20話 それぞれの成長
「アダン、準備はできた?」
ファビオラが学校の長期休暇を利用して、ヘルグレーン帝国の商都へ向かうのも恒例になった。
ただし、今年はアダンも一緒だ。
「はい、お姉さま! いつでも出発できます!」
パトリシア譲りのアダンの青い瞳は、キラキラと輝いている。
しかし、その下にはうっすらと隈が出来ていたので、昨夜はあまり眠れなかったのだろう。
楽しみ過ぎて寝付けなかった経験は、ファビオラにもあるのでくすりと微笑んだ。
「お嬢さま、すべての荷物を積み終わりました」
指示を出していたモニカの声掛けを合図に、ファビオラたちは馬車へ乗り込む。
「お姉さまの荷物、なんだか少なくないですか? 以前はもっと、多かったですよね?」
荷台部分に載っているのは、アダンの旅行鞄ばかりだ。
それに気づいて、アダンは不思議そうに首をかしげる。
「私は『七色の夢商会』の店舗に、ある程度の身の回りの品を置いているの。どうせ何度も行くのだから、向こうにあったほうが便利でしょう?」
ファビオラはまだ17歳で学生だが、肩書はれっきとした商会長だ。
日頃はルビーに経営を委ねているものの、長期休暇中は実際に商都で仕事の舵を取る。
そしてその間、店舗の三階にある居住区で、ルビーやモニカと共同生活をしていた。
ファビオラは学校を卒業したら、レオナルドやエバと距離を置くため、ヘルグレーン帝国へ移住しようと考えている。
こうして少しずつ自分の荷物を増やしているのも、そのためだった。
「アダンは数日の滞在だから、私たちとは別に宿を予約したわ。店舗に泊めてあげられなくて、ごめんなさいね」
そもそも部屋数がそれほど多くなく、さらにはルビーの安全確保のため、三階は男子禁制にしてあるのだ。
「実際の仕事風景を見せてもらうだけで、ボクは勉強になるし、ありがたいと思っています。それに、こうしてお姉さまと一緒に何かをするのは、昔に戻ったみたいで楽しいのです」
アダンのはにかむ笑顔を見ていると、エルゲラ辺境伯領で走り回っていた頃を思い出す。
「私たちは同じ家に生まれたけれど、離れていた期間が長かったものね。無邪気でいられたあの数年間は、私にとっても宝物よ」
そんな日々に終止符を打ったのが、あの襲撃だった。
ファビオラの記憶が、あの男の子の姿を脳裏に呼び起こす。
朱金色に輝く髪、少しだけ高い背、透き通った赤い瞳、最後に見せた哀しい表情。
(どれも鮮明に覚えている。……今はどこで、何をしているのかしら)
ファビオラには、ひとつ気になっていることがあった。
ヘルグレーン帝国で暮らしていると、ふたりの皇子の話がファビオラの耳にも入ってくる。
青紫色の髪と灰色の瞳をした第一皇子マティアスと、黄金色の髪と赤色の瞳をした第二皇子ヨアヒム。
(可能性があるとしたら、第二皇子殿下よね。あの男の子と瞳の色が同じだもの。だけど髪の色は……?)
男の子の朱金色の髪は、夕焼け空のように綺麗だった。
悩み始めたファビオラだったが、馬車が運河に差し掛かると、アダンに話しかけられて意識がそちらへ逸れてしまう。
これからグラナド侯爵家が所有する大型船に馬車ごと乗り込み、エルゲラ辺境伯領を目指すのだ。
「大きいですね! ボク、この船に乗るのは初めてです!」
「基本的には、材木を運ぶための船だからね」
グラナド侯爵領から出立するなら、船の方が時短になるとトマスに勧められて、最初に運河へつれてこられたときはファビオラも船の大きさに驚いた。
山のように材木を積んでいるのに、よく浮いていられると感心したものだ。
しかし、そのように設計されているのだから、当たり前なのだとトマスに教えてもらった。
「エルゲラ辺境伯領へ向かうときは、材木を下ろして軽くなった分、船底に水を入れて重くするんですって。そうしないと、逆に不安定なのだそうよ」
何度も乗るうちに船員から聞いた知識を、アダンに披露する。
今回は馬車や荷物の分、水は少なくて済むだろう。
「お姉さまは体験を通して、様々な見聞を身につけているんですね」
アダンの尊敬がこもった眼差しが眩しい。
「アダンほどじゃないわ。ついに今年から、執務を始めたんですってね?」
16歳になったアダンは勉学の傍ら、グラナド侯爵領の領主補佐として働き出した。
パトリシアの監督下から離れ、ひとりで報告書を読んで、判断をしなくてはならない。
「まだ何度も確認をしながらの、手さぐり状態です。ボクの両肩に、領民の生活がかかっていると思うと、身が引き締まります」
真摯な思いの丈をぶつけられ、ファビオラはアダンの成長を感じた。
重圧に押しつぶされそうになっていた少年は、もういない。
「私も頑張るわ! 『七色の夢商会』で雇った従業員たちを、路頭に迷わせるわけにはいかないもの!」
ファビオラが久しぶりに、ぐっと拳を握って突き出す。
そこへアダンが嬉しそうに、「幸運あれ!」と言って拳をぶつけてきた。
姉弟を乗せた大型船は、順調に運河を下り、やがて山と森に囲まれたエルゲラ辺境伯領が見え始める。
港に着いたら、次に目指すは、人工薪を製造する工場だ。
◇◆◇◆
「お姉さまは工場の中も、見て回るんですね」
「働いている人の様子が知りたいのよ」
年に2回の長期休暇だけでは、本当は足りていない。
それでもファビオラは、危険な作業がないか、事故は起きていないか、不満は募っていないか、聞き取りを怠らない。
そして要望があればいつでも受け付けると、工員たちに広く報せている。
「事実、それで対応できた例もあるの」
ファビオラは作業場の奥を指さして、アダンへ説明する。
「あそこを見て。仕切りで囲われた区域があるでしょう?」
「なんだか物々しいですね。何が作られているのですか?」
「七色の炎を生み出す薪の、特別版よ。赤色に燃える薪を作っているの」
「せっかく七色あるのに、それを一色にしちゃうんですか?」
アダンの質問も尤もだ。
誰もが七色に移り変わる炎を珍重する中、とある貴族から、赤色だけの薪が欲しいと奇妙な注文が入った。
「私とルビーは、安易に引き受けてしまったのだけど……後から、それが難題だったと分かったのよ」
「ボクも引き受けてしまいそうです。一体、何が駄目だったのでしょう?」
「試しに製造してみた結果、工員たちから、一色の薪は厳しいという声が届いたの。完全に赤だけの炎を作るには、一切、他の鉱物が混ざってはいけなかったみたい」
見通しが甘かったとしか言えない。
材料から他の鉱物を外すだけでは、設備の細かな所に入り込んだ粉塵の交雑を防げない。
そして出来上がるのは、基本的には赤色だが、ちらちらと他の色も混ざった不完全な薪だった。
そこでファビオラは、注文の品を製造するために、新たな設備を一から揃えたのだ。
「今ある設備と距離を取らないといけないし、使用する道具類も共有できないの。何かの拍子に他の鉱物が入り込んではいけないから、ああして、行き来するのも大変な仕切りを導入したわ」
おかげで、赤色に燃える薪は完成した。
「なんとか解決したけれど、注文を受ける前に工員の意見を聞くべきだったと、私は身をもって学んだのよ」
ファビオラの苦い言葉に、アダンが真面目な顔で頷き返している。
判断を下す者として、ファビオラの経験をアダンには活かして欲しいと思う。
一通り工場を見回り終えると、夜はリノやアルフィナの歓待を受け、次の日にはヘルグレーン帝国を目指して出発した。
ヘルグレーン帝国は皇都を中心として、商都などの大きな都が、年輪のように周辺を取り囲んでいる。
それを突っ切る大通りをゆるやかに走ること数日、いよいよ商都が見えてくると、ファビオラは物憂げな溜め息をもらしてしまう。
「お姉さま、どうされたのですか?」
「実は今、商会でひとつの問題を抱えていてね」
少しでもファビオラの役に立ちたい姉至上主義者のアダンは、内容を聞き漏らすまいと居住まいを正す。
顎に手をあて、悩まし気な表情のファビオラは続けた。
「次は青色に燃える薪を作らないといけないの」
「赤だけじゃなくて、青もですか」
一緒に工場の見学をしたアダンには、それだけで深刻さが分かった。
赤色に燃える薪には、専用の区画と設備が一通り必要だった。
さらに加えて青色となると、同じ規模をまた新たに用意しなくてはならない。
「私の浅慮ゆえだわ。赤色に燃える薪を頼まれた時点で、こうなる予想をしなくちゃいけなかったのに……」
ファビオラはアダンに、ヘルグレーン帝国の赤公爵家と青公爵家の不和について話す。
こうした情報に詳しくなったのも、ルビーが生活の拠点を、ヘルグレーン帝国に置いてくれてるおかげだ。
「赤色に燃える薪を注文した貴族は、赤公爵家に連なる一族だったの。そして件の薪を社交界で大々的に自慢したみたい。赤公爵家では、燃え盛る炎までが赤いって。どうやら赤は、始祖に通じる誉れの色らしいわ」
「その道理でいくと、青は青公爵家にとって誉れの色なんでしょうね。う~ん、聞くと子どものケンカみたいですが、貴族というのは体面を気にしますからね。後れを取ってはならぬと、青公爵家は青色に燃える薪を欲しているわけですか」
青公爵家からはひっきりなしに、青色に燃える薪はまだか、と矢の催促をされている。
商都にある『七色の夢商会』の店舗へ着いたら、まずは取り掛かるべき案件だろう。
与り知らぬ内にファビオラは、赤公爵家と青公爵家の争いに巻き込まれていた。