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21話 二人の皇子

「もうすぐ店舗が見えてくるわ。ほら、あの角のカフェが目印で――」



 先にアダンの宿泊先へ立ち寄り、荷物を預けてきた。

 アダンが商都で迷わないよう、ファビオラは馬車の中から指さして道案内をしている。

 それを大人しく聞いていたアダンだったが、ふと窓から身を乗り出した。

 座っている位置からして、おそらくまだアダンにしか見えていない。



「お姉さま、この先に人だかりができています」



 アダンの視線の向きは、『七色の夢商会』がある方だ。

 気になったファビオラも、アダンの隣から身を乗り出すと、たしかに前方に多くの人が集まっている。



「どうしたのかしら? ここからでは遠くて、何が起きているのか分からないわね」



 馬車でこれ以上は近づけず、ファビオラたちは歩いていくことにした。

 もしかして、『七色の夢商会』が関係しているかもしれない、と思うと気が逸る。

 そしてついに、ファビオラの耳に言い争う声が届いた。

 足を止めている人たちは、これを遠巻きに見ていたのだ。



「ふざけるな! この商会は、青公爵家を蔑ろにしているとしか思えない!」

「そんなつもりはありません。ただ製造には時間がかかると、申し上げているだけで――」



 男性の声には聞き覚えが無いが、女性の声はルビーだった。

 ファビオラは人をかき分け前へ進む。

 内容からして、青色に燃える薪の件に違いない。



「すみません、ちょっと……通してください!」



 これは会長のファビオラが、矢面に立たなくてはいけない場面だ。

 青公爵家という巨大な存在へ、ルビーだけで対峙させてはならない。

 万が一、その態度が不敬と断じられたら、ルビーの命が危険にさらされてしまう。



「お願い……前へ行かせて!」



 ルビーを助けたい一心で、ファビオラが無理やり進んでいると、喧騒に新たな声が加わった。



「これは異なこと」



 まるで天の声だった。

 その声が聞こえた途端、ざわついていた周囲が静まる。

 人々が、声に耳を澄ませたのだ。

 

(一体、誰の声なの?)

 

 道半ばなファビオラには、その正体が分からない。

 ただし静かになったおかげで、一言一句がよく分かった。



「義兄上は風邪で寝込んでいると聞いておりましたが、このような場所で何をしているのですか? 先ほどは大きな声を張り上げてましたね。それだけ元気ならば、滞っている公務をされてはどうでしょう? 昨日も今日も、義兄上の担当する書類が私のところへ回ってきて、迷惑しているんですよ」



 まるで立て板に水だ。

 声の持ち主に義兄上と呼ばれた人物が、反論する隙を与えない。

 

「もし高熱があって、朦朧として訳も分からぬ内に皇城を抜け出し、取り巻きごと彷徨い歩いているのならば、私が連れて帰りましょう。義兄上の体重くらい、何てことはありませんから」

「止めろ! 子どもでもあるまいし! 俺を肩に担ごうとするな!」



 ルビーを叱責しているときは、威厳のある男性だと思っていたが、ぎゃんぎゃん喚いている今はそう感じない。



「貴様……俺よりほんの少し背が高くなったからって、見下しているんだろう!?」

「とんでもありません。やっと公務を任せてもらえる年齢になったので、よりヘルグレーン帝国のために役立とうと、積極的に働いているだけですよ」

「嘘をつけ! だったら貴様こそ、こんな場所にいるはずがないではないか! あれだけの書類を押し付けたんだぞ!」

「おかげで朝の鍛錬の時間が潰れてしまいました。ですが、それだけです。私は私の分の書類まで片付けて、今ここにいるんです」



 ぐぅ、と言い負かされて唸る。

 完全に、二の句が継げないのだ。



「お前たち、帰るぞ! ここは空気が悪い!」



 どうやら、たくさん引き連れていたらしい取り巻きごと、移動を始めたようだ。

 ファビオラの前の人垣が割れて、道が出来る。



「お姉さま、こちらへ」



 いつのまにか横にいたアダンが、ファビオラの腕を引いて後ろへ下げた。



「関わり合いにならない方がいいですよ。話が通じない御人のようです」

「でも、ルビーさんが責められていたわ。会長は私なんだもの。文句があるなら、今度からは私が――」

 

 受けて立つ、と意気込むファビオラの目前を、集団が通り過ぎた。

 その髪色を見て、誰もが息を飲む。



(青紫の髪――ということは、この男性がマティアス第一皇子殿下なんだわ)



 青公爵家出身の正妃から生まれたマティアスは、始祖の色を濃く受け継いで生まれた。

 不機嫌にしかめられた顔は、それでも整っていて、振りまくオーラも貴人のものだ。

 物見高い人々も、慌てて頭を下げている。



「今のうちに、『七色の夢商会』の店舗へ行きましょう。ルビー嬢を労わるのも、お姉さまの役目だと思います」



 さあ、とアダンに促され、ファビオラは人混みの奥へと足を進めた。

 少し先ではモニカが、手を振って「こちらです」と先導してくれている。

 血気盛んになっていたファビオラも、歩くうちにようやく平静に戻る。



「そうね、頭に血が昇り過ぎたわ。冷静にならないと、正しい判断は下せない。ありがとう、アダン、もう落ち着いたわ」

「ボクはいつだって、お姉さまの味方ですからね」



 一人じゃない。

 ファビオラの側には、アダンも、モニカも、ルビーもいる。

 商会を立ち上げるにあたっては、トマスやパトリシアが賛同してくれ、イェルノに取り次いでくれたアルフィナや工場の建設に協力してくれたリノなど、多くの人に助けられている。

 

(なんだか、『朱金の少年少女探偵団』みたい……みんなで力を合わせて、何かを解決してる)



 予知夢を見て以来、孤独な戦いをしていると思っていたが、そうではなかった。

 ファビオラの心が、じわじわ温まる。

 うっかり潤んでしまった瞳がばれないよう、やや俯いて歩いた。

 アダンが手を引いてくれて、もうすぐ店舗というところで、またしてもルビーの声が届く。



「ありがとうございました。おかげで助かりました」

「こちらこそ、義兄上がとんだ迷惑をかけして、申し訳なかった」



 やり取りされていた会話の内容が正しければ、ルビーがお礼を言っている相手は、第二皇子のヨアヒムだろう。

 マティアスを義兄上と呼べる存在は、このヘルグレーン帝国に一人しかいない。

 ファビオラも『七色の夢商会』の会長として、感謝の意を伝えたいと駆け寄った。



「あの、私からもお礼を……っ」



 振り返ったヨアヒムの赤い瞳と、ファビオラの碧の瞳がかち合う。

 その瞬間、お互いの動きがぴたりと止まった。



(あの男の子に、似てる気がする!)



 しかし、見上げた先にある髪の色は、記憶とは異なる黄金だ。

 ヨアヒムも、ファビオラの銀髪を見ている。



「お姉さま、どうされましたか? お礼を伝えるのでは?」



 ひょこり、とアダンが隣へくると、ヨアヒムが息を飲んだ。

 声は出ていなかったが、唇がわずかに動く。

 短い単語を呟いたらしいが、ファビオラには聞き取れなかった。

 

「ファビオラさん、いいところに帰ってきてくれたわ! ちょうど今、青色に燃える薪のことで――」



 ルビーに抱き着かれ、ファビオラはハッと覚醒する。

 そして改めて頭を下げようとしたのだが、当人であるヨアヒムは従僕から注意を受けていた。



「滞在時間が長すぎです。移動距離を考えると、もう出発しないと」

「すまない、すぐに発とう」



 踵を返すヨアヒムに、ファビオラは慌てて謝意を伝えた。



「ルビーさんを助けて下さり、ありがとうございました!」



 それに対してヨアヒムは、軽く手を挙げ、何事もなかったように去っていった。

 まだ残っていた人々が、「さすがヨアヒムさまだ」「かっこいいわね」と囁き合っている。

 そんな中、ファビオラはいつまでも、その後ろ姿を見送った。

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