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9話 商科での学び

 『朱金の少年少女探偵団』の最新刊を先に読む権利を譲ることで、ファビオラはアダンから人工薪についての、流通と販売の経路や生産量などの情報を聞き出した。



「これくらいのことは無条件で、いつだってお姉さまに教えますよ?」

「私は商科で学んだの。借りを作るのは慎重に、ただより高い物はないってね」

「ボクたちは姉弟なのですから、そこまで気にしなくても……」



 すっかり商科の教師陣に鍛えられているファビオラは、アダンの言葉へ首を横に振る。



「アダン、血族は他人よりも激しく、憎しみあう場合もあるのよ。私が姉だからって、油断しては駄目」

「ボクをそこまで心配してくれるお姉さまと、争う未来なんて想像もできません」



 困り顔をするアダンへ、約束を果たすために、四巻の入った茶色の紙袋をファビオラは手渡す。

 アダンはそうっと中を覗いて表紙を見ると、サブタイトルを声に出して読んだ。



「『ライバル探偵団、登場!? 団旗を賭けた謎解き勝負の始まり!』……うわあ、面白そう!」

「ずっと表紙の絵が団旗だったでしょう? きっとこの巻で、その伏線が回収されるのよ!」



 本当はファビオラだって、喉から手が出るほど最新刊を読みたい。

 だけど家族やモニカの命を助けるために、やらなくてはいけないことは山積みだ。



(私が死んだ年に、五巻は出版されたはず。あの頃はそれどころじゃなくて、すっかり忘れていたけれど……)



 心置きなく五巻が読める、19歳にしなくてはいけない。

 そのために、ファビオラはしばし四巻を我慢する。

 

「人工薪については、またアダンの話を聞かせてもらうと思うわ。そのときも、相談にのってね」

「もちろんです、お姉さま! 四巻はなるべく早く読み終えますね。そして一緒に感想を語り合いましょう!」

「ええ、そうね! 楽しみにしているわ!」



 ファビオラの顔が歓びに輝く。

 その笑顔を見て、アダンは胸を撫で下ろした。

 ときおり、ファビオラの顔が翳る瞬間があるのに、アダンは気づいていた。



(お姉さまは何か、問題を抱えている。商科へ移動されたのも、それが原因かもしれない)



 アダンはもっと、頼りになる弟になりたいと願う。

 ファビオラの表情を暗くさせるものが、何なのか。

 それを取り除くだけの力が欲しい。



(目の前で血を流すお姉さまを見て、泣いているだけのボクでいたくない。ボクとお姉さまを庇ってくれた、あの男の子のように強くなりたい)



 あの日の記憶が曖昧なアダンだったが、自身が護られたことは覚えている。

 だから怪我ひとつしなかったのだ。



 ファビオラから譲ってもらった四巻の表紙をじっと見る。

 その色は、オーズの髪色と同じ朱金だ。



(レオナルド殿下が、あの男の子かもしれないと思ったけれど……どうも違うみたいだ。お姉さまは、むしろ会いたくない様子だったし)



 人懐っこいファビオラが、誰かを遠ざけるのは珍しい。

 

(何も知らないボクが、余計なことをしないほうがいい。ここはお姉さまの判断に従おう)



 こうして聡いアダンによって、それとなく持ちかけられるレオナルドとの顔合わせの場は、ことごとく握り潰されていくのだった。



 ◇◆◇◆



「命を狙われてる身だって、分かってます? もっと人混みを避けてくれると、俺としては助かるんですけどね」

「今日は、『朱金の少年少女探偵団』の最新刊の発売日だ。そんなことは言ってられない」



 腰に帯剣した15歳の少年は、本屋から続く長い列の最後尾へと向かう。

 その従僕らしき人物も、しぶしぶ隣に並んだ。



「殿下なんだから、誰かに買いに行かせるとか、城に本を届けさせるとか、やりようはあるでしょう?」

「こうしている時間も、楽しいんだ」



 待っていると、少しずつ列は前に進む。

 そして少年の後ろにも、人が並び始めた。

 途端に従僕は、黒い瞳を走らせ周囲を警戒する。



「バート、落ち着け。今では私も、かなり剣を使えるようになっただろう?」

「そうは言っても、これはもう俺の職業病なんですよ」



 襲撃を受けたあの日から、特別な訓練を受けたバートという4歳年上の従僕が、護衛として側で常に目を光らせるようになった。

 危険な仕事をさせていることを、少年は申し訳なく思う。

 しかし、バートがいなければ、何度この体は死んでいたか分からない。

 ありがたい存在であるのは、間違いないのだ。



「こんな街中で白昼堂々と襲ってくるならば、民への被害が相当に出るだろう。あちらも愚かではないと信じよう」

「いまさら、あいつらを信じられるんですか?」



 バートは少年の甘い考えを、鼻で笑う。

 

「あちらも為政者を目指しているんだ。多くの人目がある場所で、私が襲われて命を落とせば、民はそれが誰の差し金なのか想像するだろう?」

「……あいつらなりに、評判を落としたくないってことですね」



 分かりましたよ、と従僕はピリピリさせていた態度を改める。

 そして本屋までの列を眺めた。



「けっこうな人数がいるけど、目当ての本って、売り切れたりしないんですか?」

「大人気のシリーズだから、数は用意してあるだろう。――もしかしたらあの子も、今頃、最新刊を手にしているかもしれない」



 少し頬を赤らめ、少年はぼそりと呟く。

 たった一度だけ遊んだ、朱金色の髪の少女。

 あんなに子どもらしく過ごせて、楽しかった一日はない。

 だが少年のせいで、少女には怪我を負わせてしまった。



「いつかきちんと、謝罪をしに行かなくては……」

「ああ、初恋の彼女? 朱金色の髪なんて珍しいんだから、さっさと探せばいいでしょうに」

「私の身の回りが安全にならないと、また同じ目に合わせてしまうだろう。それまでは絶対に駄目だ。私に大切な存在がいるということも、あちらへ悟られてはならないし」



 俯く少年に、難儀ですねえとバートが返す。



「のんびりしてると、彼女に恋人とか婚約者とか、出来ちゃうんじゃないんですか?」

「それならそれで、私はあの子の幸せを願うだけだ」



 苦笑する少年の朱金色に輝く髪を、風が優しく撫でていった。

 

 ◇◆◇◆



「シトリンさん、新作の売れ行きが素晴らしいそうね」

「ファビオラさんの耳にも届くなんて、光栄です!」



 翌年、ついにフーゴ宝石商の名を、世にとどろかせる商品が発売された。

 恋人同士が、お互いの瞳の色の石を繋げて作るオーダーペアブレスレットは、シトリンの姉が発案者なのだそうだ。



「とても才気あふれるお姉さまね。去年、商科を卒業されたばかりなのでしょう?」

「今回のヒットもあって、両親は姉に期待をしているのですが、どうも姉は……ただの宝石商に収まりたくないようで」

「家業を継ぐかどうかで、意見が分かれているのかしら?」

「大陸を股に掛ける大商人になるのが夢だと、姉は豪語しているんです。そして爵位や家業のためだけに、入り婿を取りたくないとも言っていて……もしかしたらフーゴ宝石商は、私が引き継ぐかもしれません」



 娘しかいない家系は、たいてい入り婿をとって爵位や家業を継がせる。

 それだけ貴族というのは、血筋を尊ぶのだ。

 

「でも今のままでは、シトリンさんのお姉さまは……」

「何の後ろ盾も持たず、裸一貫で世間へ打って出ることになるでしょう。いくら能力に自信があるとしても、私には無謀としか思えません」



 フーゴ男爵家の姉妹は、仲がいいのだろう。

 シトリンの声には、姉への心配がにじんでいた。

 

「ご両親も、さぞや危惧されているでしょうね」

「姉はこうと言ったら聞かなくて……このままでは独り立ちの前に、実家と喧嘩別れをしそうな勢いです」

 

 家督の相続がすんなりいかないと、大変なのだとファビオラは考えさせられた。

 ファビオラは弟のアダンに、後継者としての面倒事をすべて任せているため、その苦労を推し量るしかできない。



「シトリンさん、我が家の弟も、母に倣って領地の管理を学んでいるわ。お姉さまも身ひとつで起業する前に、どこかで下積みを経験されてはどうかしら?」

「それはいい考えですね! さっそく姉に提案してみます!」

「よい修行先が見つかるといいですね。貴族出身の女性でも、分け隔てなく、快く受け入れてくれるような――」



 そこまで話して、ファビオラはハッと気がついた。



(私が今から商会を立ち上げて、そこで働いてもらえばいいんじゃない? シトリンさんのお姉さまは、独り立ちをしたいと思っているのだから、立ち上げから関わるのはいい勉強になるはずよ。私も卒業を待たずして起業するつもりだったから、代理で動いてくれる人がいると助かる……これは好機だわ)



 さすがにシトリンの姉ほどの度胸がないファビオラは、商会を立ち上げる際には、持てる七光りを最大限に利用するつもりだった。



(グラナド侯爵家の後ろ盾があれば、商会がすぐに潰れるということもないし、国境を防衛するだけの軍資金を稼ぐ間に、シトリンさんのお姉さまも経験を積めるでしょう)

 

 腹をくくった15歳のファビオラは、すべての決定権を有する父トマスを説得するべく、さっそく作戦を練るのだった。

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