19話 生き残る道
「お父さま、先ほど伝え忘れたことがあって――」
ファビオラは晩餐の後、書庫を訪ねる。
寝る前に、ここでトマスが読書をしているのを、ファビオラは知っていた。
パトリシアは本より馬派なので、ファビオラの本好きはトマスに似たのだろう。
「どうした? 皆には聞かせたくない話か?」
トマスに図星を突かれる。
ファビオラが話したかったのは、予知夢の内容についてだった。
「お父さまは何でもお見通しなんですね」
「そうでもないよ。これからファビオラが話してくれる内容に、とても興味がある」
ぱたんと本を閉じ、耳を傾ける姿勢をとるトマス。
ファビオラはその前のソファへ腰かけ、少しだけ前のめりになった。
「いつからあっているのか、時期がはっきりと分からないんですけど……国庫のお金が、誰かによって横領されています」
「それをファビオラは、『知っている』んだね?」
ファビオラは慎重に頷く。
「それはやがて、莫大な金額へと膨れ上がります。だから気を付けてもらいたいんです」
横領が明らかになるのは、予知夢の中では2年後だ。
その罪は、財務大臣のトマスに着せられる。
そしてファビオラたちは、家族そろって捕縛され、連座の絞首刑となった。
誰がトマスを陥れたのか、犯人を追及する前に死んでしまったファビオラには分からない。
曖昧な注意しかできないのが、もどかしかった。
「十分な情報だ。助かるよ」
トマスが手を伸ばし、ファビオラの頭を撫でる。
ランプの灯りに照らされて、その銀髪は赤く染まっていた。
「ここには、もっとたくさんの『知っている』ことが、詰まっているのだろう? しかしそれを、一度に言えない理由があるんだね?」
ぐっと奥歯を噛む。
トマスへ何もかもを打ち明けたかった。
(予知夢を見たのは本当だけど、私がそれに逆らって動いているせいで、出来事の発生する時期がずれてきている。お茶会への招待状が、1年前倒しになったのも、きっとそのせいだわ)
つまりファビオラが予知夢を詳らかにしたとしても、それが現実と合致しない可能性がある。
トマスが予知夢に引きずられて、決断力を鈍らせてしまってはいけない。
「重要なことだけ、伝えます」
「『知っている』せいでファビオラが苦しんでいるのなら、吐き出してしまった方がいい」
「私はこれを、神様からの恩恵だと思っています。苦しめるために、与えられたはずはないんです」
「神様からの恩恵?」
トマスがちらりと、ファビオラの銀髪を見た気がした。
「未来を切り開きなさいと、訓戒を受けたのでしょう。だから――」
ファビオラは家族とモニカが生き残る道を模索する。
(19歳で死んでしまったあとの歴史が、どうなるのかは分からない。私になんとかできるのは、残りの3年間だけ)
ファビオラは拳を握る。
ここにアダンやあの男の子がいたならば、気持ちを鼓舞するために、「幸運あれ!」とぶつけ合っただろう。
『朱金の少年少女探偵団』のように、一緒に難問を解決してくれる仲間が欲しいとも思う。
「『知っている』ことを頼りに、頑張ります」
だが今は、孤軍奮闘しなくてはならない。
ファビオラは碧色の瞳に、力強い意志をみなぎらせた。
◇◆◇◆
「財務大臣よ、いつもより書類が多い気がするぞ?」
国王ダビドの執務室で、トマスは持ってきた報告書を、担当の書記官へと手渡す。
その量に目を剥き、机にかじりついていたダビドが、情けない声を上げた。
「私を忙殺するつもりか!?」
「少し気になることがありまして……各部門から上がる収支報告書の項目を、いくつか増やすようにしました」
トマスの神妙な表情に、何かを察したのか、ダビドが立ち上がり側へ寄る。
体をくっつけると、内緒話をするように、コソコソと囁きかけてきた。
「何があった?」
「ファビオラからの忠告だ。誰かが国庫の金を、横領しているらしい」
ダビドは口を開いたが、なんとか叫ぶのを堪えた。
そしてトマスに小声でまくしたてる。
「絞首刑になる大罪だぞ? よもや、そんな愚か者が臣下にいるとは……」
「見つからない自信があるのかもしれない。今までの報告書では、使途の記載に大雑把なところがあった。各人の裁量に任せていたが、これからはそれを精査するつもりだ」
トマスの厳しい声に、ダビドも納得して頷く。
そそくさと席に戻ると、ダビドは威厳のある顔つきをし裁可を下した。
「財務大臣の良きに図らうように」
「かしこまりました」
こうしてトマスによる、財務管理の改正が行われた。
通達が部門へ行き渡ると、各所で「これは大変だ」「仕事が増える」との嘆きが聞かれた。
それはもちろん、外交を担当する外務大臣にも届けられる。
外務大臣は上司にあたる宰相オラシオへ、変更事項を知らせに行った。
「予算を使うにあたって、少し締め付けが厳しくなったようです。財務大臣から、このような通達がありました」
報告書の新たな記入の仕方を、丁寧に説明してある書類を渡す。
受け取ったオラシオは、すぐに外務大臣を下がらせた。
それから改めて書類に目を通す。
「余計なことをしてくれる。もっと金が必要なのに……」
ぐしゃりと握りつぶした書類を、オラシオは屑籠へ放る。
外交費の割り振りは、オラシオの権限のひとつだ。
どの国にいくら使うのか、基本的には友好の度合いによって決める。
それを利用して、ヘルグレーン帝国へかなり融通していたのだが、これからは是正の指摘が入るかもしれない。
「そこから正妃へ、公金の横流しをしているんだ。万が一、見つかれば……」
それでもオラシオは、止めるつもりはなかった。
自らが罪を被る気など、さらさらない。
絞首刑など、間抜けな誰かに押しつければいいのだ。
「これまでのようには出来ないが、なんとかするしかない」
すでにヘッダやマティアスは、兵を募り、武器や防具を発注している。
もしもオラシオからの送金が滞れば、ウルスラを盾に脅されるのは目に見えていた。
「ウルスラ――会いたい」
窓辺に立ち、ヘルグレーン帝国のある方角を眺める。
それまで女性に言い寄られる経験しかなかったオラシオが、初めて自分から愛を告げた相手がウルスラだった。
ふたりの出会いは、オラシオが26歳、ウルスラが19歳のときだ。
当時、オラシオはブロッサと結婚していて、息子ホセも生まれていた。
王家と縁続きになったことで、アラーニャ公爵家は順風満帆、オラシオも宰相補佐から宰相へ昇進し、まさにこの世の春を謳歌していた時期だった。
そんな中、オラシオはヘルグレーン帝国との外交に赴き、催された歓待の宴の席でウルスラの隣に座る。
朱金色の短い髪と、真っ赤な瞳が印象的なウルスラへ、オラシオは行儀よく挨拶をした。
「初めまして、カーサス王国で宰相を務めています。オラシオ・アラーニャと申します」
「オラシオ? 古語で『祈り』という意味ね。素敵な名前だわ。私はウルスラ、もうすぐ側妃になる予定よ」
ウルスラの聡明な返しに、オラシオは興味を引かれる。
それからいくつかの言葉を交わし、心を掴まれていった。
「また、お会いできますか?」
「次は私の結婚式かしら。カーサス王国にも、招待状が送られているはずだわ」
結婚――その言葉は、それまでのオラシオにとって、意味のないものだった。
それは家門の力を強めるため、政略として行うものだ。
だが、ウルスラが結婚すると聞いて、苦い感情がせり上がってくる。
それは今まで、どんな女性にも抱いたことのない思いだった。
(このウルスラが、他の誰かのものになる? 私はそれが嫌なのか?)
自問自答の末、オラシオは「これが恋か」と腑に落ちた。
そして、それがそのまま、口からまろび出た。
「どうやら私は、あなたを愛してしまったようです」
唐突すぎるオラシオの告白を、ウルスラは笑い飛ばす。
「宰相閣下は既婚者でしょう? そうでなければ、私の隣に座るのを許されないはずよ」
まったくもってその通りだ。
やがて側妃となる高貴な未婚女性の側に、誰が独身男性を近づけるだろうか。
「それでも、私はあなたが欲しい」
諦めきれないオラシオは、必死に言葉を紡ぐ。
カーサス王国も、アラーニャ公爵家も、宰相の職位も、妻も息子も、すべて捨てていい。
それで、ウルスラが手に入るのならば――。
しかしウルスラの返事は、冷たかった。
「聞かなかったことにしてあげるわ」
ウルスラの結婚式に、オラシオは参列できなかった。
それがウルスラの情けなのか、それとも接近禁止命令が出たのか、オラシオには分からない。
翌年、正妃ヘッダの度重なる嫌がらせを物ともせず、ウルスラは第二皇子ヨアヒムを出産する。
話すことは叶わなくなったが、オラシオはヘルグレーン帝国へ行くたび、ウルスラの噂に耳をそばだてた。
皇帝ロルフとの間に愛情がないと知って悦び、息子ヨアヒムを溺愛していると聞いて妬んだ。
「あの日から、長い年月が過ぎた。偶然を装ってしか近寄れず、姿を見るのもままならないが、それでも私のウルスラへの気持ちは揺るがない」
オラシオは窓ガラスを爪でひっかく。
耳障りな音が鳴った。
「ウルスラ、愛している。どこか静かな場所で、二人で暮らそう。そして――いつか、一緒に死のう」