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24話 ファーストダンス

「お姉さま、絶対にボクの側を離れないでくださいね」

「頼りにしているわ。アダンのほうが、場慣れしているんだもの」



 ファビオラより少しだけ背が高いアダンの腕に、しっかりと縋りつく。

 レオナルドに会う覚悟は決めたが、執着されるかもしれない恐怖が拭えない。

 

(私は予知夢の中の王太子殿下しか知らないけれど、あれは神様がくれた手がかりだから。未来を生き抜きたい私にとって、危険視しないといけない相手というのは間違いないわ)

 

 勇気が出るように、ドレスには朱金色のリボンを縫い付けてもらった。

 ファビオラのパートナーだと分かるように、アダンもポケットチーフを同色にしている。



 まだアダンは16歳だが、パトリシアに付き合って、積極的に社交界へ出ていた。

 そのおかげで、エスコートもスマートだし、すれ違う人々との挨拶にそつがない。

 逆に、こうしたパーティの誘いを断りまくっていたファビオラは、緊張で喉がカラカラだった。



(予知夢の中の私も、あまりパーティが好きではなかった。いつも会場から抜け出しては、王城の図書室へ引きこもっていたわ)

 

 複雑な王城の内部は知らなくとも、図書室の中だけなら目をつぶっていても歩ける。

 そんな特技が、役に立つ日が来るとは思えないが――。

 

「ねえアダン、お父さまが滞在時間は短くていいと言っていたけれど、それっていつまでだと思う?」

「まだレオナルド殿下が入場していませんから……しばらくはこうして、招待客同士の歓談の時間が続きますよ」

「つまり王太子殿下が来るまで、私は帰っちゃ駄目ってこと?」

「正確に言うと、入場後にレオナルド殿下の言葉があって、次にファーストダンスがあるはずです。お相手は招待客の中で、最も爵位の高い令嬢が選ばれるでしょう」



 それは間違いなく、アラーニャ公爵令嬢のエバだ。

 ファビオラがレオナルドの次に会いたくない相手だった。



「お姉さまが退場できるチャンスは、そのときです。周囲の関心がダンスに集まっている間に、こっそり出口を目指します」

「分かったわ! それまで、なんとか頑張る!」

「本当は成人を迎えたレオナルド殿下に、祝辞を述べるべきなんでしょうけど、そういうのは取り巻きの方々に任せましょう」

 

 たくさんいますから、とアダンが続けた。

 紳士科のレオナルドとは同じ校舎で学んでいるため、常日頃の取り巻きたちの様子を知っているようだ。

 そんなアダンの判断に、ファビオラは同意を示す。

 二人が熱心に撤退作戦を練っていると、レオナルド入場の合図があった。

 ファビオラたちも含めて、招待客は頭を垂れてそれを出迎える。



「みんな、面を上げて。今日は僕のために集まってくれて、ありがとう」



 定位置についたらしいレオナルドが、口上を述べる。

 多くの者は屈めていた腰を伸ばし、レオナルドの立つ壇上を見つめた。

 しかしファビオラはそのまま、アダンの背後に回る。



(私に関する身辺調査までして、招待状をお父さまに託したと言うことは、すでに王太子殿下の執着が始まっている可能性もあるわ)



 アダンが出来るだけ胸を張り、ファビオラを隠してくれた。



(きっとどこかで、銀髪を見られてしまったのね)

 

 レオナルドの所信表明があっている間に、ファビオラは退路を確かめる。

 ダンスが始まったら、そちらへ一目散に移動しなくてはならない。



(学校を卒業したら、また髪を染めよう。そしてカーサス王国を出て、ヘルグレーン帝国へ行くのよ)



 ファビオラは考え事をしていたせいで、アダンの忠告に一瞬だけ反応が遅れた。



「お姉さま、こちらへ!」

「っ……!?」



 アダンに腕を引かれ、ファビオラの体が傾く。

 咄嗟に一歩を踏み出したが、すぐにアダンとぶつかった。



「おっと、アダン君。どこへ行こうとしているのかね?」

「我々の妹や姉を紹介してもらえる、またとない機会だ。ありがたく思うがいい」



 アダンの前に立ち塞がっていたのは、玉ねぎのような頭をした男性とナスのような顔をした男性だった。

 こちらを見下した横柄な態度だったので、それが誰だか知らないファビオラにも、相手の家格が上なのだと分かる。

 無視できないと判断したのか、アダンがファビオラだけを押しやった。



「お姉さまだけでも、逃げて下さい!」



 まだ音楽も流れていない。

 この場を離れるにしては、タイミングが早すぎるのではないか。

 そんなファビオラの迷いを、アダンは読み取る。

 

「レオナルド殿下がこちらへ向かっています! 想定外だったけど、お姉さまをファーストダンスの相手に――」



 口早なアダンの説明を、すべて聞くまでもなかった。

 ファビオラはドレスの裾を翻し、踵を返す。

 レオナルドの執着を完全に侮っていた。



(衆目が集まる中で、王太子殿下に指名されて踊るなんて、冗談じゃないわ!)

 

 そこかしこで歓声が上がり、レオナルドがこちらに近づいてくるのが分かる。

 ファビオラは素早く周囲を見渡した。

 真っすぐ出口に進むのは、見つかり易くて悪手だ。

 一旦、この人混みに紛れた方がいい。

 ファビオラが隠れる先を探して彷徨っていると、すぐ背後から『知っている』声がした。



「あらァ、レオさまったら、私を見失ったのかと思ったけれど、ちゃんとこちらへ来てくれてるわァ!」



 特徴のあるしゃべり方は、アラーニャ公爵令嬢エバだ。

 ファビオラの背筋が凍りつく。



(とんでもない場所に出てしまったわ! こうなったら走ってでも、外へ――)



 しかし、方向転換するより早く、件の人物がファビオラの眼前に現れた。

 ストロベリーブロンドのさらさらした前髪を、片側だけ耳にかけている。

 そして宝石にも例えられるピンク色の瞳が、しっかりとファビオラの銀髪を捉えていた。

 白い手袋をつけたレオナルドの手が、ゆっくりと差し出される。



「僕と踊っていただけますか?」

「もちろんですわァ! レオさまのために私――」

「ファビオラ嬢、どうかこの手を取ってください」



 そう言って、王太子という貴い身分のレオナルドが、深々と頭を下げた。

 ファビオラも息を飲んだが、その隣にいたエバは殊の外だった。

 ファーストダンスの相手には、自分が選ばれると疑っていなかっただけに、口を大きく開いて驚愕している。

 

(断らなくちゃ……でも、断れる? この状況で……)



 本命と思われたエバの前で、まさかのどんでん返しが起きた。

 だが真摯な態度で申し込むレオナルドに対して、周囲の反応は好意的だ。

 いきなり時の人となったファビオラが、返事をするのを今か今かと待っている。

 そうした観衆には、ファビオラが望外の喜びに、震えているように見えるだろう。

 しかし正しくは、逃げ場をなくした恐怖ゆえだった。



(どうしたらいいの……)



 ファビオラの耳には、ひたひたと近づいてくる、死の足音が聞こえた。

 

「いつまでも返事をしないのは、レオナルドさまに対して失礼だよ!」

「そうだ、早く手を取るべきだ!」

「レオナルドさまに頭を下げさせ続けるなんて!」

 

 レオナルドの背後から、ファビオラを急かす怒号が飛んできた。

 そこには、アダンを足止めした青年たちとは、また違った雰囲気の男性たちがいる。

 あれがアダンの言っていた、取り巻きとやらだろう。

 ファビオラがビクリと体を揺らすと、レオナルドが振り返って彼らを牽制する。



「ファビオラ嬢を攻撃する者は、僕が許さないよ」



 ファビオラからは見えなかったが、レオナルドの表情は恐ろしいものだったらしい。

 慌てふためく取り巻きたちは、ペコペコと頭を下げてファビオラに謝罪する。

 呆気に取られている内に、ファビオラの手はレオナルドの手中に収められていた。



「さあ、ダンスフロアへ行こう」



 微笑むレオナルドにエスコートされて、仕方なくファビオラは歩を進める。

 隣を通り過ぎるとき、ファビオラにだけ聞こえる声で、ぼそりとエバが呟いた。



「絶対に許さないからァ……!」



 完全にエバから敵認識をされた。

 ファビオラの背を、嫌な汗がどっと流れる。

 そんな胸中などおかまいなしに、会場の真ん中へ連行され、レオナルドとのダンスが始まった。

 強張っていたファビオラを、レオナルドが音楽に合わせて軽やかに導く。

 これまでアダンとしか踊ったことがなかったが、技術的な問題はなさそうだ。



(むしろ大げさに転んで、失敗したほうがいい? 大勢の前で恥をかけば、婚約者候補に選ばれないかもしれないわ)

 

 そう考えたファビオラが、躓く機会をうかがっていると、レオナルドが少し背を屈めた。

 おかげでファビオラの体は、やけにレオナルドに密着してしまう。



「上手だね。商科では教わらないはずなのに」



 薄い唇を近づけ、レオナルドが耳元で囁く。

 その甘ったるさを、ファビオラは『知っている』。

 だから体を遠ざけ、警戒も露わに返答した。



「弟のアダンと練習をしています。いつかは私も、デビュタントを迎えますから……」

「特定の男性がいるわけではないんだね。安心したよ」



 ファビオラの近辺に男性がいないことなど、すでに調べ尽くしてるはずだ。

 それなのに、ファビオラの口から否定の言葉を聞きたくて、レオナルドはこんな真似をする。

 

(予知夢の中と同じだわ。……これは、王太子殿下の嫉妬の表れ)



 やはり執着は始まっていた。

 レオナルドに外堀を埋められる前に、逃げ出したい。

 しかし、噂好きな人たちによって、今日の出来事は面白おかしく吹聴されるだろう。

 その結果、ファビオラが何より恐れている、婚約者候補に担ぎ上げられるかもしれない。

 あの肩書のせいで、予知夢の中のファビオラは、エバから恨まれて殺された。

 あまりにも八方ふさがりで、ファビオラの顔色はだんだん悪くなっていく。



「ダンスが楽しくないみたいだね。やはり今まで意図的に、僕は避けられていたのかな?」

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