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8話 最新刊の発売日

 14歳になったファビオラは、侍女のモニカの帰りを、自室でそわそわと待っていた。

 母パトリシアの監視が厳しく、気軽に出歩けないファビオラに代わり、王都の本屋へ『朱金の少年少女探偵団』の最新刊を、買いに行ってくれているのだ。

 ちなみにファビオラが読んだ後は、すぐにアダンへ貸す約束になっている。



「お母さまに見つかったら、絶対に小言をもらってしまうわ。だから内緒にしないとね」



 少年が好む本を令嬢が読むのは、あまり褒められたことではない。

 だから王都へ来て買い揃えた一巻から三巻も、パトリシアに見つからない場所へ仕舞っている。

 

「でも、こうして隠れて何かをするって、『朱金の少年少女探偵団』の秘密の取引みたいだわ! 昔はよく、ごっこ遊びをしたけれど、私もアダンも今はそんな年齢ではないしね」



 エルゲラ辺境伯領での楽しかった思い出の日々が、ファビオラの脳裏を過る。

 そして浮かぶのは、やはり朱金色の髪――。



「あの男の子、元気にしてるかしら」



 右肩辺りを矢で射貫かれたが、すぐに護衛らしき騎士たちが駆け付け、怪我をした男の子をかばいながら連れて行った。

 殿下と呼ばれるほどの身分ならば、早急に適切な治療を受けられたはずだ。



「命までは、奪われていないと思いたい」



 ファビオラは左胸を手でさする。

 そこには盛り上がった星形の古傷がある。



「将来、誰と結婚するか分からないけれど、この矢じりの痕を嫌がらない人がいいわ。……あの男の子なら、むしろお揃いになるのにね」



 自分の突拍子もない思いつきに、ファビオラが顔を赤らめていると、待ち人のモニカが現れた。

 腕の中にはしっかりと、茶色の紙袋を抱えている。

 それを見て、ファビオラはぱっと目を輝かせた。

 モニカも達成感から、嬉しそうに本を差し出す。



「お嬢さま、ありましたよ。最新刊は、書店で山と積まれていました」

「ありがとう、モニカ! やっぱり『朱金の少年少女探偵団』は人気があるのね! ファンはみんな、オーズたちを待ちわびていたはずよ」



 あの男の子も今頃、最新刊を手にしているだろうか。

 モニカから紙袋を受け取ったファビオラは、中から真新しい本を取り出す。

 三巻よりも厚みのある四巻に、思わず笑みがこぼれた。

 幸か不幸か、予知夢の中に四巻の内容は含まれていなかった。

 だから正真正銘、ファビオラが四巻を読むのはこれが初めてになる。



「この朱金色の表紙は、探偵団の旗と同じデザインなのよ」



 すぐに読むのがもったいないような、いち早く読んでしまいたいような。

 くすぐったい気持ちを感じて、ファビオラは五年ぶりの最新刊の表紙を愛おしげに撫でる。



「お嬢さまに勧められて、弟にも『朱金の少年少女探偵団』のシリーズを教えたら、すっかり虜になっていましたよ」

「まあ、嬉しい! これでモニカの弟も、私たちの同志ね!」

「夢中になって読みふけって、次の日さっそく、家庭教師の先生へ薦めたのだそうです」

「布教したい気持ち、よく分かるわ」



 ファビオラは自分も徹夜した過去を思い出し、モニカと笑い合う。

 モニカは子爵家の令嬢だが、侍女をして稼いだ給金で、弟に家庭教師を雇っている。

 アダンよりも年下なモニカの弟は、親の願いもあって、学校に入る際には紳士科を選ぶという。

 そしてそこで人脈を作り、将来は給与のよい官吏に就きたいのだそうだ。



(そんな弟思いのモニカが、私の身代わりで絞首刑になるのは、王太子殿下が弟を取引材料にしたせいだった。将来的にモニカの弟を、王城の書記官に取り立てると約束して、無理やり頷かせたのよね)

 

 ぎり、とファビオラは下唇を噛む。



(モニカをそんな目には合わせないわ。絶対に!)



 予知夢の中のレオナルドは、ファビオラのためなら、非道を非道と思わぬ振る舞いをした。

 いくらファビオラが咎めても、レオナルドの倫理観には響かない。



(あんなのには、関わらないに限る!)



 ファビオラは頭の中からレオナルドを追い出し、『朱金の少年少女探偵団』の世界に浸ることにする。

 長椅子に腰を落ち着けたファビオラのために、モニカが温かいお茶を淹れてくれた。



「しばらく集中して本を読むから、モニカも好きにしていてね」

「ありがとうございます。お言葉に甘えて、弟のマフラーを編ませてもらいます」



 モニカは暖炉の側に腰かけ椅子を持ってくると、毛糸と編み棒を取りに行った。

 本格的な冬にはまだ遠いが、外は木枯らしが吹き始めている。

 そんな寒い中、本を買いに行ってくれたモニカのために、ファビオラはせっせと薪をくべてやった。



「あら、お嬢さま、そのようなことは私がしますよ」



 戻って来たモニカは、ファビオラが暖炉の火を大きくしているのを見て、慌てて駆け寄ってきた。

 

「いいのよ、私にだって出来るんだから。我が家の薪は人工だし、エルゲラ辺境伯領のと違って、手も汚れなければ棘も刺さらないもの」



 パトリシアに見られたら怒られるような行為は、だいたい叔父リノに教わった。

 だから暖炉に薪をくべて火を大きくするやり方も、ファビオラは7歳で習得している。

 広大な土地を持つエルゲラ辺境伯領は、林業が盛んなので薪に困ることはない。

 ただし天然の薪ならではの、虫の混入だったり乾燥不足だったりに悩まされていた。

 

「私はグラナド侯爵家で働き始めて、初めて人工の薪があるのを知って驚きました」

「私もそうよ。エルゲラ辺境伯領での生活が長かったから、最初は慣れなかったわ。だけど使い勝手が分かると、こっちが便利よね」

「煤も出にくいですし、火持ちもいいですし、保管も手間がかかりませんし、何より軽いですから。悪い所は思いつきませんね」

「あえて言うなら、グラナド侯爵領でしか流通していないところかしら」

「どうしてなんでしょうか? こんなにも良い品なのに……」



 モニカが不思議がるのも、もっともだ。



「それは人工薪が、廃棄物で作られたものだからよ」

「もとはゴミなんですか、これ?」



 手に持つ成形された薪を、モニカはしげしげと眺める。

 現在では製法が確立しているが、それまでにはご先祖さまの、汗と涙のにじむ努力があったらしい。

 やっと完成した人工薪は、今やグラナド侯爵領では常識となっている。

 

「運河を持つグラナド侯爵領は、エルゲラ辺境伯領から木材を購入して、自前の大型船を造っているでしょう? その際に、たくさんの木くずが出るの。それが人工薪の原料なのよ」



 ファビオラはモニカに昔話を聞かせる。

 グラナド侯爵家とエルゲラ辺境伯家の繋がりは、木材の売買を通じて古くから続いているもので、トマスとパトリシアの結婚も政略である。



「王都にほど近いグラナド侯爵領は、自然豊かなエルゲラ辺境伯領と違って、木くずを牛の糞尿とまぜて肥料にする環境じゃないでしょう? だから昔は、木くずを処分するために燃やしていたんだけど、木くずって軽いから舞い散るし、あちこちに火の粉が飛んで危なかったのよ。そこでグラナド侯爵家のご先祖さまが、もっと安全に燃やせないかと考えて、木くずをぎゅっと固めてみたら、薪の代わりになるほどよく燃えたんですって」

「そうして出来たのが、人工薪なんですね」

「売り物として作られた訳じゃないから、基本的には自領内でしか流通していないの」

「もったいないですね。天然の薪しか知らない人にとって、この使いやすさは驚嘆に値しますよ」



 つくづく残念そうなモニカの声に、ファビオラはぴんと閃く。



「もしかして、他領で売れるかしら?」

「一度この人工薪に慣れたら、便利で手放せなくなると思います」

「それほどの有難みがあるのね……うちには当たり前に存在するものだから、気がつかなかったわ」



 この人工薪を、ファビオラが立ち上げる予定の商会で、販売してみようか。

 頭の中でおおよその計画を練り始めると同時に、授業で習った商売をするにあたっての条件を思い出す。



(何事も、需要と供給のバランスが大事なのよね)

 

 そもそも人工薪は、どれだけ生産されて、どれだけ消費されているのか。

 

「グラナド侯爵領内における、人工薪に関する具体的な数値が必要ね。これはアダンに教えてもらいましょう」



 ファビオラは、『朱金の少年少女探偵団』の最新刊を手に、アダンの部屋へと向かった。

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