしかして、って感じたんだけど」
シトリンには言い切ったものの、モヤモヤしっぱなしの自分の心については、ファビオラはまるで分からなかった。
「やっぱり恋物語を読んでみよう。無学な私に、素晴らしい知見を与えてくれるはずよ!」
◇◆◇◆
「ファビオラ、少し話せるかな?」
珍しいことに、トマスがファビオラの部屋を訪れた。
どうぞと中に招き入れ、モニカに頼んでお茶を用意してもらう。
「勉強中だったのか。邪魔をして悪かったね」
トマスが机の上に出されたノートを見て、申し訳なさそうにする。
それに対して、ファビオラは首を横に振った。
「論文の題材を考えていたのですが、煮詰まっていて……ちょうど休憩しようと思っていたんです」
湯気の立つティーカップが配られると、二人は静かにお茶を飲んだ。
喉が潤ったトマスが、話を切り出す。
「先日、教えてくれた鍛冶屋の件だが――ファビオラの予想通りだった」
「やはり、開戦の準備でしたか」
「人工薪の発注が始まる前から、わずかに鉄鋼の輸入量が増えている。おそらく他国に察知されないよう、徐々に買い足していくつもりだろう」
ファビオラの予知夢の中では、あの自然豊かな町が侵略されるのは来年だ。
それまでに、なるだけ早く詳細を調べたい。
誰が、どのような目的で、いつ攻め込んで来るのか。
それがはっきり分かれば前もって、機会を潰すことも不可能ではない。
「ただし、エルゲラ辺境伯領に攻め込むつもりならば、この増産ペースでは最低でもあと5年はかかる」
「5年も!?」
想定外のトマスの言葉に、ファビオラは驚いた。
なんだかズレが大きくなっている気がする。
「発注しているのはヘルグレーン帝国ではなく、赤公爵家か青公爵家の、どちらかの家門ではないかと睨んでいる。国家規模にしては量が少ないからね」
あの町への侵略が遠のいて喜ばしいが、今度は二大公爵家による内戦の危機が持ち上がった。
考え込むファビオラに、トマスは話を続ける。
「それと忠告を受けた横領の件だが、どうもこれというのが見つからない。相手がよほど上手なのか、尻尾を捕まえられずにいる」
せっかく教えてもらったのに、すまないとトマスが頭を下げた。
ファビオラは両手を振ってそれを留める。
「お父さまが悪いのではありません! はっきりと言えない、私のせいです」
「具体的な金額は分からないのだろう?」
それが分かれば、ある程度は絞れるのだろうか。
しかし予知夢の中のファビオラも、それは知らなかった。
「私はそういった法律に詳しくないのですが、国庫から横領をした本人だけでなく、家族が連座で絞首刑になるのは、どれくらいの金額なのでしょう?」
「っ……!」
トマスがファビオラと同じ碧色の瞳を見開いた。
「それは……よほどの額だ。横領していた期間も、関係するだろうが……」
そんなにもか、とトマスが声にならない呟きを漏らす。
そしてトントンと自らの膝を指で叩き出した。
トマスの脳内で、各部門の予算表がめくられていく。
どれだけ横領したとしても、元々の予算が少なければ、たいした額にはならない。
「……目星はつけた。予算を大きく割り振っている部門にだけ、さらなる改正を施す」
「あまりに締め付けが厳しいと、お父さまの立場が悪くなりませんか?」
貴族社会では、正しいことばかりがまかり通るではない。
ある程度の社会経験を積んだファビオラだから、それが理解できた。
「私はダビドと共に、カーサス王国を護ると決めた。その意志は、学生時代から今まで、一貫して変っていない」
「頼もしいですわ」
「そちらを優先したばかりに、幼いファビオラには寂しい思いもさせてしまった。親として反省している」
予知夢について話をする内に、トマスとはずいぶん打ち解けた。
その心情を知る機会など、以前は無かったはずだ。
ファビオラは常に多忙なトマスに、なんとなく壁を感じていた。
それは母であるパトリシアについても同様だった。
(もっと話せばよかったんだわ。癇癪を起すしか知らない、幼子じゃないんだから)
予知夢の中よりも、家族仲はうんと良くなっている。
ファビオラはそれが嬉しかった。
「お父さまは、私の話をちゃんと聞いてくれます。そして私のやりたいことを、やらせてくれます。傍から見たら、おかしなことをしているのに、信頼して任せてくれて――私は十分、満たされていますよ」
べしょべしょに泣いていた小さなファビオラは、もういない。
それをどう伝えたら、分かってもらえるだろうか。
言いあぐねているとトマスが言葉を引き継ぐ。
「それはファビオラが成長したからだよ。自分よりも大切なものができたとき、人は大人になる。ファビオラが初めて『知っている』ことを話してくれたとき、何かを護ろうとしていただろう?」
それは大切な家族だったり、モニカだったり、あの自然豊かな町だったり。
「12歳にして、ファビオラは一人前になった。だからこそ、あまり重荷を抱えないで欲しい。いつでも相談に乗るし、また『知っている』ことも教えて欲しい。一緒にどうしたらいいのか、考えよう」
トマスの温かい声に、こくり、とファビオラは頷いた。
胸がいっぱいで、言葉にならなかった。
トマスと協力すれば、このまま予知夢を回避できるかもしれない。
(あの町の侵略も、連座の絞首刑も――未来から無くせる)
ぎゅうと唇を結び、ファビオラは嬉しい予感を噛みしめた。