27話 打ち明け話
「どうやらファビオラの懸念は、的を射たようだ。武器や防具の素材となる、鉄鋼の輸入量が増えている」
国王ダビドの執務室に、残っている臣下はトマスだけだ。
だから学生時代のような、砕けた話し方をしている。
しかしその内容は、気安いものではなかった。
トマスが示したヘルグレーン帝国に関する極秘資料を、ダビドが腕組みをして覗き込む。
「ふ~む、鍛冶屋が頼んだ薪の量で、開戦の準備を察知するとは……トマスの娘は優秀だな」
「嫁にはやらんぞ。ファビオラには多くの我慢を強いた。私もパトリシアも、これ以上は何の役目も押しつけたくないんだ」
「分かっておるよ。しばらくレオナルドが執心していたようだが、最近はどちらかというと姪について調べているみたいだからなあ」
「姪というと……宰相閣下のご息女エバ嬢か。二人は幼少のみぎりから、親しくしていたのだろう?」
「なにやら今さら感があるが、影を使ってまで、日々の様子を探っているらしい。従兄妹同士だから血はやや濃いものの、二人の気持ちが通い合っているなら、私はなんら反対するつもりはないよ」
ダビドもトマスも、まるで見当違いの話をしていた。
レオナルドがエバを見張っているのは、ファビオラへ危害を加えさせないためだ。
エバに仕える影と、レオナルドの使役する影が、水面下で膠着状態に入っているから、ファビオラは無事でいられる。
ファビオラを運命の相手と信じて疑っていないレオナルドは、着々と囲い込む準備を整えているのだが、それはまだダビドの与り知らぬところだった。
「ファビオラに実害がないなら、それでいい。それより武器と防具の増産体制に入った、ヘルグレーン帝国についてだが――」
再び秘密の会議を始めたダビドとトマスは、それから夜遅くまで、対ヘルグレーン帝国についての策を練った。
過熱している皇位継承争いについては、エルゲラ辺境伯であるリノからも、定期的に情報がもたらされている。
おそらく用意された武器や防具は内戦のためのものだろうが、ファビオラは国境襲来の可能性を示唆した。
「わざわざ国庫にある金を動かさずとも、私たちにもやれることはある」
「財務大臣のトマスに言われると、無駄遣いを叱られている気分になるな」
「例えば有事の際にどう動くのか、日頃から兵団訓練に組み込んでおくといい。ダビドの掛け声ひとつで、兵士たちが一致団結し、行動の統制が取れるまで慣れさせるんだ」
「それはエルゲラ辺境伯からのアドバイスか?」
「パトリシアから聞いたが、領民たちは猛者揃いだそうだ。本職の兵士が遅れを取れば、恥ずかしいぞ?」
「明日から、さっそく取り組ませる!」
可能性が低いからと侮らず、ファビオラの忠告を拾い上げ、トマスは打つ手を考えていく。
神童ともてはやされた宰相オラシオには敵わなくても、トマスもダビドの側近となるため多くの学びを得てきた。
そんなトマスも感心するくらい、ファビオラは商科で好成績を修め、そして実際に『七色の夢商会』をうまく経営している。
(あんなにファビオラが頑張っているんだ。要職に就く私たち大人が、もっと頑張らないでどうする)
カーサス王国とそこで暮らす大切な者たちを護るため、今まで以上に粉骨砕身するとトマスは誓った。
◇◆◇◆
最終学年になったファビオラは、卒業までに学びの集大成となる論文を提出しなくてはならない。
予知夢の中の淑女科にはない課題だったので、さすが実力主義の商科だと感じた。
「次の長期休暇までに題材を決めて、最後の長期休暇までにまとめ終えて提出するようです」
発表された日程をファビオラが読み上げる隣で、シトリンがノートにそれを書き留めている。
成績優秀な二人だが、本格的な論文に取り組むのは初めてだ。
年に数回ある長期休暇を、上手に使わなくてはならないだろう。
少しだけ、ピリッとした緊張感が走った。
「ファビオラさんは長期休暇中、商会の仕事もしているから大変ですね」
「なるべく早めに書き始めようとは思ってます。シトリンさんは、もう題材を考えてるのかしら?」
「商品がヒットするまでの過程を、調査したいなと思っています。伝聞による情報拡散の早さが、ポイントじゃないかと考えているんですよね」
シトリンもファビオラと同じく、すでにフーゴ宝石商の経営の一端を担っている。
そこから得られる販売実績の数値が、論文を書くのに役立つだろう。
ファビオラも『七色の夢商会』で体験したことをもとに、題材を決めようかと考える。
顎に手をあて思案するファビオラに、シトリンがおずおずと話しかけてきた。
「あの、ファビオラさんにこういう相談をしていいのか、分からないんですけど……姉はまるで役に立たないので……」
どうやらシトリンは問題を抱えているようだ。
せっかくなので、二人で座れる場所まで移動して話を聞く。
「次の長期休暇中に、お見合いをするんです。姉にまったく結婚願望がないから、フーゴ男爵家は私が継ぐと決まって……入り婿を迎える予定です」
モニカに続いて、シトリンにも相手ができるのか。
ファビオラは聞き洩らさないよう、ずいと身を寄せた。
「お見合い相手は10歳年上で、貴族ではありませんが、豪商として名をはせる商家の次男です。素晴らしい経営手腕の持ち主なのだと聞きました」
ここまでは何の問題もない。
むしろシトリンの頬は赤らみ、好印象を抱いているのが伝わる。
「父に釣書を見せてもらいました。誠実そうなお顔立ちで、私はすぐに了承の返事をしたんです。それから数回、手紙のやりとりもしました。優しさのにじみ出ている文面に、いい人に巡り合えたと喜んだんです。ただ、後から分かったのですが……彼には結婚歴があって、数年前に最愛の奥さまを亡くされていました」
シトリンの顔が苦しそうに歪む。
ファビオラは手巾を取り出し、それをシトリンの手に握らせた。
「私は貴族ですから、家同士の結びつきが政略なのを理解しています」
断言するシトリンの気丈さが胸を打つ。
だが台詞に反して空色の瞳には、どんどんと水膜が張っていく。
「でも、彼はつらいですよね。心に愛する人がいながら、仕事上のパートナーでしかない私との間に、後継者をもうけなくてはいけないんです。それって奥さまへの裏切りですもの。そう考えたら……このお見合いは、私から断ったほうがいいのかなって……身分的にも、彼からは言い出せないでしょうから」
最後は声が細り、ついにシトリンは手巾へ顔を伏せた。
しゃくりあげるのに合わせて震える肩へ、ファビオラは手を置く。
「シトリンさんは、彼を好きになったのね」
「ひっく……まだ本人に会ってもいないのに、おかしいですよね。釣書と手紙だけで、こんな……」
「恋の始まりなんて、そんなものよ」
いつもの丁寧な口調から、親しみのこもった口調へ変える。
少しでも、シトリンの心にファビオラの言葉が染み込むように。
「相手を真剣に想うから、それだけ泣けるのだわ」
シトリンとは12歳で知り合った。
それから6年間、机を並べて学んだ仲だ。
いつも天真爛漫なその姿を、ファビオラは隣で見てきた。
それが今は、雨に打たれて項垂れる花のようだ。
「私の侍女のモニカもね、もうすぐ婚約するのよ。それまでには、紆余曲折あったらしいわ。だけど、そうやって角をぶつけ合って、お互いが丸くなったから、将来はよい夫婦になれるのかもしれないでしょう」
ファビオラの紡ぐ言葉に、シトリンが興味を引かれて顔を上げる。
「相手の心に最愛の人がいても、彼を好きだと言えるシトリンさんを、私はすごいと思うわ。そのままシトリンさんの気持ちを、彼に打ち明けてみてはどう?」
お見合いをするという次の長期休暇まで、まだ日がある。
手紙のやりとりを利用して、もう少し二人は歩み寄れるのではないか。
「シトリンさんにも彼にも、まだ遠慮があるんじゃないかしら? 経営者の立場で言わせてもらうなら、信用する相手には、全ての手の内を明かすものよ。そうしないと腹の探り合いが続いて、せっかくのご縁が解けてしまうから」
これはファビオラが、完全なる傍観者だから言えることだろう。
なにしろ自分の心については、まったく把握できていない。
「お見合いを断ろうとまで考えたのなら、あと一歩踏み込むことに躊躇はいらないでしょ? 駄目でもともと、って教科書にも書いてあったわ」
「それは、新規営業をかけるときの……心構えですよ」
ぐすん、と洟をすすりながらも、シトリンが笑った。
「でも……ファビオラさんの言う通りですね。せっかく好きな人が出来たんだから、私、頑張ってみます」
それがどんな結果になろうとも、ファビオラが全力でシトリンを受け止める。
そんな思いを込めて、シトリンをぎゅっと抱きしめた。