遠征の弐
めっちゃびっくりじゃ! にょろにょろさんが言語を操っておるぅッ!
――いや、そうじゃない! なぜこのにょろにょろさんは武威のことを!?
――いや、それ以前ににょろにょろさんがわしの脳内に直接思考を……!
……
あぁ、もう! わけわからんのじゃ!
「み、光君? こ、これって?」
カロン殿も気づいたようじゃな。
でも、わしにもよくわからん。なんじゃこの現象は?
『ほう。2人揃って武威を備えつつ、こちらのわっぱに限ってはこの混乱すらも楽しんでおるようじゃな』
もちろんカロン殿はめっちゃ怯えておる。ということは“こちらのわっぱ”というのはわしのことか?
いや、楽しんでるわけなかろう。わしだって怯えておるんじゃ。
ただにょろにょろさんという気味の悪い動物にもかかわらず、それと意志の疎通ができるというだけでこんなにも気味の悪さが軽減されるものかと、ちょっとわし自身ほっとしただけじゃ。
『そうか。その感情はそういうものだったのか。それは失敬した』
んでもって首を垂れるにょろにょろさん。
ちなみに今現在、このにょろにょろさんがものすっごい力でわしらの首を絞めておるから、飼育員さんたちがマジで焦ってそれをほどこうとしておる。
もちろんわしもカロン殿も武威を使って自身の首を守っておるからこの程度の締め付けごときなんの問題もないんだけどさ。
じゃあこのにょろにょろさんとコミュニケーションをとってみようぞ。
と武威をさらにちょっとだけ広げ、にょろにょろさんの頭部をその範囲に収めてみた。
んでもって頭の中でにょろにょろさんに話しかけてみる。
『お、おぬしは……何者か?』
すると案の定、武威を広げたこと、にょろにょろさんの思考の声がよりはっきりと聞こえてきた。
だけどさ……。
『我が名は太源雪斎。今川家に従じるしがない僧よ』
……
……
ぶぁっはっは! これは愉快! あの徳川家康を育てた男が何を間違ったかにょろにょろさんに転生しとるとは!
どうなんじゃろう!? 変温動物にとってやっぱ冬はきついんじゃろうか? あっはっは!
……なんて、悠長に生態を聞いている場合じゃない! 黒衣の宰相じゃ。歴史に名高い僧将がここにいるんじゃ!
さすれば――うむ。少し落ち着こう。
太源雪斎。
今でいう東海地方を支配した今川家の僧将じゃ。
まぁ、その今川家は桶狭間で信長様に惨敗したけどな。
とはいえ桶狭間の戦いが起きる直前までは、今川さんとこの義元殿は紛れもなく戦国有数の大大名じゃった。
んで今川さんとこは桶狭間の戦いで織田勢に大敗を喫したわけじゃが、雪斎殿はその戦いが起きる前に亡くなっておる。
もし雪斎殿が存命だったら桶狭間での奇襲は成功しなかったじゃろうとさえ世間に言わしめるほどの御仁じゃ。
まぁ、雪斎殿がどんな人物かはこの際どうでもよい。
ここで一番重要なのはこの男――じゃなかった。今はにょろにょろさんだから“オス”と表現した方がよいのかもしれんな。その“オス”が前世において幼少期の家康の教育係をしておったということじゃ。
「ちょ……あの子たち、大丈夫かしら?」
その時にょろにょろさんにがんじがらめにされたわしとカロン殿を見かねて、周囲がざわつき始めおった。
うーん。この状況ではじっくりと話し合うべきじゃなさそうじゃな。
じゃあ早急にこの場を切り上げようぞ。
『夜にもう一度来る。家康……じゃなかった。“竹千代”を連れてじゃ』
『ほう、あのわっぱをつれてくるというのか?』
『あぁ、実のところすぐそこにいるんじゃ。ほら、そこじゃ』
『おぉ、あれはまさしく松平家の子息、竹千代じゃ』
やっぱ康高は前世の家康と似てるんじゃな。この可愛らしいタヌキ顔があの忌まわしい老顔へとなってしまうのじゃろうか。
いや、そんなことはどうでもよい。
雪斎殿、にょろにょろさんに生まれ変わってしまったということは、前世の死後の歴史について改めて学ぶ機会はなかったじゃろうな。
家康が天下を取ったということも含めて。
ならばここは雪斎殿の知識に合わせてやらねばなるまい。
『そうじゃ。あれが竹千代じゃ。いろいろと教えたいことがあるがそれは後で話す。よいか? 今日の夜じゃ。今日の夜にまた訪れる。その時にじっくり話し合うとして、この場はこれにて一度別れようぞ』
『むう。そうじゃな。周りがざわめき始めおった』
『だからわしらを解放してくれ』
『おう、すまぬ。久しく人と話してなかったゆえ、ついつい力が入ってしまったわ』
そして雪斎殿たるにょろにょろさんは、締め付けておったわしらの首を解放してくれた。
「き、君たち、大丈夫!?」
首を絞められたまま宙吊りになっておったわしらを飼育員殿が心配してくれたけど、もちろん怪我の類は負っておらん。
「うん! 楽しかったぁ! ね? カロン君!?」
「え? あ……うん! “珍しい体験”したね! お兄さん、お姉さん! ありがとう!」
「は、はい。大丈夫ならよかったわ。また来てね」
わしとカロン殿は笑顔でその言に答え、ついでにカロン殿が意味深き言をわしに伝えつつ――つーかカロン殿はわしと雪斎殿の会話を脳内で聞いておったようじゃな。
雪斎殿の能力……でいいのかはわからんが、なかなかに便利な機能じゃ。
そのおかげでカロン殿もある程度状況を理解し、わしの言に合わせてくれた。
結果、飼育員殿たちは少しの焦りを残しながらわしらに手を振り、わしらもそれに応えながら元いた場所へと戻った。
「どう? 楽しかった? あははッ!」
だけど忘れておったわ。
人としてあるまじき華殿の所業を……。
というかにやけ顔で話しかけてきた華殿のおかげで、さっきのとんでもない華殿の悪意を思い出したわ。
「あははじゃない! 華ちゃん!? そういうことは2度とすんなァ!」
そう叫びながら、わしは華殿に襲い掛かる。
華殿の両頬を強くつねり、ついでにその頬を左右にびよーんって伸ばしてみた。
とはいえもちろん華殿も無抵抗というわけではない。
「あははっ! ちょ……痛い痛い! 光君……そんなに怒んないで……って本当に痛いってば! もう! 私も怒った!」
華殿の表情が途中からマジなものへと変わり、わしの両腕をがっちりと掴む。
んでもって華殿の両頬をつねるわしの前腕をとんでもない握力で握り返してき……いや、ちょっと待って! 華殿が本気になったらわしの細腕の1本や2本軽く握りつぶ……ぬおおおぉおぉぉ! 痛いぃぃぃぃいいいぃぃぃッ!
「んぎゃーっ! ご、ごめん、華ちゃん! 謝るから! 本当にごめん! だから手を離し……でないと本当に骨がおれ、折れる、から……」
「んもう。ちょっとしたいたずらじゃん! そんなに怒んなくたっていいじゃん!」
「わか、わかったから……」
結局こんな感じで華殿への復讐は不成功に終わり、あれ? なんか重要なことを忘れておるような……。
「三成様? あのヘビ、普通のヘビではありませんね? いったい何があったのですか?」
怪訝な表情と低い声で頼光殿がわしに話しかけてきおったので、わしは先程のにょろにょろさんとのやりとりを思い出す。
「そうじゃった。大変じゃ、頼光殿。あのにょろにょろさん、転生者じゃった」
「ほう。武威を感じ取りましたのでまさかと思いましたが、やはり?」
「おう。しかもその名を太源雪斎という。そこにおる康高の師であり、駿河の今川さんとこの全盛期を作り上げたといっても過言ではない。そんな男じゃったわ」
わしの言にカロン殿を除く一同全員が驚いたが、それも仕方なし。
唯一、やはりというか当然というか――頭のキレがはんぱない頼光殿がわしの言ったことを即座に理解し、意味ありげな言を返してきた。
「ならば……早速あのヘビとの会談の場を用意しなくてはいけませんね。いつにします?」
「うむ。いましがたのやりとりでその件についても話し合ってきた。今宵、康高を連れてこの動物園に忍び込むつもりじゃ。あのにょろにょろさんとじっくり話し合わねばなるまい」
「それなら私どもも同行しましょう。警察手帳があれば、たとえ訪問が深夜になってもここのスタッフには怪しまれないでしょうから」
「そうじゃな。適当になんかの事件捜査とでも言えば当直のスタッフさんもわしらを受け入れざるを得ないはず。それよりも……頼光殿?」
「はい?」
「いつも世話になっておる身でこんなことを言うのもあれじゃが……この件、えらく協力的じゃな? 徳川家康たる康高と太源雪斎。この繋がり、そんなに気になるか?」
「ふっ。さすが三成様……でもそんな悪い意味じゃありませんよ。単にヘビの転生者というのが珍しいだけです」
「そうか……ふっふっふ。康高の育てようによっては将来頼光殿の巨大な敵になるやもしれぬぞ?」
「ご冗談を……ふっふっふ」
「ふっふっふ」
「ふっふっふ」
そして意味ありげに笑い合うわしと頼光殿。
どうでもいいがこのやりとり、たまにするんだけどいと楽しい。
もちろんわしら関ケ原勢力は頼光殿率いる出雲勢力に敵対する気などないし、向こうもその可能性は限りなく小さい。
なんだったらわしと頼光殿の関係上、今も、そしてこれからも敵対することなんてないじゃろう。わしらめっちゃ仲いいからな。
でもたまにこうやって牽制し合うのが、いと楽しいんじゃ。
「まーた始まったぁ……」
華殿があきれ顔でそうつぶやくまではなァ!
おい、ちょっと待てよ!
これはわしと頼光殿のかっこいい大人のやりとりで、一介のおなごが足を踏み入れていい空間じゃな……
「じゃあ動物園見学はここまでにしましょ。夜になったらもう一回中野駅に集合。いいわね?」
しかし、こういう時にしゃしゃり出るのが委員長キャラというもの。
つーかあかねっち殿が勝手に場をまとめ、わしらは一度動物園を後にすることとなった。
んで中野駅で各々分かれ、夜の7時に再度皆の衆が駅に集まる。
例によってもろもろの電車を乗り継ぎ、わしらは再び上野の動物園へ到着した。
警備員に見つかったが、頼光殿の警察手帳を見せて問題なし。
わしらは堂々とにょろにょろさんの寝ている建物へと向かい、中へと入る。
すると、太源雪斎の生まれ変わりであるにょろにょろさんがとぐろを巻いて待っていた。